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 「号令!」

 ざわつく教室内に響くようにいつもより腹筋に力を入れて声を出す。本日の日直が椅子から立ち上がり声をかける。

「起立」

 習慣というより反射のレベルで、教室内の生徒が椅子を引いて立ち上がる。かばんを肩にかけてフライングして教室を飛び出そうとしている野球部の生徒を睨んで名字を叫ぶ。注意されたらやべっという顔して席に戻る素直さがあるのだから、やらなきゃいいのに。毎日毎日同じことをしているのにまったく懲りていない。

「礼。さようなら」

 日直の合図でクラス中の生徒も「さようなら」と挨拶をすると、教室内が一気に騒がしくなった。

部活に走っていくもの、帰宅するもの、教室内で話をしているもの、着替え始めるもの。みんなクラスという枠から離れて次の活動場所へと移っていく。

 教卓の前を通ったバレー部の女子が、「先生さようなら!」と挨拶をして走っていった。

「こらー走らない!」

 急いでドアの方を向いて叫んでも、当の本人はすでに教室を出て階段を駆け下りてしまった。

 やれやれと思って、教卓の上を片付け始める。配布プリントの余りをまとめ、授業中に出さず横着して今提出されたノートを重ねていると、「先生ー、お母さんが家庭訪問の時間変えてほしいって」と一番後ろに座っている女子が駆け寄ってきた。

「了解。いつが――あ、タカ!」話し始めようとして、視界に一人の姿が横切った。今まさに教室から出ようとする男子を呼び止める。

「ごめん、部長に伝言!新しいボール来たから職員室にとりに来てって言っといて!」

 男子テニス部のタカは、まじめで人当たりもいいとてもできた生徒である。部活内でもクラス内でもほんとうに助けてもらいっぱなしだ。

「わかりました。伝えておきます」

 テニスもうまくてきちん正しい言葉遣いもできる。あれだけ手がかからない中学生ばっかりだったら、仕事も少しは楽になるかも…と思ってしまうときだってたまにはある。

「ねー先生、まだ彼氏できないの?」

 あーもう、君は家庭訪問の話をしに来たのではないかね。

「秘密ですー。はいはいはやく希望の時間を言って。私これから部活なんですけどーはやく職員室に戻りたいんですけどー」

「ちょっと待ってよー」

 面談の話や進路や部活、はたまた昨日見たテレビの話までしてしまったので、結局いつものとおり職員室に戻る時間が遅くなり、しわ寄せとしてほとんど部活に顔を出せなくなってしまったのである。



 毎日が戦争である。

 中学教師として3年目にして初めて受験生を持ち、それまで以上の忙しさで目が回りそうだ。

 とにかくわけもわからず走りきった一年目。一通りの仕事がわかったところで初担任の二年目と過ぎ、今年はいよいよ受験生のクラス担任だ。

 昨年持った学年だから、生徒の様子も、一緒にやっていく学年の先生の性格などもわかる分、右も左もわからない状態よりは恵まれている。とはいえやっぱり中学三年生は想像以上に大変だ。

 授業参観に家庭訪問、定期テストに実力テスト、運動部では最後の大会があったりと、まだ4月の下旬だというのに次々とやってくる行事に戦々恐々だ。

 教科指導に学級経営、部活指導に進路指導。

 やることは山のようにある。

 しかも今年は、なんと部活の主顧問になってしまった。

 今までは男女テニス部の副顧問として、テニス経験者の先生にほとんど指導をお任せしていたのだが、病気で休養に入られた男子テニス部顧問に代わり、副から主への嬉しくない出世をしてしまった。

 テニス部顧問になるまで、テニスをやったことがなかった。一年目は生徒の名前とルールとテニスの基本を覚えるのに必死だった。部活終了後、主顧問の先生に指導していただいたり、貴重な休みの日にレッスンを受けに行った涙ぐましい努力を評価してほしいほどだ。二年目は基本ができてきた分、新入生に基本指導をしたり、少しずつゲーム展開を勉強し、大会エントリーや練習日程を組んだりと事務作業を教えてもらった。ようやく一通りの流れを理解し、今年は初めての受験生だし無理なことは頼まれまいと思っていたのに。

 まさかの事態である。


 テニスコートに入り声をかける。

「集合!」

 それまで各自練習や玉広いをしていた生徒が、一斉に集まってくる。2,3年合わせて30名弱。仮入部の一年もそれに倣って、一声で集まるよう、きっちり先輩から指導されている。主顧問の指導の賜物だ。

「明日は授業参観なので部活はありません。新入生の仮入部は今週いっぱいです。来週以降のスケジュールは今週金曜に配布します。以上。解散」

「ありがとうございました!」

 ぱらぱらと動き始める。二年は一年に片づけを教え、三年は自主連を始めている。

 うちのテニス部は、ここ数年力をつけていて、昨年は地区大会を突破し県大会に進んでいる。 

 今年最後となる三年生は、入学してから私と一緒にテニスをやってきた。指導に自信がない分、いつもみんなと一緒に基本練習も体力作りの外周も一緒にやった。辞めていく生徒がいると、そのつど悩んだ。生徒が試合で負けて涙を流すたびに、勝たせてあげられなかったことを悔やんだ。

 最後の夏、今まで着いてきた指導者が代わってしまった。彼らの心中は穏やかではないだろう。

 スポーツだから、勝敗から逃れられない。でも、一つでも多く勝たしてあげたいな、と思う。

 そんな彼らのために、私にできることは何だろう。



 てことをぼんやり考えていたらあっという間に授業参観である。

 私の周りの時間だけいきなり進んでしまったのではないかと思うほどである。

 今年初めて、プラス、中三の授業参観。

 来校する保護者は去年の参観よりも多いんだろうな、と改めて気持ちが引き締まる。

 昨年度から引き続き担任をしていて顔見知りの保護者はいるけれども、それは少数で。

 この参観がお互いに初めて顔を合わせる瞬間だ。

 できればいいスタートを切りたいと、誰だって思うはずだ。

 少し早めに教室に入る。教卓の前の生徒が「先生いつもと比べておしゃれしている」なんてちゃちゃを入れてくる。当たり前だ。普段生徒を追っかけ回すことが仕事のようなものなんだから、スーツなんて着ていられない。

「はい、授業開始まであと1分!今日は張り切らなくていいからね。いっっつもどおりの姿をお家の人に見てもらうのが目的だからね」

 元気でクラスのムードメーカの男子が「俺、いつもどおりにするぜ!」と言うと、クラス全体が笑い声に包まれた。


 無事に授業は終了。すぐに生徒を下校させるため、一旦下足まで見回りに行く。

 途中昨年から継続して担任をすることになった生徒の保護者に声をかけられた。

「先生、今年もお願いします」

「いよいよ三年生ですね。こちらこそ、よろしくお願いします」

 私より年上の方に「先生」と言われ頭を下げられるのは、まだ少し慣れない。一年目のルーキーだって定年間近のベテランだって、同じプロだ。今持てる全力を尽くしているが、どんなに努力をしても、経験は時間とともに比例するしかない。指導がその生徒に合っているかどうかは、今の私には判断が難しい。経験というのは、とても強い見方だ。

 だらだらとともだちとしゃべっている生徒を校門の外まで誘導し、職員室に戻って机の上にある懇談資料を手にする。

 下校指導は副担任の先生にお任せし、階段を上りきって自分の教室へと向かおうとしたところだった。

「高瀬先生」

そう呼ばれて、何気なく、本当に何気なく振り返ったのだ。

「な、なんでここにいるの!」

 服装が違うとはいえ、見間違えるはずもなかった。

 だってここは中学校で。あの場所とは無縁の、それこそ対極のような場所で。

彼は、もう二度と会わないと思っていた高山くんは、ジーパンのポケットに手を突っ込みながらにこにこと笑っている。

「な、な、なっ!」

「いつも弟、タカヤママサタカがお世話になっています」

 あの独特の方言ではなく、きれいなイントネーションで、それこそ畏まって頭なんて下げている。彼の特徴的なしっぽのような髪がぴょこんとはねた。

「タカヤママサタカ…?ってうちのクラスのタカ!?」

あ、思い出した。そうだ昔、不思議に思ってタカに聴いたことがある。なぜ周りの生徒は高山雅貴のことを「タカ」と呼ぶのかと。

 普通愛称は名前を短くしたり音で呼んだり。だからなぜ四文字ある名前の後半が愛称なのかと。あのとき彼はこう言った。「マサは兄と同じ文字なので、家では兄がマサ、僕がタカって呼ばれているからみんなもそう呼んでいるんです」と。

そしていまの今まで忘れていたけど、ていうかタカの名前を聞いて思い出した。そうだこのひと「タカヤママサハル」って名乗ったわ。

 普段めったにタカのこと高山って呼ばないから思いも寄らなかった…。

 ああ、よく見たら目元がそっくりだ…。


 一瞬にして色々なことが駆け巡り、そして気が付いた。

って、まずいまずいますい!

 担任がホストクラブに行ったことを、生徒の保護者(兄だけど。そしてそこのホストだけど)に知られているなんて。

 昨今の教育事情では些細なことでも問題に挙げられ、少しでも外聞の悪いことが起こると社会的にもんのすごく厳しいんだって。これどうみてもまずい状況でしょう。


 非常にまずい。


 まさかの事態に頭が真っ白になっていると、

「あと、ウソやない正しい番号も教えてくれるんやろ?」

 とにやりと笑って一枚の名刺をひらひらさせている。ああ、あれってどう見ても私がウソで書いた携帯番号のやつだよね…。


 最悪な状況だけれども、本当に最悪な状況だけれども、他の保護者が学級懇談のために全員教室に入っていたのが、どん底の中の最後の救いだった。このやりとりすら聞かれていたらと思うと…。

 いやきっとそれも全部含めて高山くんは仕掛けてきたのだろう。彼はとても賢い人だ。誰も邪魔が入らない、懇談前の一瞬の隙を付いて。

 これだけ周りをふさがれて、もう残っている道なんてひとつしかない。


「…すみません、高山さん。相談事でしたら今では何ですので、懇談後にお時間いただけますか?」

 この後のことを想像してため息しかでない私とは正反対に、口元が上がる彼。満足そうな高山くんは「わかった」と言って後ろのドアから教室へ入っていく。

 学級懇談にも出るつもりなのかよ。呆然とそれを見ながら心の中で力なく突っ込んでしまう。


 ああ、本当にどうしよう。

 仕事と結婚したはずなのに、仕事のほうから離婚を申し込まれそうだ。




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