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I'mOK You're OK4

 久しぶりに部活無しの休日。昼過ぎまでゆっくり睡眠をとろうか買い物に行こうかと悩んで、買い物に行くことにした。服や身の回りのものを揃えたいと思ってターミナル駅まで足を伸ばすことにする。

 百貨店の中のショップを見て回るが、服や雑貨などいまいちぴんとくるものがない。買い物は出会いが大切であるが、それにしてもテンションがあがりきらない。

 靴や服などが欲しいと思って家を出たのに、いざ買い物を始めるととたんに気持ちが下がってしまった。こういうとき、友人と一緒なら、相手の買い物熱に便乗できるのに、と連絡するのを面倒だと思った昨日の自分に後悔した。

 少し気分を変えようかと思って、エレベーターをあがる。何度か来ているパスタ専門店で、昼食をとることにした。 

 少し遅めになったので、ピーク時は過ぎたようだった。混みすぎることもなく適度に席が埋まり、周囲の会話と店に流れている音楽が心地よかった。


 買い物に集中できない原因は、ひとつしかない。

 高山くんのことだ。

 彼はあきらかに私の反応を見て遊んでいる。いらいらするぎりぎりのところまできて、そのラインを踏まない。乗る一歩前にさっと引いてしまう。

 憎たらしいほど、それがうまいので、怒るタイミングを逃してしまう。

 そのひとが本当に嫌がることをしない、そのぎりぎりのラインで反応を楽しむなんて、ほんといい性格をしていると思う。

 注文していた料理が運ばれてきたので、彼のことを考えるのは一旦終了。

 食べるときに余計なことを考えていたら、せっかくおいしい料理もおいしくなくなってしまうし。

 食べることだけに集中し、おいしい料理を食べておなかいっぱいになった私は、気を取り直して伝票を手に取りレジへと向かった。


 今日は服を買うのをあきらめ、本屋に向かうことにした。

 この辺りで一番の品揃えを誇る本屋の、最上階からゆっくり見ていく。

 本の出会いも一期一会だ。目的がないときには色々な本を眺めるようにしている。そうするといままで手を伸ばさなかったような本に、突然呼ばれることがある。

 その本は突然消えたりはしないが、そのときの体調、気分によって手に取るものは同じとは限らない。 

 ひととの出会いで、偶然ではなく必然だと思う。

 出逢うべくして出逢ったのだ、と思っているから、できるだけゆっくりと本の背表紙を眺める。

 仕事関係の本はできるだけ見るようにしていくが、なかなか手が伸びない。

 今日は諦めて雑誌を立ち読みしてから帰ることにしよう。

 と思い新書の棚を半分見たところで、エスカレーターへと向かった。

「綾?」

 その声に思わず振り向く。

 私を下の名前で呼ぶ知り合いなんて数えるほどだ。

「え、高山くん?」

 こんな場所で会うとは思わなかった。

「ひとりなん?」

 きょろきょろと私の周りを見回す。ええ、どうせ休みの日に遊んでくれるようなともだちはいませんよ…。寂しさ二倍になるのでやめてほしい。

「うん、そうだけれど。そういう高山くんもひとり?」

 新書ばかりが並ぶこのフロアーに、高山くんの姿は何か違和感があった。

「いいや…」 

「高山くん、お待たせしました」

 背後から声が聞こえて思わず振り返った。

 本が入っているであろう紙袋を右手に持ち、眼鏡を掛けた男性が、おや、という顔でこちらを見ていた。


 見られてまずいことはしていないけれど、知り合いにあったらいらぬ噂を立てられそう、ととっさに思ってしまい、駅から少し離れた喫茶店に場所を変えることにした。チェーン店のコーヒーショップではないので、生徒と遭遇することは無いだろう。

 飲み物を注文し、一段落したところで、口を開いたのは高山くんの知り合いのひとだった。

「あなたが高瀬さん、ですよね?初めまして、同じ部活で活動していました、仁科です」

 にこりと品がよさそうな笑顔で自己紹介をする。なぜ私の名前を知っている。

 いや、それより。

「部活…?」

「ええ、王海大付属中・高と同じテニス部でダブルスを組んでいました」

「王海!?テニス部!?ダブルス!?」

 ちょっと待て待て、どこから突っ込んでいいかわからない。

 は、マジで、という気持ちを前面に押し出した顔で高山くんと仁科さんを交互に見てしまう。

 高山くんはちょっと呆れたような顔で、仁科さんは「おや。ご存じなかったですか」なんて言っている。

 存じません。そんなこと聞いてないから知りませんって。

 …ああ、そう言えば私を高山くんのいるホストクラブに連れて行った友人も、王海出身だったわ。あの時なんで「どこで知り合ったのか」と聞かなかったのか、と考えて、思い直す。そうだ、あの時高山くんに興味がなくて、とにかく早く帰ることばかり考えていた。

 それにしても王海出身なんて全然思いつかなかった。

 このあたりで一番のテニス強豪校じゃないの…。

「意外すぎて言葉が出ないわ…」

 朝が早く、上下関係も厳しく、帰りも遅い、そんな部活少年だったなんて。

 とてもイメージできない。

「おまえさん、俺を何と思っているぜよ」

 店員が飲み物を運んできた。

 高山くんの前にコーヒー、私と仁科さんの前に紅茶を置いて、キッチンへと戻っていく。

 一呼吸置こうと思って、カップに手を伸ばした。

 勝手な想像でスクールに通っていたと思っていたのだ。テニスだけをしているのだと思った。

 練習という時間の中に、たくさんのルールと複雑な人間関係が詰まった部活というものを、選ばないひとだと思っていた。

 そういうところが嫌いなひとだと思っていた。

「グループに所属するイメージはなかったわ」

 言葉にこめた私の驚きを正しく理解したのだろう、仁科さんが答える。

「いいえ。立派なテニス部員でしたよ」

 初めて会ったときにも感じたけれど、高山くんが持つ雰囲気に、年上の人の匂いがしなかった。年上、先輩などに影響を受けたような気がまったくしない。

 彼は自由で捉えどころがない。礼儀を知らないというわけではないが、それでも彼が持つ独特の雰囲気は、規律の中で育ったものとは考えられなかった。

 部活なんてまさに上下関係の縮図みたいなものなのに。

「…ダブルス…てっきりシングル専門なのかと思っていたわ」

 慎重に言葉を選ぶ。今の私はどんな失礼な言葉が出るかわからない。失礼と感じるのは私ではなく受け取った相手だ。そのようなつもりがなくても、相手がそう受け取ってしまったら、それは私の責任だ。言葉は選ばなくてはならない。

 仁科さんが言葉を拾う。

「彼はダブルス向きです。団体で全国優勝したこともありますよ」

「全国大会優勝!?」

 あああ、そういえば校長室でそういう風に紹介していたかも。あの時は辞職かという気持ちが大きすぎて、聞き流していた。今の今まですっかり忘れていた。

 もうなにがなんだかわからない。

「おまえさん、もう少し俺に興味を持ってもいいなり」

 高山くんが少し拗ねたような声音で言う。

 驚いた。思わず凝視してしまう。拗ねるなんて感情をいままで出したことがなかった、と思う。今日はいつもと違う一面ばかり見ている気がする。

 いままでどこか掴めなかくて、ぼんやりしていた輪郭が少しずつはっきりしていく。

「だって自分のこと話さないじゃないの。てっきり訊かれるのがいやなんだと思ってた」

 私のことを訊くばかりで、めったに自分のことを話さない。だから彼は自分のことを話したがらないタイプだと思っていた。

 現に今だって全部仁科さんが答えているし。

「おまえさんが訊かないからなり。うっとうしいとか思っとう?」

 いやいやそんなことは…少しはあるけど。

 図星です、という気持ちが全面にでてしまったのだろう。面白そうに仁科さんが笑った。

「見てみんしゃい。にぃな、こういう態度とるんよ。ひどいなり」

 にぃな、とちょっと甘えたような呼び方が意外で、そして二人がともに過ごした年月と信頼を感じさせられる。とても自然で、ああ高山くんはこのひとをとても信頼しているんだな、と思った。

 彼にそういうひとがいることが、とても意外だ。

 と突然携帯が鳴った。私の着信音じゃない、と思うと同時に思わず出所を探すように視線が動く。目の前に座る高山くんが上着のポケットに手を突っ込んでいた。携帯を取り出し相手を確認したところで、ため息をついた。

「すまん、店のほうからなり。ちょっと電話してくるぜよ」

「ええ、どうぞ」

 仁科さんの言葉を待たず、立ち上がった。携帯を耳にあて「何ぜよ」と口を開きながら、そのまま店の外へと出て行った。

 高山くんが席を離れたところをぼんやり追って、視線を戻すと仁科さんがカップをテーブルに置くところだった。音も立てず優雅に受け皿に置く姿に感心してしまう。普段そんな風に紅茶を飲む人は身近にいないし。

 沈黙を破ったのは仁科さんだった。

「とても面白い方ですね」

 主語が抜けている。一瞬話が理解できなくて、ちょっと間が空いて、ああ彼のことね、と思い当たった。私と仁科さんの共通話題は彼しかない。

「…高山くんね、とても面白いわ」

 変、という言葉を使いたい気持ちを抑え、ここはあえて面白いという言葉を選ぶ。

 初対面の人に、その友人をマイナスに捉えるような言葉を言うのは失礼だろう、と最低限の配慮だ。 

 私の言葉に仁科さんが笑う。

「高山くんも面白いですけれど、あなたもとても面白い方です」

 思わず眉間に皺が寄る。

 ダブルスをやっていたと言っていたけれども、パートナーは考えが似るのだろうか。

「高山くんにもそれ言われたんですけど、私普通ですよ」

 いままで生きてきて、こんなに面白いなんて言われたことはなかった。何か勘違いしているとしか思えない。

「いいえ。とても賢い方です」

 仁科さんの方が賢かろう。さっき医者を目指しているって言っていたくらいだし。

「…はぁ」

 上品そうで賢そうな仁科さんに誉められても、いまいち納得できない。どう考えても社交辞令でしょう。

 よほど納得のいかない顔をしていたのだろう、柳生さんが話を変える。

「高山くんの指導はいかがですか?」

「すごいです。的確で、部員たちはすごく慕っています。毎日来てくれるし、なんていうか…ちょっと意外です」

 これくらいは言ったって大丈夫だろう。

「不真面目そうに見えましたか?」

「…ええ、まあ」

 否定はしないけど。

「高山くんはテニスにまじめでしたよ」

 仁科さんは少し遠くを見つめるような目で言葉を続ける。一緒にすごした日々を思い出しているのだろうか。

 ああ。やっぱりそうなんだ。

 高山くんはテニスに対してとてもまじめだ。

 そしてそれを知っている仲間が高山くんにはいるのだ。

「…毎朝のモーニングコール、止めるよう言ってくれません?」

 わかっているけど。ひとの忠告を聞くような性格でないってことぐらい、短い付き合いでもよくわかっている。

それでももしかしたらこのひとの話は聞くのではないかと思ってしまう、そんな雰囲気がある。

「意外ですね。諦めることばかりの高山くんがそんなに執着をみせるなんて」

 その言葉が意外だ。

「諦める…」

 確かに何かに執着するような性格には思えないけど。

「たぶん、彼の周りにはいないようなタイプだったんじゃないですか。だから珍しいのかと」

 珍しくて面白がっているような気がしてならない。

「電話でお話は聞いていました。他人に興味の薄い高山くんが、あなたには拘っています」

「…迷惑です」

その言葉に仁科さんは少し驚いた顔をして、それからにこりと笑う。

「そういうところが気に入っているところかもしれませんね」

「勘弁してほしいんですけどね」

 緩やかに友人としての付き合いならとても楽しいだろう。機転が利くし、賢いし、私にはない見方を持っている。けれど、高山くんはふいにナカに踏み込んでくるところがある。

「高山くんは素直ではありません」

「それは…なんとなくわかります」

 だから困ることもある。

 カップを両手で包みこむように持つ。温くなった紅茶の温度が指先に伝わる。カップの中で波打つ紅茶のように、私も動かされる。

「高山くんをよろしくお願いしますね」

 こちらが指導をお願いすることはあっても、お願いされることは何一つない気がする。

 と返すと、仁科さんは「素直ではありませんが、かわいいところもあるんですよ」とにっこり笑って言った。

 かわいいところ、ねぇ…。


 仁科さんはこのあと用事があるようで、駅で別れることになった。

 送るといって聞かない高山くんに押し切られて、一緒に電車に乗り込む。

 こうして頑として譲らないことがあるのに、こちらがびっくりするほど身を引くこともある。

 テニスの指導や、私との会話の中で、おや、と思うことがあった。

 盛り上がっている場で、ふらりと輪の中から抜け出す。

 物理的にその場から離れるのではなく、気持ち的にすっと後ろに引いている場面を何度も見た。

 周りが気づかない程度に、違和感を悟らせない程度に。

 その加減が、タイミングが絶妙で、長い間そうやって他人との距離を取っているのだと思っていた。


 心理学理論に交流分析というものがある。

 精神科医エリック・バーンが提唱した理論で、人間関係や人の行動を理解するための理論体系である。個性を自由に表現しながら、周囲と健康的に関わることがよりできるようになることと、自立性の向上を目指しているものである。

 その交流分析には7つの分野がある。

 そのなかのひとつに人生態度というものがあり、基本的な構えとして四つのパターンがある。

 人生態度は、自他肯定、私もOKであなたもOKという姿勢を理想的な構えとして考える。あるがままの自分を受け入れ、また他人もそれを受け入れる。ひとを利用しない、ひとに利用されない。他者がいて自分がいるのだとわかっている状態だ。

 それに対し、自己肯定・他者否定は私はOKだがあなたはOKではないという考えで、その考えが強いと自分に合わない人や状況を排除しようする排他主義になったりする。

 自己否定・他者肯定は、私はOKではないが、あなたはOKという考え。劣等感コンプレックスを感じたり、ひとと付き合いたいと思うが自己卑下や劣等感が強く、私はOKというひとと一緒にいると不安になって逃げ出してしまう。

 自他否定、私もあなたもOKでないという考えは、ひととのかかわりを閉鎖し、破壊することが多い。たとえば他人との交流することをやめてしまったり、人生を無意味に感じたりする。または常に愛情を希求する。相手がずっと自分のことを気に欠けてくれるかどうか常に確かめずにはいられない。


 高山くんは常にこちらの出方を伺っている。

 言葉で、行動で、私がどう反応するのか見ている節がある。どこまでなら許されるか、どこまでいったら許されないのか。そういう姿勢が、無意識でやっていることが、この最後パターンに少し似ていると思った。

 愛情を試している。

 中学生と一緒だ。

 信じたいけど信じるに足る人物か疑っていて、素直になれなくて反発してばかり。こちらが怒るとうっとうしそうにするくせに、いざ相手をしなくなると傷ついたような目で見てくる、無意識で愛されたいと思っているそんな中学生にそっくりだった。

 そう思ってしまったときから、なぜか突き放すことができなくなってしまった。

 

 昔からなぜかそういうひとを見つけるのが得意だった。

力になれることはできない。手を貸すほど優れた能力を持ってはいない。

でも見過ごすこともできなかった。

 何か私にできることがないかと模索しているが、答えはまだ見つかっていない。


 ぼんやりと考え事をしていたので、電車の揺れに備えていなかった。

 大きなカーブに差し掛かったところでバランスを崩し、頭からドアに突っ込むような姿勢になった。

「…あぶないぜよ」

 ごつんという衝撃のかわりに、強い力で高山くんのほうに腰から引き寄せられた。高山くんの顔がすぐそばにある。

「ああ、ありがとう」

 ふと視線を腰に落とし、腰に回された高山くんの腕を見て何かしっくりこない。

 何だろう。

 あ。

「ああ、何だか感じていた違和感はこれだったのか」

「何ぜよ?」

「うーん、今思えばたくさんのサインを見ていたはずなのに、なんでもっと早く気づかなかったのかな、ってちょっと自分が情けなくなっただけ」

「だから何ぜよ」

 話が見えなくてちょっと苛立ったような声になる。

 咄嗟に私の腰に伸びたのは左腕だった。

 そうか高山くんは左利きだったのか。

「ラケット持っているときは右だったよね。そういえば荷物とか左で持っていたわ。左利きだったってことを気づくのが遅かったなと思って。手加減しているの?」

「両方使えるだけじゃ。べつに手加減とかしとらん」

「…ごめんなさい。そうよね、失礼なこと訊いたわ」

 真剣に指導していると知っているのに、何て失礼なことを言ってしまったのだろう。

 高山くんはテニスに真剣だ。

 先ほど柳生さんにも言われたのに、知っていたことなのに、自分の迂闊さを呪いたくなる。

「仁科さんは、高山くんのことをよく知っているのね」

 

 いつも些細なことを拾って大事なサインを見落とす。

 まだ見落としていることはないのだろうか。


「仁科はとても大切なやつなり」

「うん…そうだね。彼もまた、あなたをとても大切に思っているのが、よくわかったわ」

 誰かをとても大切にする。

 簡単なようですごく難しいことだ。

 他人から影響を受けないような高山くんに、大切にするひとがいるなんてとても意外だった。

 窓から流れる景色を見つめながら、私はこのひとを全然理解していないんだなと改めて痛感した一日だった。


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