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I'm OK You're OK 7

 最悪のテンションで突入した2泊3日の寝ずの番は、本当にしんどかった。 

 

 修学旅行は、苦行だ。

 生徒の命を預かっているっていうのに、とうの本人たちはいかにこっちの目を掻い潜って悪さをしようと考えているのだから。

 次から次へとトラブルが発生して、常に脳はフル活動だったのはよかったのかもしれない。


 やはりというかなんというか、ダウンしてしまった。

 代休で本当によかった。

 これくらいのことで体調を崩すなんて、まだまだだなと思う。

 

 私の両親は、単身赴任をすることになった父について母も一緒に関西で暮らしている。

 こどもが大きくなり、自分で生活できるようになったからだろう。一家で引っ越しという選択肢は始めからなかった。

 私も、弟も、その方がよかった。こちらでの暮らしが根付いている。

 私は仕事があるし、弟だって勉強がある。ここにこだわる理由がある。

 実家暮らしだけれども、ほとんど独り暮らしのようなものだ。

 弟は大学が忙しくあまり帰ってこない。寝るため洗濯をするために帰ってきているような生活を送っているので、自分の為の分だけ家事をすればいい。気楽な生活である。

 逆に言うとこういうときは誰も手伝ってくれないということだ。

 朝から熱が上がりっぱなしで、なにもやる気が起きない。ベッドの中でうだうだしているうちに昼近くになってしまった。

 ああ授業の準備をして、家事をして。

 やることは山のようにあるのに。考えることも山のようにあるのに。

 それでもベッドから出る気力がなかった。

 うつらうつらと浅い眠りに入っていたようで、玄関のチャイム音で目が覚めた。時計を見るとちょうど12時を過ぎていた。

 居留守を使おう。とてもじゃないけど出る気力がない。どうせ宅配なら不在届けを見てまた後で連絡すればいいし。

 しかしいつまでたってもチャイムが鳴り止む気配がない。あまりにもしつこいので、ただの用ではなさそうだった。

 ようやく弟かもしれない、と思いあたる。

 弟は理系の学生で、研究に卒論に就職活動に忙しい。最近はほとんど帰ってきていなかった。

 もしかしてうっかり家の鍵を忘れてしまったのかもしれない。

 今日私が家にいることを知っているのは弟ぐらいなものだ。携帯の電源を切っているので、余計に粘っているのだろう。

 仕方なくのろのろと玄関へ向かった。


「電源ぐらいいれといて。心配するなり」

「…ごめん」


 宿泊行事があったので、顔を見るのも声を聞くのもあのとき以来だ。


 今、一番話したくない人が目の前にいる。偶然を装って、忙しいことを盾にして、意図的に避けていたことを、彼は気づいている。

 気づいていて、知らないふりをしていてくれる。

「体調悪いんやろ?」

 携帯の電源を切ってまで電話を避けたのは初めてだった。

 たぶん彼は正しくその意味を理解している。わかった上で言っている。

「…ん」

 悪いのは体調だけなのだろうか。

 続く言葉が出てこない。何を言ってもあとで後悔してしまいそうだ。

 高山くんはそんな私に強く訊かない。黙り込んだ私をじっと見つめているのがわかる。

 突然背中とひざ裏にひとの体温を感じ、同時に視界が縦にぶれた。宙に浮く感覚。

 高山くんに抱きかかえられていた。いわゆるお姫様だっこというやつで。そんなことされたことなくて、驚きすぎて体が硬直する。

「寝といたほうがいいぜよ。部屋どこなん?」

「ええええっ」

「ほら、はよう」

「…階段あがって奥の部屋」

 言い返す元気も暴れる元気もない。おとなしくされるがままだ。

 ぎしぎしと鳴る階段をあがる。

 高山くんは器用にドアを開け、一番奥にあるベッドの上に私をそっと下ろす。その動作が気遣いがたまらなくなる。

 そっと布団を肩まであげて、高山くんは床に腰を下ろした。

 顔が近い。その強い瞳が間近にある。

 すべて見透かされそうだ。

「熱は?」

「はちどよんぶ」

 額にすっと触れた高山くんの手はひんやりしていた。

「熱いのう」

「高山くんの手が冷たすぎるんだよ」

「病院は行ったん?」

「ううん。だいじょうぶ、寝ていればよくなる」

「…何か食べたん?」

「食欲ないし、こういうときは食べない方が回復するんだよ」

「そんな話聞いたことないなり」

「消化にすごいエネルギー使うんだよ。だからそのエネルギーを使って元気になるの」

「すごい理屈じゃ」

「理屈じゃないよ、経験だよ」

「飲みものは買ってきたから、喉が乾いたら言うなり」

 このひとは傍にいるつもりだ。

 看病をするつもりで来てくれたんだ。

 その好意が、嬉しい。嬉しいけど、純一に喜べない。


このあいだのことも一切触れない。

どうしてそんなにやさしいのだろう。 

 どうしてそんなにやさしくできるのだろう。

どうしてわたしはやさしくできないのだろう。

 わたしはどこでなにをまちがえてしまったのだろう。


「なにか、話して」

 沈黙がいやだった。

 なにも聞かない高山くんの優しさが痛かった。優しすぎてどうしていいかわからなくなる。

「何を?」

 高山くんが訊き返す。

「何でも」

 沈黙意外なら何でもよかった。

「……」


 しばらく考え込んでいた高山くんが大きく息を吸った。

「…むかしむかしあるところにひとりの少年がいました」



 かれはきれいなかわがながれるまちでそだちました。

 そのまちはとてもしぜんがうつくしいところでした。

 かれはそのまちをはなれいくつかのまちでそだちました。

 かれはまちをはなれるたびにざんねんなきもちになりました。

 しかしかれはそれがしかたがないことをしっていました。

 かれはそのまちのことばをおぼえることにしました。

 かれはしだいにひとりであそぶことをおぼえました。

 そしてかれはてにすをおぼえました。

 いちばんかんたんにともだちができたからです。

 かれはじぶんがひとよりすこしうまいことをしっていました。

 それにれんしゅうをすればうまくなることがたのしかったのです。

 かれはともだちとあそぶよりもてにすをすることをえらんだのです。


 かれはじぶんがひとつのまちにながくいないことをしりました。

 かれはやがてひとりでいることをえらびました。

 ともだちができてもすぐにわかれてしまうことをしったのです。

 そしてかれをいちばんだいじにしてくれるひとはいなかったのです。

 しかしかれはじぶんをだいじにしてくれるひとがほしかったのです。


 かれはじぶんにやさしくしてくれるひとをさがしました。

 あるときかれはとてもとてもやさしいひとをみつけました。

 やさしいひとはかれにもとてもやさしいひとでした。

 かれはそのひとをだいじにしようとしました。

 けれどもだいじにするほうほうをしりませんでした。

 かれはじぶんにやさしいひとがあらわれるとはおもっていなかったのです。

 かれはじぶんにできるいちばんのことをしました。

 しかしそれはやさしいひとがのぞんでいることではありませんでした。

 かれはじぶんがまちがっていることにきがつきました。

 きづいたけれどももうおそかったのです。

 とてもとてもこうかいをしました。

 かれはやさいしいひとをだいじにしたかっただけなのです。

 けれどそんなかれにたいしてもそのひとはやさしかったのです。



「…それで?」

「それで終わり」

「終わり?」

「終わりじゃ。二人は仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 何を言いたいのだろう。

 抽象的に言っているけど、これはたぶん彼の経験だ。彼のことだ。

 言葉の裏に見え隠れするもの。

 だいじなひと。だれのことだろう。

 かれ、と言っている時点でお姉さんではないのだろう。

 彼がとても大事にしているひと。

 高山くんはなんでこんな大事な話をしてくれたんだろう。

「ねえ高山くん」

 なにを伝えたいの。なにをしたいの。

 私になにを求めているの。

 わかりやすい言葉じゃないと伝わらないよ。伝わらなかったら存在しないのと同じなんだよ。

 そして伝えようともしない私。

 どちらほうが悪いのだろう。

「なんじゃ」

「…ううん。なんでもない」

「なんじゃ。気になるなり」

「ううん、なんでもない」

 私は高山くんの大事なものを見せてもらえる価値があるのだろうか。

 いつまでも心を開かない私に、心を開いてもらえる価値があるのだろうか。


 ずっと考えていた。そして気づいてしまった。

 私が目を背けていたことを。


 一番気づきたくなかったこと。それは、私はひとと向かい合うことを避けていたこと。だれかと正面からぶつかることを、誰かと本気で向かい合うことを、恐れていた。

 それが嫌で、封をしていた。見て見ぬふりをしていた。そんな弱さ、認めたくない。

 だから恋愛を遠ざけていた。

 一対一で向かい合わなければならない真剣勝負。

 取り繕っている自分や隠している自分をさらけ出さないといけない。それがこわくて避けていた。

 だってそうでもしないと自分が保てない。

 今まで必死に作り上げてきた自分を一瞬で見透かされる、絶望。

 わかっている。一番変わらなければならないのは、一番誰かの手を借りなくてはいけないのは、ほかの誰でもない。私なんだ。

 何もできない本当の自分を知られるのが怖くて、周りに助けを頼めない。

 高山くんのことがわかったように思えたのも、私に似ていると思ったから。

 本当の自分を隠して生きているのだと思った。

 でも違った。彼は私と違って、とても強いひとだった。

 隠すこともそれをオープンにすることも自分で選択ができるひとだ。

 私のように誰かの助けを待っているひとではなかった。あのひとは自分から動けるひとだった。

 助けることで私の心を満たそうとした。

 なんという傲慢。

 もうこれ以上私を揺さぶらないで欲しい。これ以上私の中に入ってこないで。好奇心で踏み込んでこないで。

 信じてきたものがすべて崩れてしまいそうだ。

 壊れたあとに何が残っているのだろう。

 壊れたあとの私を、彼が好きだと言ってくれる気が、まるでしない。

 彼は取り繕った私しか知らないのだ。

 本当はこわいのだ。

 想像していたより高山くんの存在が大きくなっている。

 自分とまっすぐに向き合えない私に、恋愛をする資格はあるのだろうか。

 だれかに好きと言ってもらえる価値があるのだろうか。


「…そんな熱っぽい視線をもらってものう。エロいことしたくなるぜよ」

 冗談めかして言っているが、その気持ちにウソはないのだろう。

 彼はこうして本音を冗談になるようにして生きてきたのだろう。そして相手の出方を伺っている。

 なにもしようとしない私は、この関係を壊したくないと思っているずるい私は、無意識でそれを見なかったことにしていたのだ。

「ん…べつにいいよ」

 高山くんの目がまん丸になる。


 それでなにかかわるなら。なにかわかるなら。


「…おまえさん、熱でおかしくなってるぜよ」

「…そうかな」

 そうかもしれない。

「はやく治すなり。試合も近いぜよ」

「そうだね」


 高山くんがこどもをあやすように頭を撫でてくれる。ゆっくり、ゆっくりと。

 それに刺激されて眠気が襲ってくる。


 はやく元に戻りたかった。

 いつもの私に、いつもの高山くんとの距離に。


 でももう戻れないことも、どこか遠くでわかっていたのだった。









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