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 順調に勝ち上がっている男子テニス部。今日は県大会だ。

 あれから高山くんとは話をしていない。

 事務的なことは話すけど、この前のことは一切触れない。

 気遣いが、優しさが、私をたまらない気持ちにさせる。

 彼は、私は、どうしたいのだろう。

 


 生徒たちの引率は高山くんに任せ、先に試合会場入りする。大会運営があるのだ。

 私はまだぺーぺーなので、運営の中心にはいないが、それでも若手なりの役割はあるわけで。朝早くから会場設置の準備をしていた。

 男子テニス部の顧問をするのはやはり男の先生が多い。適材適所ということで、力仕事の係には回されず、事務的な作業が主だった。

 トーナメント表をテントの柱に貼って、確認のため数歩後に下がった。

 たくさんの学校名が書かれた中から、うちの学校の名前を見つける。

 表を目で追う。第一シードの学校に目が留まる。

 昨年の優勝校である王海とあたるのだ。


 予定通り引率している高山くんと男子テニス部と合流する。

 メンバーは昨日の部活で発表してある。先日の練習試合を参考に、ほぼ同じメンバーで組んである。

 高山くんと一緒にメンバー表を本部に提出しに行く。

 受付には前にひとりいて、その先生の後ろ姿をぼんやり見ていた。

 と、高山くんが一歩前に出る。

「よう拓真久しぶりやのう」

「え…えっ、ええっ高山先輩っすか!?なんでここに!?」

 受付をしていた若い男の先生が、高山くんの声に反応し勢いよく振り返る。

「今日は敵じゃ。拓真が顧問になって王海が強くなったかどうかわかるき、楽しみなり」

 楽しそうに笑う高山くん。

「…ていうかあのうわさ本当だったんすか!?」

「うわさって何なり」

「木村先輩から高山先輩がテニス部のコーチやっているって聞いたんすよ。嘘だと思ってたんすけど!」

「…あいかわらずあいつは情報が速いの」

「いやーマジびびったっす。俺いろんな先輩にメールしたんすけど、そんな話全然でてこないし」

「あー、仁科しか知らんのう」

「久しぶりに騙されてるのかと思いましたよ。木村先輩も仁科先輩から聞いたって言ってたっす」

「それにしても拓真が教師とは、世も末じゃ」

「なに言ってるんすか!俺外部受験したりとか超がんばったんすけど!それなのにあいつらときたらまじめに授業受けねぇからほんとマジ頭くる…!」

「拓真に言われたかないぜよ」

「…高山くん、知り合い?」

「ん、王海の部活の後輩」

「あ、王海テニス部顧問の市原拓真っす」

「はじめまして、男子テニス部顧問の高瀬綾です」

「のう拓真、今日は負けんぜよ」

「こちらこそ負けないっすよ!」

 なんだかそれなりに盛り上がっているような。私ひとり場違いの気がするので、エントリー表を提出して、高山くんに声を掛ける。

「…積もる話もあるだろうから、先に戻っているね」

 その場を離れようとしたらけど、腕をつかまれてしまった。びっくりして振り返る。

「…お前さん、冷たか」

「えっ。どこが?」

 関係の無い私がいたって楽しい話題のひとつも提供できないと思ったんだけど。

「そういうとこじゃ。『私とそのひととどちらが大事なの?』って聞くぐらいしてみんしゃい」

「………はぁ…いや、ないよ。ないない。絶対ない」

 いきなりなんの冗談だろう。

 私たちの間には気まずい空気が流れているんじゃなかったけ。

 あまりにあからさまに不審者を見る目で高山くんを見ていたのだろう、高山くん越しに見えた王海顧問の市原先生は「ぶっ」と吹き出していた。

「あはははははは!」

 まあ顧問とコーチの関係としてはあまりにも「無い」し、その気持ちがわからないでもないけど、それにしたっておなかを抱えて笑うなんて笑いすぎじゃないの。

「うちのお姫さんはご機嫌ナナメのようやし、もう戻るぜよ。拓真、試合楽しみにしとるなり」

「…はいっ…くくくく」

 笑いが止まらない市原先生をその場に残こし、高山くんが歩き出す。するりと解かれた腕。高山くんの後をついていく。

「なんなの、あのひと…」

「気にする必要はないぜよ」

 結果的に、私と高山くんの間に張り詰めていた空気は変わったけど。

「ねえ、高山くん」

 王海とうちの実力さはかなりある。

 うちの生徒が勝って欲しいのはもちろんだけれども、冷静に見ると考えてしまう。

 その気持ちが伝わったのだろう、高山くんは振り返ってちょっと意地悪そうな顔で笑う。

「大丈夫なり。拓真の頭ん中は手に取るようにわかるぜよ」

 どうしてこのひとはほしいときに一番ほしい言葉を与えられるのだろう。

 どうしてわたしはこのひとにやさしい言葉が掛けられないのだろう。


 勝負の世界は非情だ。どれだけ勝ちを望んでいても、全員が勝者になることはない。それだからこそ美しいのだけれども。

 それでも勝って欲しい。矛盾しているのは百も承知だ。

 私には高山くんのように策を与えることも、他の部員のように同じように励ますこともできない。一番大事なときに何もできない。

 高山くんはレギュラーを集めてミーティングをしている。

 ベンチコーチは高山くんだ。ここまでの試合は高山くんがやっていたから、当然この試合もそのつもりである。試合に出ない一二年に付いて一緒に応援席のほうへと歩き出そうとしていたとき、突然高山くんに呼ばれた。

「高瀬先生」

「はい?」

 レギュラーが高山くんの周りから荷物を持って移動し始めている。

 コートでは前の試合が終わり、試合をしていた学校が明け渡すために準備をしている。

「今日は高瀬先生がやるんよ」

 高山くんはベンチを指差している。

「えっ」

 試合の準備も心の準備もしていない。第一私より高山くんのほうがいいに決まっている。

「え、だって高山くんがやるんじゃ…」

「大丈夫じゃ。試合のことはもう言ってある。あとはどっしり構えていればいいなり」

「いやいやいや」

 そうかもしれないけど。でも。

 相手側の王海のベンチには市原先生の姿が見える。

 だってさっき「負けんぜよ」って市原先生に言ってなかった?それってコーチとして戦うってことではないの?

「ピグマリオン効果って言うんやろ?」

「え」

 高山くんの口からピグマリオン効果なんて出ると思わなかったから、ぽかんとしてしまった。

「教師が期待すれば生徒の成績は伸びるんやろ?それなら高瀬先生のが適任じゃ」

 そう言って私の肩を押す。

 ―――ああ。このひとには、勝てない。



 結果は圧倒的だったけれど、それでも彼らは持ってる力を出し切った。

 泣きじゃくる後輩たちと対照的に胸を張ってまっすぐ見ている三年生。

 泣きたいのは彼らのはずなのに。

「コーチ、短い間でしたが、ありがとうございました。コーチのお陰でここまでこれたようなものです」

「いや。俺は何もしとらんよ」

「二年はこれからが勝負だからな」

「来年は絶対に勝てよ」

「一年もどんどんレギュラー目指していけよ」

「先生、高瀬先生」

「…はい」

「三年間ありがとうございました。先生が顧問でよかったです」

 どうして勝たせてあげられなかったのだろう。

 もっとできることがあったのかもしれない。

 私ばかりが嬉しい気持ちになるなんて、そんな。

 だからこれだけは言わなくてはいけない。いや、私にはこれしか言えない。

「私こそみんなと一緒に部活をやれてよかった。ありがとう」



 生徒の引率は高山くんにまかせて、大会運営の仕事が残っている私はそのまま会場に残る。

 ほんと主顧問になると仕事が多い。去年はただ引率だけしていればよかったのも、主顧問のお陰なんだなと改めて感謝の気持ちになる。

 記録整理を手伝い、テントの中でお茶の片付けをしていると、背後から声を掛けられた。

「お疲れ様です」

 振り返ると、市原先生だった。右手で放送で使用した延長コードを持っている。

「あ。お疲れ様です。おめでとうございます。やっぱり王海は強いですね」

「ありがとうございます。いやまだまだっすよ」

 王海が優勝した。圧倒的だった。

 私たちの夏はここで終わってしまったが、彼らの夏はまだ終わらない。全国大会常連の王海はこれからなのだろう。

「市原先生は今年で二年目なんですよね。すごいです」

 表彰式の時、本部で仕事をしていたら周りの先生が教えてくれた。やはり強いところの先生というのはそれだけで有名なようだ。

「やー、まだ全然っす。ところで、」

「どうしましたか?」

「この後どうっすか」

 空いている左手を手首だけくいっと動かすしぐさ。なにを言いたいのか一瞬でわかってしまったのも、おとなになったということだろうか。私もとても喉が渇いている。

「…ああ、いいですね」

 その手に見えるはずのないビールジョッキが見えた気がした。



 仕事を片付け、駅前にある居酒屋で乾杯をする。ビールがおいしい。

 仕事柄話す内容を周りには聞かれたくないなと思っていたけど、自然と個室がある居酒屋を選んだ辺りはさすが同業者である。

 改めて自己紹介をする。

 今年で勤務して二年目、一年目からテニス部の顧問をしていて専門は体育なんだ。

 市原くんは突き出しの魚の煮付けをつつきながら、ビールを飲んでいる。いや飲んでいるというより浴びているという言葉のほうがしっくりくるかもしれない。はやくもビールはジョッキの半分しかない。飲み方までバリバリの体育会系だ。「ひとつしか違わないから敬語はいいよ」と言っても「いや、年上なんで」と言われてしまった。体育会系が染み付いているのか、律儀な性格なのか。

「いやー、高山先輩の弟にはやられたっすよ。正直ノーマークでした」

 まずは今日の試合の反省だ。

 それはそうだろう。県大会に出るようになったとはいえ、まだまだ無名の公立校だ。全国大会常連の王海がチェックしているとは思っていない。近隣の学校とはいえ、練習試合もやったことは無いし。手元には公式記録しかないだろう。

「んー、うちはタカしか勝てなかった。よかったら今度練習見せてください」

 全国大会レベルには敵わなかった。一体どんな練習をしているのだろう。

「別にかまわないっすよ。特別なことはしてないっすけど」

 余裕だ。これくらいの心持ちでないと、勝てないということだろうか。

 私立と公立の違いもある。けれど少しでも強くなるなら彼らのためになるなら、私だって力になりたい。それが私にできることなら。

 市原くんは「それにしても」と手元に落としていた視線を上げて私のほうを見る。

「すごいっすよ、あの高山先輩にもう一度テニスさせようって思わせたんすから」

「…どういうこと?」

「俺、先輩はもう二度とテニスやらないって思ってたから」

「…なにかあったの?」

 市原くんはビールを飲み干して、二杯目を注文する。「高瀬さんは?」「あ、まだ大丈夫」さすが細かいところまで気がつく。部活でかなり仕込まれたのだろう。

 大学生ぐらいの店員が個室から出て行く。

「特別なこと…もめたとかケガとかじゃなくて、…情熱ってところっすかね。先輩が高2の夏、中学からずっとダブルス組んでいた先輩が、部活辞めたんすよ。まあ色々事情があったみたいで。高山先輩が口にしたことはないっすけど、やっぱショックだったとは思いますよ」

 ダブルス…この間会った仁科さんのことだろうか。

「それって、仁科さんってひと?」

「あ、知ってんすか。そうっす。先輩たち中学からずっとダブルスやってんたんすよ。俺も一時期ダブルスやってたからわかるんすけど、やっぱ信頼しいていた相手が辞めるってなったら、事情はどうあれ相当ショックっすよ」

 市原くんの言葉で思い出す。

 仁科さんを大切なひとと言った高山くん。

 あ。やさしくてだいじにしたいひとって、もしかして。

「高山先輩はそのまま最後まで部活を続けて、最後の夏も全国優勝したんですけど、大学行ってテニス続けなかったって聞いて納得したっていうか…。高山先輩の代ってめちゃめちゃ強いやつばっかで、そんな先輩たちでも今でもテニス続けているのって、プロになった望月部長ぐらいだし、趣味でもやっているやつほとんどいなくて、なのに一番テニスしないだろうなって思ってた高山先輩がテニスを指導しているなんて信じられないんすよ」

「なんとなくわかる気がする」

 高山くんの学生時代は知らないが、何かに対する強い情熱を、執着心を持っているようには見えなかった。

 いや、そう思っていた。

「だから、先輩にテニスの指導させようって思わせた高瀬さんってどんな人か超興味あったっす」

「興味って…」

 私はなにもしていない。させようって思わせたなんて勘違いしている。

 だって高山くんと会ったのは偶然なのだ。友人のつながりで偶然出会って、偶然彼の弟の担任で、偶然テニスコーチになって。偶然が積み重なって今に至っている。

 決めたのは選んだのは彼だ。

「そしたらあの先輩を歯牙にもかけない感じじゃないっすか。マジこの人すげーって思いましたよ」

 歯牙にもかけないって。市原くんの前では顧問とコーチのやりとりをしただけだ。

 どいつもこいつもひとを面白がって。私はどこにでもいるようなひとだ。

「私は普通だし、興味を持たれるような個性なんてないんだけどね」

「いやいやマジすげーっすよ。あの先輩がベタぼれなんて、王海の時を知ってたら想像もつかないっす」

 本当に、心の底から驚いています、という表情をする市原くん。このひと、くるくる表情が変わる。きっと学校でもよく怒り、よく笑って授業をするのだろう。

「…どんな先輩だったの」

 後輩からみた高山くんはいったいどんなひとだったのだろう。ふと興味が湧いて訊いてみる。

「プレイスタイルはオールラウンダー。ペテン師」

 意味がわからない。その単語から高山くんの姿が想像できない。

 そんな私を置き去りにして、市原くんは指を折って数える。

「いち、に、さん、…四年、一緒に部活やってたんですけど、わりと卒なくこなしていたってのが印象っすかね。来るもの拒まず去るもの追わず、的な」

 なるほど。友人が言っていた付き合ったり別れたりという言葉を思い出す。

 市原くんはにっと笑って言った。

「それだけ高瀬さんのことが好きなんでしょーね!」

 誉め言葉のつもりなのだろうが、いまの私には素直に受け取れない。

「こっちはズタズタなんだけどね…」

「え、なんすか?」

「ううん。なんでもない。…交流分析って知っている?」

「知ってるっすよ。俺だって一応教育心理やったんすから」

「初めはね、高山くんは自他否定のひとだと思ったの。ひとにちょっかい出して反応をうかがうところがあって、まるで中学生と一緒だなって思った」

 だから気になった。だけどそうではなかった。

 彼は強いひとだった。

「あー言われたらそうっすね。でも俺がいたときのテニス部って超キャラ濃いっつうか、教える立場になってみて振り返るとみんな変っすよ」

 どんなメンバーの中で過ごしていたのだろう。

 ひとつの思い出を共有する高山くんの仲間。六年間続けたという王海テニス部。

「…ひとつ聞いてもいい?」

「なんすか」

「市原くんは、テニスを指導したくて教員になったんだよね?」

「そうっすけど」

「それって、テニスに未練があったの?」

 テニスを続けているのは市原くんと、プロになったひとだけだと。さっきそう話していた。

 プロになるくらいならとても強くてそしてテニスが好きなのだろう。好きじゃないとそれを職業にできない。

 テニスをしたいなら、教えたいならスクールだってある。テニスだけを教えたいならその選択肢だってあるはずだ。

 あえて教育を、ひとを育てるということを選ぶには、それなりの理由があるのではないかと。仕事の大半が授業や事務作業に追われるこの仕事。部活を指導したくて教員になるひともいるけれど、それだけではしんどいところもある。

 ひとを育てるという気持ちがないと、この仕事はとても勤まらないと思っている。

 そして育てたいと思う気持ちには自分自身の経験が大きく影響しているのではないかと思うのだ。こんな力をつけて育って欲しい。または自分自身ができなかったこと、悔いが残っていること。それを自分なりに消化するためにやっているのではないかと。

 他の仕事をしているひとに「お前のやっていることは自己満足の世界だ」と言われたこともある。私には否定はできない。そのお節介がなければ成り立たないとも思っている。

 ただ、それだけではできない。

「…なーるほど。わかった。こういうとこが気に入ったんすね」

「なにがわかったの」

「先輩が高瀬さんを好きになったのがちょっとわかった気がします」

「なに」

「いいえ。こっちの話っす」

「なによ、気になるじゃないの」

 だってまるでわからないのだ。彼が私を好きな理由なんて。

「未練っすねぇ…後悔って言葉じゃないとこが、また」

「あ、言いたくなければいいの。気になっただけだから」

 どうしてもということではない。話の流れからふと疑問に思ったことを口にしてしまっただけだ。初対面のひとに踏み込みすぎた。

「いや、大丈夫っす。…うちのテニス部、王海って今少しレベル落ちてるんすけど、俺が中等部入ったころってすんげぇ強かったんすよ。ひとつ上に化け物みたいに強い先輩ばっかで、県大会じゃ十年連続優勝、関東もずっと優勝、全国大会も二連覇してたんです」

 そんなに強い部活だったなんて。

 市原くんはゆっくりとひとつずつ思い出すように話す。

「その練習もはんぱなくきつくて、マジ軍隊かよって思ってました」

 厳しい部活の中で練習する高山くんは想像できない。

「先輩たちが最後の夏に全国制覇できなかったから、俺の代では絶対してやろうと思ったんすけど、できなくて、まあそれで高等部に進学して。高等部ではやっぱり先輩たちはんぱなく強くて、優勝したんすけど、俺の代ではまた優勝できなくて、応援しに来てくれた先輩たちに申し訳なくて頭下げても誰も責めなくて。なんつーか自分の力不足を感じたってか、すっきりしないまま引退しちゃったんす」

「…うん」

「部活引退したらすぐ進路ってなるじゃないですか。それまで俺生活の全部がテニス中心で回ってて、それがいきなりなくなって呆然としているところに周りからはどうすんだって言われて、いやもう将来のことなんていままで何も考えてなかったんすけど、そんとき頭に浮かんだのは最後の試合で。なんかわからないんすけど、俺先生になってテニス部の顧問になるんだって思ってからはもうそれしか考えられなくて」

 言葉を挟めない。相槌も打てない。

 市原くんの強い気持ちに押される。

「俺勉強できなかったし、すんげぇ努力したんです。ここまでくるのに結構ガッツがいったっつうか、半分意地みたいなもんなんすけど、それでも何か気持ちがないと教えられないっつうか教えようと思わないっつうか。だってひとに教えるより自分でやる方が簡単すからね。だからそんな面倒なことをあの高山先輩が選んだってのが、ほんと驚きっすよ」

「……高山くんにもテニスに未練があるのかな」

「俺は先輩じゃないからわからないっすけど、ていうか想像っすけど、未練とか後悔とかで動かないひとだと思うんすよ。それなりに付き合いあるから言えるんすけど、先輩は過去に拘るタイプじゃなくて、未来しか見ていないと思う」

「…そうね」

 市原くんの言葉に頷く。

 彼はいつも前を向いている。

「先輩は自分の利益になることだったらなんでもやるひとっすよ。テニスを教えることがメリットが大きいって思ったからじゃないっすか?」

「…で、その矢印が私に向いているってことなのよね」

「いやーマジすごいっす!超愛されてますね!」

「…今の私には、重い、かな」

 市原くんは初めてちょっと困ったような顔をした。

「先輩と付き合ってるんすよね」

「世間一般的に言ったらそうなるのよね」

「…好きじゃないのに付き合ってるってことっすか?」


「好きか嫌いかって言ったら好き。いや、うん、好きよ」


 初めて、その単語を口にする。

 そうだ。もうはっきりしている。

「じゃあ何が問題なんすか?」

 それは、もう、答えが出ているようなものだ。

 急に黙った私を見て、市原くんはそれ以上追求しなかった。

 ああこのひともとても賢いひとだ。



「や、でもいまの先輩のがいいと思いますよ。試合ん時なんて超生き生きして観てたし。大学入ってからもたまに先輩に会いましたけど、面白くないって顔ばっかしてました。あんな先輩見れると思わなかったっす」

 だから嬉しいんすよ、とひとつ年下の王海テニス部顧問は笑って言った。








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