【2】
*
黒騎士の攻撃を辛うじて躱したソーは、後方に跳んで距離をとった。光錘を失ったのは痛手だった。丸腰で敵う相手ではない。
すぐに追撃がくると思ったが、黒騎士はさして興味なさそうに光錘を持つ手を下げた。さっきからずっとこの調子だ。そうでなければ、今頃とっくに命を奪われていただろう。どうやらこいつは、本気で俺を殺したいとは思っていないらしい。だが、こちらはそうもいかない。弟たちを無残に殺し、レイの救助を阻もうというのなら。
とはいえ、力量差は明らかだった。奴にとっては、こちらなど子猫をいなすようなものなのだ。聖堂騎士たちは全員やられてしまった。最後まで無事だった副団長も、さっき胸に一撃を受けて倒れたきり動かない。息があるかどうかを確かめる余裕もなかったが、今やこちら側で立っているのは騎士団長と自分、そしてツェルだけだ。
恐怖がソーの背筋を凍らせる。
だが、退く方がもっとずっと怖かった。騎士団長やツェルを、目の前で殺させるわけにはいかない。それなら、丸腰でも抵抗している方がましだ。素手でも光糸をうまく使えば足止めくらいできる。
だらりと腕を下げた黒騎士は、油断だらけのようでいてまったく隙がない。ソーは間合いを計りかねていた。騎士団長もまた攻め込むタイミングを掴めずにいる。
黒騎士は頭上のレイをちらと見上げ、後ろに庇ったカイアに声をかけた。
「それで、きみの目的は達成できたのか。スナも弱ってきたようだ。このつまらん茶番もそろそろ終わらせたい」
カイアは火を噴く銀色の道具を撫でながら不機嫌そうに応じた。
「あいにくと。もっと絶望してくれることを期待していたが、単純に悲しむばかりだ。自分は周囲から必要とされていると信じている。神か運命かはしらないが――あくまでこう言いたいようだ。『生命の重さは、生まれ落ちたその瞬間から定められている』と」
「ごく一部の『望まれた者』しか生きる価値はないということか。千年前と何ら変わらんな。我々の辿り着いた答えはやはり正しかった。変化など望みようもない。ならば神々の世界も、彼らの創り出したこの歪な世界も、すべて弾き出された我々の手で、無に帰すのみ」
「おまえ、まさか、『ハフラム』について知っているのか。おまえもツェル同様に、巨き世界からやって来た者か」
黒騎士の視線が、問いを投げかけたソーを射貫いた。目庇に覆われた目からは憎悪とも憤怒ともとれぬ激情が迸る。
無言の黒騎士に代わって応じたのはカイアだった。
「彼はきみと同じく、この世界の者さ。ハフラムについては僕が教えたんだよ、きみがリァンから話を聞いたようにね。運命に弄ばれてきた者たちにだって、己が身に何が起きたか知る権利くらいはあると思うだろう? まして自分の死んだ理由くらいはさ」
「自分の死んだ理由だって?」
「黒い騎士、あなたはどうしてエル先輩に協力しているの」
いつの間にかツェルが戻ってきていた。目は真っ赤に腫れているが、泣いてはいなかった。けれども悲壮な表情は痛々しいほどだ。
*
ツェルはソーの隣に立った。咄嗟にツェルを庇うように伸ばされたソーの腕をツェルはそっと押した。
これはハフラム人の問題だ。スゥラたちはそれに巻き込まれただけだ。だから、彼らと対話するのは私でなければならない。
「ブラムドワの騎士、あなたは何者なの? どうして私たちに敵対するの? カナンも、ハフラムも、どちらも破壊しつくせば、遠からずあなたも死ぬことになるのに」
黒騎士が頭部をすっぽりと覆う兜の下で重々しく答えた。
「何者か、とは今さらだな。貴様とは十年近く前に一度会っているが、貴様はもう覚えてすらおらぬか」
黒騎士は兜を脱ぎ、無造作に脇に放り出した。
思っていたよりも若々しい青年の顔がそこにはあった。ツェルと同じくらいの歳だろうか。何よりも目を引くのはその髪色だった。ソーと同じ色。クィラの色を帯びた希有な蒼い髪が、レイの放つ光を浴びて、いっそう深い輝きを放つ。彼の切れ長の眼や端正な目鼻立ちは、どこかしらソーや、保存槽の中にいたソーの父クノタを思わせた。
「あなたは」
ふとツェルの中に蘇った記憶があった。いや、忘れようにも忘れられるはずのない記憶だ。ソーと初めて出会った日の記憶なのだ。目の前の男は、あの日大聖堂の庭園で出会った、もう一人の蒼い髪の少年――彼の成長した姿に違いなかった。
「あなたはあのとき、貧民街で私を助けてくれた……」
このときになってツェルはようやく理解した。彼こそは、ずっと所在の気になっていたあの人だったのだと。
あの少年と会ったときのことを、大司教らに話せば良かったのかもしれない。サジュナの話を聞いて以来、ツェルはずっと後悔していた。彼のことを誰にも話さなかったのは、ソーのことが頭にあったからだ。教会を避けて生きていたソーは、ツェルとの出会いを境に、まるで教会の虜囚のようになってしまった。父がソーの蒼い髪に過剰に反応していたことには、まだ子供だったツェルにも何となくわかった。だから、同じように蒼い髪を持ち、それを染めて隠そうとしていた少年のことを、とうとう誰にも伝えず、心のうちにしまいこんでしまったのだ。
「クィラスのクローン《ノルク》――。私の半双がソーだとわかった後、私と同時に生み出されたはずのあなたがどうなったのか、ずっと気になっていました」
「やっと理解したか。その通り、この身体はクィラスの複製、その十三体目だ」
クィラスが前髪を上げると、額の生え際の隅に小さな刻印が見えた。ハフラム文字で小さく「13」と刻まれている。
「いつか目覚める貴様の半双となるべく、貴様と同じ日に『製造』されたクィラスの肉体。だが、私はクィラス本人でもある」
「どういうことだ」
ソーが驚いた声を上げる。
「物心ついたときには、私は孤児院にいた。何も知らず、何もわからないまま、劣悪なその場所で過ごす日々が続いた。しかしある日、忍耐の限界が訪れた。うるさい蠅のようにまとわりつく孤児院の子供一人と、監督者である大人を一人葬ってやったのだ。思ったよりもそれは簡単で、拍子抜けさえした。投獄されはしたが、その環境も孤児院よりはいくらかましであった。何しろうるさくないのでな。その晩、私に語りかける声があった。それが『エル』だ。彼は臣下の者を使い、私を牢獄から救い出してくれた。そして、失った私の記憶を――元の私の記憶を、そっくりそのまま返してくれたのだ。そうして私は、己の使命を思い出すに至った」
「あなたの使命?」
「かつての私には生涯を共に過ごすと誓いあった伴侶がいた。しかし、我々の一生を賭した約束など、創造主の前では箱庭の中の雑音の一つに過ぎなかったのだ。巨き神々はいともたやすく、私とリァンとの間にある大地を切り裂いた。以来、私たちはただの一度たりとも会うこと叶わなかった。神々に翻弄された私の肉体は次第に弱り、やがて私は檻の中で一人死んだ。あの日からすでに千年ものときが経っているなど、到底信じられるものではなかった。私の子を身ごもり、幸せそうに笑っていたリァンが私の後を追って自死した――それさえもとっくに風化した過去の一部にすぎぬなど、どうして信じられようか。だが以前とはまるで異なるこの世界、そして残された歴史を知るにつれ、やがてそれは真実であると認める他なかった。かつて自在に操れたクィラも、魂の片割れも、家も、友も、見知った風景も――すべて失うということがどれほどの喪失感であるか。苦痛であるか。リァンの贋作よ、貴様にわかるか。すべてを見失った私に、生きる糧と生きがいを与えてくれたのは『エル』だけだった。エルの敵を密かに闇に葬り続ける仕事は、存外私の性に合っていたようだ。幾度か仕事を成功させると、エルは約束通り、さらなる事実を教えてくれた。リァンもまた私同様に『複写』されて、この世に存在しているということを。愚かな私は喜び勇んで彼女に会いに行ったのだよ。記憶がなくとも、彼女の本質は変わらないはずだと信じていたのだ。初めて見た貴様は、確かに金の糸を持っていないように視えた。それで私は、貴様は確かにリァン本人に違いないと、愚かな確信を持ってしまったのだ。彼女の半双はこの私だ。私には彼女の金の糸を視認できない――そのはずだった。だが、信じられないことが起こった。半双の糸だけは、他の糸と異なり生後間もなく生じるものであるという常識が覆されたのだ。貴様はあろうことか、私の目の前でその糸を新たに生じさせた。そして私ではない、別の男との間に片翼の絆を結んでみせたのだ。あのときは絶望したよ。私たちが交わした永遠に共に生きるという両翼の契りは一体何だったのかと。なぜ目覚めた彼女の番が私ではなかったのかと。だが、そのうちに私は気が付いたのだ。私たちが半双でないのは、貴様がリァンの貌を真似た、ただの模造品だからだ。偽物に過ぎないからだ。私の後を追って死んだリァンならば、たとえ肉体を新たにしようと、私以外を片翼に選ぶはずなどない。私以外と黄金の糸で繋がるはずがない。聞けば貴様の本体もまた、あの憎き神々の末裔であるという。とんだ皮肉ではないか。我々を引き裂き、死に追いやった邪悪の神が、よりにもよって私のリァンの声と貌を奪って、あたかも女神のように振る舞っているなど。断じて赦せるものではない。だが、リァンの模造品から邪神を追い出す方法を私は知った。かつて私の宿していた青き光。そこから生まれる天の火は、この無意味な現世も、天の世も、すべて滅ぼすことができる。天の火を欲するエルと私の利害は、まこと一致したのだ」
「クィラス……」
ツェルは言葉に詰まった。
ハフラム人の勝手な都合によって生み出されたクィラス。それなのに彼はクィラを生む力を持たず、リァンの半双にもなれなかった。ハフラム人の期待を彼はひとつも叶えることができなかった。彼は存在意義を、彼を生みだした存在から否定されてしまったのだ。
忘れられない、九年前のあの日。ソーと手を取り合って空へと翔けたあの出会いの日――。
もしも呼び止めるクィラスの声に応えて引き返していたなら、何かが変わっていたのだろうか。クィラスが絶望することはなく、ソーが教会に引き取られることもなく、こんな凄惨な事件は起きなかったのだろうか。
でも、やはりそれは違うはずだ。
ハフラム人への復讐が生きがいだなんて。だって、それをクィラスに囁いたのはエルだと、クィラスは言った。エルだってハフラム人の一人なのに。やっぱりそれはおかしい。
ツェルはカイアに視線を移した。カイアは薄らと微笑んでいる。
すべてはエルの狙い通りだったのか。タイミングを狙い澄ませてクィラスに接触し、孤独なクィラスを自分に都合の良い駒に仕立て上げていったのに違いない。
「クィラス、あなたがハフラム人や私を恨む気持ちは理解できるわ。でもエル先輩だって、ハフラム人なのよ。どうして一方的なその言葉だけを信じるの」
「貴様がそれを言うのか。貴様等ハフラム人は身勝手な理由で私をこの世に呼び戻し、用がないと知れるや私を捨てた。それを拾い上げたのはエル、ただ一人だ。私は最初から何ひとつ持たない存在だった。この際、エルが破壊の神であろうと何だろうと構わぬ。このくだらぬ生命に終止符を打つものであればな。だが、ただでは終わらん――私たちを弄んだハフラム人を根絶やしにするまではな」
「ハフラム人を滅ぼすために、無関係のこの世界と、そこに生きる、あなたと同じスゥラたちを巻き込もうというの。スゥラたちに何の咎があるというの。ここにいるソーは、あなたとリァンとの間に産まれた子の子孫なのよ。あなたの血を受け継いだ、あなたとあなたの伴侶が紡いだ命なのよ」
クィラスはソーをちらりと見やった。
「千年も経てばもはや他人よ。所詮は私も偽物だ」
ふっと細い吐息が漏れる音が聞こえた。カイアだ。淡い色の目を眇めてツェルを見ている。
「リァン、望まれて生まれてきたきみには一生わからないだろうね。虐げられ、利用されるだけの人生がどれほどくだらなく、無価値なものか。僕はきみに僕らの惨めさを教えてやりたいのさ。すべてに望まれ、すべてを与えられて育ってきたきみが身をもってそれを知ったとき、きみは一体どんな表情を浮かべるのだろう。それを見ることが、僕の人生における唯一の楽しみだった」
カイアは微笑んだ。まるで、ずっと待ち望んでいたものが手に入ろうとする瞬間のように、嬉しそうに。優しげに。
カイアは大樹の中程でクィラを放出し続けるレイを見上げた。
強いクィラの光を放つたび、レイは身を捩るようにし、ぐったりと首を落とす。が、少しの間を置いて、また思い出したように身を捩り、オル・クルスを呼ぶ。
あれほど立て続けにクィラを放てば体力がもつはずもない。レイは生命を削るようにしてクィラを絞り出している。高い自己治癒力を持つソーとは違う。早く止めなければ命を落とすかもしれない。
「クィラス、仕上げのときだよ。トロンを始末しろ。それによりこの『オル・クルス』も完成する」
カイアはソーに指を突きつけた。
「させるかっ!」
空を切る細い音と共に何かがカイアを襲う。咄嗟にカイアを突き飛ばした黒騎士の足にそれは巻き付き、強く引いた。
光錘を縮めて黒騎士を引き寄せたのは騎士団長だ。そのまま宙に放られたクィラスは上空で糸を掴み、くるりと身体を回転させ、騎士団長の右肩を蹴り飛ばした。弾き飛ばされた騎士団長はもんどり打って倒れた。手から落ちた光錘が転がり、少し先の樹の根に当たって止まった。クィラスはほとんど音もなく着地した。
「まだそんな余力が残っていたか。体力だけはあるようだな」
「うっせえ! さっきから聞いてりゃ勝手なこと言いやがって。まるで、てめえだけが一人で生きてきたかのような言い方じゃねぇか。カイア、おまえもだ。館に来ていた頃に見せていたあの顔はただの芝居か? 天の世で何があったかは知らねえ。だが少なくとも、俺もソーも、ツェルちゃんも、おまえを受け入れていたんだぜ。辛いことあったんなら、いきなりこんな手段に走らず、俺たちに相談すりゃあ良かったじゃねえかっ」
騎士団長は倒れている大司教を見て顔を歪め、落とした光錘を拾おうとした。腕からは枝分かれする川のように血が流れ落ちている。騎士団長は歯を食いしばり、動かない右手の代わりに左手を伸ばした。
ソーが騎士団長を手で制し、その光錘をつま先で押した。光錘は半ばから折れていたらしく、持ち手側の半分だけが少し先まで転がっていった。
「利き腕が動かない上に武器もないんじゃ、ただの足手まといだな。引っ込んでてもらうぞ、父さん」
「ひよっこ風情が。武器がないのは、てめえも同じだろうが」
騎士団長がソーの右手を横目で睨む。ソーは半分ほどの長さになった光錘を握りしめていた。
「いくぜ」
騎士団長が一歩前に歩を進めた。ソーはその背後に回り、騎士団長の首に手刀を叩き込んだ。鈍い呻きを上げて倒れ込む騎士団長を抱き留め、ソーはそっと地に横たえた。
「クィラス、これは俺とあんたとで片をつける問題だ。部外者に手は出すな」
「元より貴様を含め、スゥラたちに興味はない。私が直接手を下すべきは、そこの贋作のみだ」
「あんたには興味なくても、俺にはあるんだ。あんたは大事な家族を奪われる痛みを知っているはずだ。それなのになぜ、俺の家族に手を出した。何の力も罪もない子供たちに手を出した。オル・クルスが目的なら、俺だけを標的にすれば良かったはずだ」
「それを知ってどうする。おまえの感情を刺激する手っ取り早い方法だった、ただそれだけだ」
ソーはぐっと息を飲み込み、握りしめた拳を振るわせた。
「おまえを……哀れに思えれば……少しでもそこに汲むべき事情があるならと……。だけど、そんな理由で……。それなら俺はあんたを赦すことは、絶対にできない。ルゥたちの仇を討たせてもらう」
「愚かな。大人しくそこの贋作を差し出せば、いくらか長生きもできように」
「それこそさせるものか。ツェルには絶対に手出しさせない」
庇うようにツェルの前に立つソーの手で、ツェルは握りしめていたものを押しつけた。
「ソー、受け取って」
リラから預かったテュナの光錘だ。ソーは黒騎士から視線を動かさないままツェルに問うた。
「なんだ、これ……。まるで体中の力を全部吸い取ろうとするみたいだ」
「私が今作れる最高の光錘よ。テュナの光錘に込められた絆を入れ直したの――ノイ・ス=エバン騎士団長と、ルキ・オン=アズタック大司教との間の、半双の絆に」
ソーは僅かに身を震わせた。
クィラスは構えをとった。ソーもまた深い青の光を宿した光錘を握りしめ、クィラスに向かい合った。
カイアはふいにソーに疑問を投げかけた。
「いいの? 彼女からの贈り物を受け取ったりして」
ソーは表情を変えない。
「いきさつはどうあれ、ツェルは俺の妻だ。何か問題があるか」
「あの晩、きみたちが過ごしていた部屋の鍵を開けて、僕の部下にレイェスを引き渡したのが、そこの『ツェル』だとしても?」
ソーは驚いたようにツェルを振り返った。大きく見開かれたその目を見つめ返すことができず、ツェルは唇を噛んで下を向いた。自分自身が犯した罪だ。逃げも隠れもできないのはわかっている。それでも、ソーの視線を受け止めきれなかった。
「たとえ、それが本当だとしても……」
ソーは絞り出すような声でそう言った。ツェルは顔を上げた。
「優しいツェルをそこまで追い詰めてしまったのは、俺だった。ツェルを責める資格は俺にはない」
ツェルは悲鳴のように声をあげ、両手で顔を覆った。涙と共に後悔が、懺悔が溢れ出して、溺れてしまいそうだった。
ソーが私に対して抱いていたのは、私が抱く恋情とは違うものだった。でも、ソーは確かに私を大切に思ってくれていた。その心に、私はすべてを賭して報わなければいけない――それはツェルの中に芽生えた強い思いだった。
「とんだ偽善者だな」
カイアは吐き捨てるように言った。
「もういい。クィラス、さっさと終わらせろ」
「ようやくか。ずいぶん待たされたぞ」
「こんな時間、とるだけ無駄だった。選ばれた存在に、捨てられた僕たちのことが理解できるはずもなかったんだ。最初から交わりえぬ存在だった」
「だが、そのすべてをオル・クルスが満たしてくれる」
「そうだ」
一時にらみ合ったクィラスとソーは、まるで呼吸を合わせたかのように同じタイミングで光錘を長剣に変え、上段に構えた。
雷撃の音が轟く。塔の細い窓から紫色の光が閃く。塔が微かに斜めに傾き、ツェルは肩から床に打ち付けられた。大樹の鉢が揺れている。どこか遠くから、何かが軋む不吉な音が響いてくる。塔を支える土台がついに壊されたのか。いつまで保ちこたえるだろうか。
静寂と張り詰めた緊張とが切り裂かれた。クィラスとソーは同時に地を蹴った。
そろそろと身体を起こしたツェルは、こめかみに冷たい金属が押し当てられるのを感じて肩を強張らせた。いつの間にか近づいていたカイアが銃口をツェルに押し当てていた。カイアは宙で剣を交える二人の青い騎士を見上げた。
〈きみは黙ってそこで見ているんだね。きみの大事なソーが殺される瞬間を〉
ハフラム語。カイアの声で紡がれるその言葉が、この痩せた少年が、もうひとりの自分の恋人であることを痛感させる。
しかし、ツェルはもう迷わなかった。
〈いいえ。ソーは負けません〉
カイアは鼻で笑った。
〈クィラスは物心つく前から光錘を振るってきたんだ。温室育ちのトロンとはわけが違う。彼が初めて人を殺したのは、まだ十にもなる前だった。以来、正体を隠したまま、僕の手足となって敵対勢力を闇に葬り続けてきたんだ。あの血に飢えた殺人鬼が、慈愛深きクィラスの模造品だなんてね。見た目は完璧でも、どこにバグが潜んでいるかわからない。それがクローンの難しいところさ〉
〈クローンだって生まれてきた以上は命です。物のように言い、貶める資格は誰にもありません」
〈自己擁護だね〉
冷たい言葉がツェルの胸を抉る。
〈先輩は、私を憎んでいたのですね〉
〈ああ。この手で今すぐくびり殺してやりたいくらいにはね。でも、それじゃあまりに簡単でつまらないじゃないか。もっと絶望してもらわないと。神の天秤の不均衡を逆転させてやるのが、僕の長年の夢だった〉
〈それでも、リァン=エーゲルはあなたを慕っていました。私を特別だと言ってくれたのが、エル先輩、あなただったから。たとえ偽りだったとしても、あなたからもらった温もりが、私の中から消えることはありません。こんなこと、あなたにしてほしくなかった。私はあなたの力になりたかった。それなのにどうしてスゥラを、ハフラムを、お父さまを……こんな風にしてしまったの……」
カイアは眉根を寄せ、何も言わずに唇を引き結んだ。その顔を青い光が弱々しく明滅しながら照らしている。
ソーのときと同じだ。レイが衰弱しているのだ。
クィラスと打ち合うソーが、互いに距離を取り合った刹那、ちらりとレイを確かめる様子が見えた。レイの頬は痩け、肩が大きく上下している目は虚ろに見開かれ、時々苦しげに身を捩っている。
「待ってろ、レイ。こいつらを片付けて、すぐ助ける!」
ソーが叫んだ。
レイが僅かに唇を動かす様子が見えた。何を言ったかまではわからない。クィラの音が高まり、光が弾けた。塔の外から落雷の音が折り重なった。
ソーとクィラスは刃を交えるうちに、いつしか梢の高さまで翔け上がっていた。
クィラスは立て続けに刃を振り、突きを繰り出す。彼の動きはあまりにも速く、ツェルには残像しか追うことができない。
錘術も剣術も心得のないツェルですらわかる。クィラスは人を殺し慣れている。的確に心臓を狙い、首を狙い、いかに早くソーを殺すかに主眼を置いて光錘を振るっている。その太刀筋には遠慮もためらいも一切ない。それに対するソーは苦戦している。クィラスの刃を防ぐのに精一杯で、攻撃に転じることができずにいる。
クィラスの光錘がソーの肩を、腕を、大腿を、腹部を次々に掠める。急所への直撃は辛うじて避けているものの、ソーはクィラスの刃が舞う度に傷を負っている。
ひときわ大きな雷の破裂音がしたかと思うと、塔がまた、がくりと傾いた。壁がミシミシと音を立て、天井から石が剥がれ落ちてくる。石のいくつかは大樹の枝に当たり、樹皮を削りながら幹を抉った。いくつかはレイの上に降り注ぎ、華奢な腕を打った。レイが呻き声をあげる。
「レイっ……!」
ソーは声に気を取られた。クィラスがその隙を逃すはずはなかった。光錘の切っ先がソーの背を切り裂いた。ソーの身体がぐらりと揺れ、舞い散る木の葉と共に落ちてゆく。ソーは大樹の根元に叩き付けられた。ぐったりと倒れ臥すソーの足は外側に向かって不自然に折れ曲がっていた。
クィラスは勢いよく宙から飛び降りると、ソーの胸部に黒銀色の具足をつけた足を振り下ろした。ソーはぴくりとも動かなかった。




