【短編小説】ぼくらは死ぬようにデザインされている
男は六十三歳になった今も、同じ問いを持ち歩いていた。
鞄の中に財布と定期券を入れるように、その問いをずっと持ち歩いていた。重さはない。しかしたしかにそこにある。指で触れることはできないが、ふとした拍子に存在を主張してくる。
人はなぜ、生まれ、そして死ぬのか。
問いと出会ったのは中学二年の秋だったと思う。祖父が死んだ。静かな死だった。眠るように逝った、と大人たちは言った。しかし男には、それが眠りとは全く別のものに見えた。祖父の顔は穏やかだったが、そこにはもう何もなかった。先週まであれほど饒舌だった人間が、今は一言も喋らない。それが不思議で、恐ろしくて、しかしどこか圧倒的に美しかった。
美しいと感じたことに、男は長い間、罪悪感を覚えていた。
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六十三歳の男は、病院の待合室にいた。
定期検診だった。癌でも何でもない、ただの血液検査と血圧測定のための訪問だ。しかし待合室というものは、どういうわけか人を内省的にさせる。白い天井、消毒液のにおい、番号を呼ばれるのを待つ人々の沈黙。
隣に老婆が座った。九十歳は超えているだろう。小さく縮んだ体で、しかし背筋だけは妙に真っ直ぐだった。
「お待ちですか」と男は言った。
「ええ」と老婆は答えた。「もう慣れましてね」
「何に、ですか」
「待つことに」
老婆は笑った。シワがさらに深くなった。「あなたはまだ若い。待つことが苦手でしょう」
男は否定しなかった。実際そうだったから。
「私はね」と老婆は続けた。「若い頃は早く答えが欲しかった。何の答えかは、うまく言えないけれど」
男は少し体を向けた。「今は?」
「今は」老婆は少し考えた。「答えより、見ていたいと思うようになりました。まだ見えていないものが、たくさんある気がして」
番号が呼ばれて、老婆は立ち上がった。ゆっくりと、しかし迷いなく歩いた。
男はその背中を見ながら、岡潔のことを思い出した。数学者でありながら、晩年は「情緒」こそが人間の核心だと言い続けた人。答えを証明することに人生を捧げながら、最後は証明できないものに向かっていった人。
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男には、長年の習慣があった。
気になった人物を徹底的に調べること。
本で何かに出会う。腑に落ちる。しかしそれで終わらない。次に、その考えを生んだ人間が気になり始める。どんな時代に生き、何を見て、なぜそこへ辿り着いたのか。
妻にはよく笑われた。「あなたは本を読んでいるんじゃなくて、人を読んでいるのね」と。
それは正確だと男は思った。思想そのものより、思想が生まれた瞬間の人間の顔が見たい。なぜこの人はここまで考えられたのか。何がそうさせたのか。
宮沢賢治は死の直前まで詩と農業と宗教を行き来し続けた。種田山頭火は家も職も捨てて歩き続け、句を残した。尾崎放哉は孤独と貧困の中で、しかし最後まで言葉を手放さなかった。
彼らが偉大だったから尊敬しているのではない、と男は思っていた。彼らが最後まで自分の見たいものを見ようとし続けたから、尊敬しているのだ。
その違いは、傍目には些細に映るかもしれない。しかし男には、決定的な違いに思えた。
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テロメアのことを知ったのは、四十代の後半だった。
染色体の末端にある、いわば命の紐。細胞分裂を繰り返すたびに少しずつ短くなり、やがて分裂できなくなる。老化とはこの過程であり、死はその帰結だ。
興味深かったのは、これが「設計された」ものだということだった。単細胞生物は、理論上は不死に近い。自分の完璧なコピーを作り続けられるから。しかし多細胞生物は、ある時点から死ぬように作られている。進化がそれを選んだ。
なぜか。
個体が死ぬことで、世代が交代する。世代が交代することで、環境への適応が加速する。つまり、個の死は種の存続のための仕組みだ。
男はこの説明に、一時期、強く惹かれた。美しいと思った。個の犠牲が全体を生かすという構造が、どこか崇高に感じられた。
しかし時間が経つと、別の問いが浮かび上がってきた。
それは「仕組み」の説明だ。なぜ死が「ある」かの説明だ。しかしそれは、なぜ死が「こわい」かの説明ではない。なぜ死の前に「私」という感覚があるのかの説明でもない。
メカニズムが分かっても、問いは消えなかった。むしろ問いは、より深いところへ移動した。
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男は「老年的超越」という概念を、五十代で知った。
スウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが提唱した理論だ。高齢になると、自己と他者の境界が薄れ、時間の感覚が変容し、宇宙的なつながりを感じるようになる人がいる、という。
それは宗教的な話でも、ボケの話でもない。認知の様式そのものが、老いによって変わる可能性があるという話だ。
男はこれを読んだとき、奇妙な興奮を覚えた。
老いが、単なる衰えではないかもしれない。見えていなかったものが、見えるようになる過程かもしれない。
だとすれば、老いは恐怖ではなく、未踏の領域への移行だ。探検家が山の向こうを知りたいように、男は老いた自分の認識を知りたかった。
今の自分には見えていない何かが、そこにあるかもしれない。
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待合室の番号札が、また一つ進んだ。
男は窓の外を見た。病院の庭に、銀杏の木が一本あった。葉はまだ緑だったが、端のほうがわずかに黄みを帯びていた。
問いは、まだ答えが出ていない。
人はなぜ生まれ、死ぬのか。個として生きるとはどういうことか。有限な時間の中で、本当に見たいものを見ようとし続けるとはどういうことか。
答えは、まだない。
しかし男は今、かつてほどそれを焦っていなかった。
焦りがなくなったのは、諦めたからではない。問いを手放したからでもない。
ただ、探求そのものの形が、少し変わってきた気がしていた。
若い頃は、答えを「収集」しようとしていた。正しい答えを、早く、できるだけ多く集めること。しかしいつの頃からか、答えへの向かい方が変わってきた。答えに近づこうとしているというより、答えが見える場所へ移動しようとしている感覚に近い。
窓を増やすような作業だ、と男は思った。
哲学は一つの窓だ。科学は別の窓だ。文学はまた別の窓を持っている。それぞれから見える景色は違う。どれかが正しくて他が間違いというわけではない。窓の数が増えるほど、見える世界の輪郭が少しずつ、はっきりしてくる。
老いもまた、一つの窓かもしれない。
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番号が呼ばれた。
男は立ち上がり、診察室へ向かった。
廊下を歩きながら、ふと思った。
もし自分が八十歳になって、人生を振り返るとしたら、何を言うだろうか。
成功したとか、幸せだったとか、そういう言葉は出てこない気がした。
おそらく自分が言いたいのは、もっと地味なことだ。
自分が本当に知りたかったことを、最後まで見失わなかった。
それだけで、十分だと思う。
答えは見つからなかったかもしれない。しかし探し続けた。窓を開け続けた。見ようとし続けた。
それが、自分にとっての一つの納得になるような気がしていた。
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診察室のドアを開けると、若い医師が書類を見ながら座っていた。
「お待たせしました」と医師は言った。「では、少しお話を聞かせてください」
男は椅子に座り、静かに答えた。
「はい。聞いてください」
窓の外で、銀杏の葉が一枚、風に揺れた。
(了)
※作中に登場した人物について
宮沢賢治(1896~1933)
詩人・童話作家 / 岩手県
「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などで知られる。農業技術の普及にも尽力しながら、仏教・科学・芸術を横断し続けた。37歳で没するまで、思想も作風も変わり続けた。「完成した人」ではなく「変容し続けた人」の代表として短編に登場する。
→ 短編中の位置づけ:最後まで問いを手放さなかった人の象徴として。
種田山頭火(1882~1940)
俳人 / 山口県
定型を破った自由律俳句で知られる。家業の失敗・離婚・出家を経て全国を行乞行脚。「分け入っても分け入っても青い山」など、孤独と漂泊を詠み続けた。答えを所有するのではなく、歩きながら見続けた人。
→ 短編中の位置づけ:定住を捨て、歩くこと自体を生とした人として。
尾崎放哉(1885~1926)
俳人 / 鳥取県
東大卒業後、保険会社に勤めるも酒に溺れ職を転々。最晩年は小豆島の寺男として極貧の中に生きた。「咳をしても一人」など、孤絶の中から生まれた句は今なお読み継がれる。「解決した人」ではなく「見続けた人」の声がある、とインタビュー対話の中で言及された人物。
→ 短編中の位置づけ:人生が失敗や欠落に満ちていても、見ることをやめなかった人として。
岡潔(1901~1978)
数学者 / 大阪府
多変数複素関数論の難問を独力で解決した世界的数学者。しかし晩年は「人間の核心は情緒にある」と語り、数学以上に人間精神の問題を論じ続けた。証明できるものを追いながら、最後は証明できないものへ向かった逆説的な生涯。
→ 短編中の位置づけ:答えを証明することに人生を捧げながら、最後は証明できないものに向かった人として。
ラルス・トルンスタム(1943~2016)
社会学者 / スウェーデン
「老年的超越(gerotranscendence)」理論を提唱。高齢になるにつれ、自己と他者の境界が薄れ、時間感覚が変容し、宇宙的なつながりを感じやすくなる人がいる、という現象を研究した。老いを「衰退」ではなく「認識の変容」として捉える視点を与えた。
→ 短編中の位置づけ:老いが「未踏の認知領域への移行」かもしれないという主人公の希望の根拠として。




