神の創造した3分間。
※作者はアホです。
3分とは、神の創造した絶対時間。
どんな人間も反逆を許されないその時間とは――そう――カップラーメンの待ち時間だ。
パックリと蓋を開けると、スナック菓子のようにゴロゴロと素材が転がっている。フフン、と自然と笑みが溢れてしまうが、決してそのまま口に放り込んでやろうという不埒な思考に陥ったわけではない。
確かにそのまま食しても美味い。だがこんなところで妥協していては、決して真の美味しいカップラーメンには到底たどり着くことはできないだろう。
そう、ここは我慢の時。ここで一個でも舌の上で転がしてしまえば、完全体ではなくなってしまう。今このときを我慢できなければ、最上の美味しさとはいえないのだ。
俺はケトルを傾けて、カップラーメンにお湯を注ぎ込む。そのお湯は勿論沸点を超え、湯気が立ち上っているかなりの熱々だ。中途半端な熱さなど冷水に等しい。適温など生温い。
最も重要ともいえるのが、お湯の温度。
適当な熱さでもいいのではないかと提言する初心者もいるだろうが、思い出して欲しい。誰だって麺が硬すぎて失敗した経験だってあるだろう。それに、適温で温めてしまったら、ただのふやけた麺とスープに過ぎないはずだ。
熱々。
そう、とにかく熱ければ熱いほどカップラーメンは上手くできているというのが、この俺の持論。カップラーメンの真髄の全ては、この温度にかかっているといっても過言じゃない。
内側に書かれている線までキッチリと入れる。濃いめが好きな自分としてはここはお湯を少なめに入れたいという衝動もあるのだが、何百と数を重ねるうち。規定通りにお湯を入れるのが、最善だということに気がついた。
メーカーは巨大企業であり、ある意味では体制側に膝を屈するような形になって情けないこと極まりないが、背に腹は変えられない。俺のちっぽけなプライドなんてどうでもいい。
美味く食えるか、そうじゃないか。
たったそれだけのことなんだ。
購入した際についていた、ふた留めシールを活用して蓋を閉める。このシールは本当に画期的だ。昔はこんなものおまけでついていなかったが、今となってはこのシールなしでどうやって蓋を閉めていたのか思い出せない。
――そして、これからが本当の試練の始まりだった。
3分。この3分間をどうやって過ごすかによって、待つ人間の人間性が問われる。ちなみに俺は時計から片時も目を離していない。
漫画やテレビを鑑賞しながら待つような愚者も、恥ずかしながら周りにいるのだが、はっきりいって正気の沙汰とは思えない。
馬鹿なのか。もしも3分間を過ぎてしまったらどうするというのだ。麺が伸びてしまったら? そんな最悪の不幸が身に起きてしまえば、今まで築き上げてきたタクティクスと、今まで奥歯を噛み締めながら続けていた辛抱は水泡と帰す。
目まぐるしく時計とカップラーメンを交互に眺めながら、その時を待つ。そして、美味を約束されしその刹那を見逃さずに、ビリッと蓋を完全にご開帳させる。
もくもくとした湯気とともに現れたのは、今までの苦労に見合うだけの最高のカップラーメン。鼻腔に漂う匂いが美味しさを物語ってくれている。
定石としてはこのままスープを飲むことが、ラーメン通としてのあり方だとは理解できている。だが、ここは敢えて麺から食べさせてもらう。
なぜかと問うか。
それは、俺が猫舌だからだ。
猫舌の癖に熱いラーメンが好きだからだ。好みの問題というだけでなく、本当に料理をおいしく食べられるのは熱い時だから、しかたがない。
フー、フー、と吐息を吹きかけてズルズル音を立てて啜ると、そのラーメンは普通にカップラーメンの味がした。
店で食べるような最高に舌鼓を打つようなものではないが、ただそれを食べただけでほっとするような――そんな普通のラーメンを俺は愛していた。