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【1】

 ツェルが小さく身じろぎすると、すぐ真上から誰かの大声が落ちてきた。

「お姉様! ツェル様がお戻りになりましたっ」

 誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえる。背中を支える手に助けられて、まだはっきりとしない意識や感覚をかき集める。背中を支えてくれているのは、長い銀髪を垂らした女性だ。

「テュナ……?」

「ニネ・アでございます、ツェル様」

 まだ二つ世の境を漂っていたツェルは瞬きした。次第に頭がはっきりしてくる。テュナによく似ているけれど、違う。ソーの四番目の義姉あねニネだ。そこにリラが駆けつけてきて、跪いてツェルの手を恐る恐る握る。ツェルが握り返すと、リラはほっとしたように泣き笑いを浮かべた。その複雑な表情が、ツェルの意識を覚醒させた。

「リラ、ニネ! ソーは今どこに?」

 ツェルは勢いよく身体を起こした。

 驚いたように僅かに身を引いた二人は、ツェルに手を貸して立たせた。

「ツェル様、あめの世からお戻りになったんですね」

 リラたちの肩越しにネスが顔を出し、仏頂面で階段を指差した。

「ソーはブラムドワ騎士を追っていっちまいました。あの騎士、どうもおかしいですよ。上に用があるんなら、最初からここに顔を出したりせず真っ直ぐ向かやいいのに、わざわざソーを挑発してから、目の前で昇降機を使って上がっていくなんて。まるで、ソーについてこいって言ってるみたいじゃないですか」

 リラが焦れたように後を引き取る。

「みたい、ではなく、事実そうなのだと思います。ブラムドワ兵は容赦なく剣を振るいましたが、ソーのことは本気で止める気がないようでした。ソーは一度彼らに攫われていますし、今度もきっと……。お父様も同じように考えられたようで、手練れの騎士や光糸認識力ハルファ・リィ持ちの神官たちを数名つれて、すぐ彼らの後を追っていきました。――それと、大司教様もご一緒です。猊下が弑逆され、ザンダストラ兵の統率が取れなくなっておりましたので、傷一つなく解放されました」

「お父さまが。そう……良かったわ」

 ツェルは昇降機がある方の通路を見遣った。あの先に進むには、武器が必要だ。

「リラ、あなたの光錘リューゲルを貸してください。事は一刻を争います」

 監視バグに映されたソーは、命の間に今しがた到着したばかりといった様子だった。まだ間に合うはずだ。良い光錘リューゲルがあれば祈りの間に続くバネの樹の仕掛けも早く通ることができる。

 リラとニネは両側からツェルの肩を押さえた。

「まさか、彼らの後を追うと仰るのですか? それはなりません! 荒事は騎士たちにお任せください」

「そうですよ。どうしてもソーが心配だというのなら、私たちが代わりに参りますわ」

 ツェルはふたりの手をゆっくりと押しやった。

「もちろん、あなたたちの協力も必要です。他にも、動く元気のある光糸認識力ハルファ・リィ持ちがあと二、三人来てくださると助かります。バネの仕掛けを解くのに人手が要りますから」

「いけません。御身に何かあったらどうするのですか」

 頑ななリラとニネ、その後ろでおろおろとしているネスを順に見遣り、ツェルはなるべく厳かに告げた。彼らが絶対に逆らえない言葉を。

「母のご意志です」

「そんな」

 リラはくしゃりと顔を歪め、懐から取り出した光錘リューゲルを震えながら差し出した。

「せめてこちらをお持ちください。テュナの形見です。私の作ったものより、こちらの方が遙かに優れておりますので……」

 いずれは最高位司祭と目されるほど、強いリィを備えていたテュナ。彼女が作ったものなら、普及光錘モデン・リューゲルといえど、ちょっとやそっとのことでは壊れないだろう。何より。

 ツェルは銀色の光錘リューゲルを両手に受け取り、ぎゅっと胸に押し当てた。

 テュナ、あなたの優しさと強さを、どうか私に。最後まで私を見守っていて。

「……ありがとう。では、行きましょう」

「ツェル様、俺も行きます!」

 ネスが叫ぶ。

 ツェルは振り返って淡く笑んだ。

「ええ、一緒に行きましょう。みな、後を頼みますよ」

 ツェルは不安げに見ている神官たちにも動揺に微笑みかけると、リラたちを従えて昇降機を目指した。


 思った通り、今度は昇降機を使うことができた。

 一気に上層階に上がり、祈りの間の手前で、リラたちがバネの糸を押し広げている間も、激しい剣戟と、クィラの放つ甲高い振動音、そして落雷の音とが、絶え間なく上層階から聞こえてきていた。ツェルは光錘リューゲルを操りながら、どうにか良い方向に考えようとしていた。

 剣戟の音、つまり戦いは続いている。少なくとも決着はついていないのだ。良い方にも、悪い方にも。

 やがて黒い光糸リーリエの網の中に、どうにか身をねじ込める程の空間ができると、ツェルはさりげなくその正面に立った。

 ここまで同行してきてくれた仲間たちを振り返る。

 リラ、イザ、ニネ、ネス。そして二人の高位神官たち。

「私が最初に通るので、しっかり抑えていてくださいね」

「お、お待ちください。向こうの様子もわからないのですよ。せめて俺を最初に行かせてください。俺、ソーのやつには借りがあるんで。こんなところでビビってる場合じゃねえんだよ」

 最後のほうは、震えている自分自身に向かって叫ぶような声だった。

 あの黒い騎士がこの先にいる。

 そう思うだけで、ツェル自身震え上がりそうだった。でも、この先にはソーがいるのだ。

「ありがとう。でも大丈夫、この先に人の気配はないわ。この上には祈りの間があって、敵がいるのは、おそらく、さらにその上の『命の間』だから。さあ皆、光錘リューゲルでしっかり糸を固定していてくださいね」

 きっぱりと言い切ると、六人は互いに顔を見合わせ、しぶしぶといった表情で頷き、光錘リューゲルでバネの糸を拡げていった。

 彼らが充分な隙間を作り上げると、ツェルはそこを落ち着いて潜り抜け――そして、振り返ってバネの糸を抑えている六本の光錘リューゲルを素早く抜きとった。これでもう、誰もツェルのことを追ってこられない。自分たちが負けない限り、誰も犠牲にはならない。

 ところが、最後の一本の持ち主が、ツェルの意図に途中で気がついてしまった。ツェルが引っこ抜こうとした光錘リューゲルを咄嗟に強く握りこんだのだ。

「ちょっ、ツェル様っ! 何するんですかっ」

 ネスは必死に抵抗する。もちろん、力尽くではツェルには勝てないが、予めこうなることも想定していた。

 ツェルはネスの光錘リューゲル、にリィから取り入れた力を一気に送り込んだ。そして醜悪な創異獣オメガのイメージもぶつけてやる。ギョロギョロと血走った目を彷徨わせる鳥魚たち、そしてそれを捕食する大きな黒蜘蛛、その黒蜘蛛に覆い被さり、透明な腸に送り込んでゆく化け物――。

「うわっ」

 ネスが怯んだ隙にツェルは光錘リューゲルを奪い取った。バネの糸の隙間が完全に閉じた。

「ツェル様っ! なぜ!」

 閉じた入り口の向こうでリラたちやネスの憤慨する声が聞こえる。

 ごめんなさい。

 心の中で詫びながら、ツェルは強い口調で言った。

「何人たりとも、この先に入ることは許しません。あなたたちは下の階に戻り、人々を守ってあげてください。どうかお願いね」

「ツェルさまぁっ」

 ツェルは制止の声を振り切り、空を上がって天井の穴へ急いだ。

 祈りの間から最上階に飛び込むなり、悲鳴が降ってきた。咄嗟に飛び退いたツェルの前に聖堂騎士の身体が叩き付けられる。ツェルは口を手で覆い、血の池が広がる様子から目を背けた。

 縦横無尽に垂れ下がる木の根の合間合間に、聖堂騎士、そしてブラムドワ兵の骸が転がっている。

 ずっと遠くから微かに聞こえていた、甲高い笛のような音。それが今は、奥の暗がりからはっきりと聞こえてくる。太い木の根の隙間から、蒼い光が放射状に差している。

 光源を目で辿ってゆくと、ちょうど大樹の中央に青い光の珠が浮かんでいた。浅い繭委に包まれ、うっすらと細身の人影が見える。解かれた長い髪が繭のなかで強風に煽られ、うねっている。

「レイッ」

 ツェルは空を駆け上がった。近づくにつれ、はっきりと姿が見えてくる。レイは大樹の幹の中央にいた。かなり高い場所だ。以前ソーがされていたように、樹に打ち込まれた杭に鎖で繋がれている。

「ソーっ!」

 レイのもとに急ぐツェルのもとに、聞き覚えのある大声が跳んできた。

 声の元を辿ると、大樹の葉が広がる高所に黒騎士と打ち合うソーの姿があった。傍らには騎士団長と二人の聖堂騎士たちの姿もある。

 ソーは光錘リューゲルを持った右腕で左上腕部を押さえていた。そこからぽたぽたと赤黒い雫が滴っている。黒騎士がソーめがけて空を蹴った。ソーを庇うように飛び込んだ騎士団長が一合、二合と黒騎士と打ち合う。黒騎士の光錘リューゲルが伸びて空を凪ぐ。ソーと騎士団長は同時に飛び退いてそれを避けた。速翔セハとは比べものにならない速さで、目で追うのもやっとだ。

 ひとまずソーは無事だった。でも、どうしよう。聖堂騎士はほとんどやられてしまっているらしく、目に見える範囲に立っているのは二人だけだ。騎士団長が一緒だというのに、どうやら黒騎士には苦戦しているらしい。加勢に加わるべきだろうか。でも、あれほど繊細に光錘リューゲルを自在に操る者なら、光糸認識力ハルファ・リィも並大抵ではないはずだ。糸が切れないのなら、私は戦力にはなれない。

 それなら――。

 ツェルはレイの様子をじっと確かめた。少し離れているからわかりにくいが、苦しげに喘ぎながら、時折背を折り曲げ、蒼い光を破裂させながら慟哭している。きっとひどい精神的苦痛を与えられ、今も苦しんでいるのだろう。落ち着かせてやれば、オル・クルスは止まるかもしれない。

 ツェルは黒騎士の目に留まらないよう注意を払いながら、レイを目指して走った。

 ところが、大樹を支える鉢の縁まで登ったところで、突然足首が誰かに掴まれ、引き摺り下ろされた。腰から落ちて顔を顰めるツェルの腹の上に誰かが乗り上げてくる。

「いやっ」

 振り払おうとしたツェルの手首が掴み上げられた。大声を上げて暴れるツェルの喉元に硬質な感触が押し当てられる。はっとして動きを止める。手首を押さえつける思いのほか細い指に驚いた。

「邪魔をしないでもらおうか」

「カイ……ア」

 ツェルはカイアの湖水のような淡い色の瞳を見た。

 どうして今まで気付かなかったのだろう。カイアの目の奥には、確かにあの人と同じ謎めいた影が潜んでいた。片目をやや眇め、口の端を持ち上げる表情までそっくり同じだ。

「エル先輩」

「そうか。やっと知ったんだね、リァン」

 カイアはもう一方の手でツェルの喉を押さえつけた。痩せた少年の膝がツェルの鳩尾を圧迫する。十二、三歳の未成熟な少年とはいえ、全体重を掛けて的確に急所を押さえつけられれば、ツェルには抵抗できない。息が詰まり、肋骨が悲鳴を上げる。

「や、いや……エル、先輩……っ」

 ツェルはもがいた。抑えられていない左手でカイアの腕を引っ掻き、足をばたつかせて必死に抵抗する。

「ツェルッ」

 誰かの叫び声がして、突然、酸素が入りこんできた。鳩尾を押していた膝の圧迫感がなくなった。ツェルは半身を起こして背を丸め、ひゅうひゅうと息を吸い込んだ。

 そのまま逃れようとするツェルの襟が後ろから乱暴に引っ張られた。

 カイアはツェルの首を細い腕で抱え込み、羽交い締めした。その手を振り払おうとしたツェルの首元に鋭い光錘リューゲルの先が押し当てられる。鎖骨にぽたぽたと血が滴り、ツェルはどきりとした。でも、切れたのはツェルの喉ではなかった。カイアの頬がざっくりと切れ、そこから赤い血が伝っていた。その血がリァンの髪につき、鎖骨まで垂れていたのだ。

「ツェルを離しなさい!」

 ツェルは肩で息をしながら、声の方にそろりと目を動かした。大司教だ。立っているのがやっとの様子だ。ローブはぼろぼろに切り裂かれ、あちこちに血が滲んでいる。それでも大司教は毅然と立ち、光錘リューゲルをカイアに向けた。

「離さなければ、きみを傷付けることになります」

「やれるものならやってみるがいいさ。僕にとっては御子の命などどうというものでもないのでね。きみが動くのと同時に、うっかり斬ってしまうかもしれないよ」

 カイアの手がツェルの喉元で微かにずらされた。ツェルの喉に細い痛みが走る。

 大司教は戸惑ったように動きを止めた。カイアは顎を上げ、そんな大司教を見やった。

「神官たちを殺したとき、あなただけ生かしておいたのにはわけがあるんだ。そう逸らないでもらいたいね」

「わ、わかりました。言うことを聞きましょう。ですから、どうかツェルのことは離してください」

 カイアはひどく冷めた表情でツェルを見下ろした。

「今も昔も同じ状況か」

 カイアの視線がツェルに向いたのを好機とみた大司教は、一気に踏み込み、光錘リューゲルをカイアに向けて伸ばした。

 じっと大気の焼ける匂いがした。スローモーションのように、ひどくゆっくりと大司教が倒れてゆく。理解が追いつかない。ツェルは目の前の光景をただ見つめることしかできなかった。

 カイアの手には銃が握られていた。そこから放たれた光線は大司教の身体を貫通し、塔の石壁にぶつかり、黒い跡を残してかき消えた。

「さて、どうだい。きみは今、どんな気分なんだ」

 カイアは白銀色の銃を下ろして、呆然とするツェルの顔を覗き込んだ。まるでそこに浮かぶ色を確かめるように。

 ツェルは声にならない悲鳴をあげた。緩んでいたカイアの腕を振りほどき、大司教に駆け寄った。大樹の足元にうつ伏せに倒れた大司教はぴくりとも動かない。背中のマントの中央に縫い取られた女神の杖に真っ黒な穴が空いている。床についたツェルの膝にじわじわと広がる赤い血が染み込んだ。カイアの静かな声が血溜まりに落ちる。

「生かしておいたのはきみの目の前で殺すためだった。さあ、これで三人目だね。無力なきみを守るため、犠牲になった人は」

 ツェルは何も考えられなかった。カイアの言葉も、その意味も、頭に入ってこない。手が震え、息が上がる。ツェルは必死に震える手で白いスカートを引き裂き、大司教の背に押し当てた。身体の下には血がみるみるうちに広がってゆく。

 ツェルはリィを開いた。大司教にはまだ辛うじて光糸リーリエの反応があった。今にもかき消えてしまいそうに弱々しい光が。

「お、お父様、お父様……っ! お、お願い、死なないで。お願い、お願い…………っ! ソーっ! お願い、お父様を助けて――っ!」

 ソーは上空で黒騎士と打ち合っていた。

 ツェルの必死の叫びを聞いたソーの集中が乱れた。黒騎士はその隙を逃さなかった。黒騎士はすかさずソーに詰め寄った。ソーを守ろうと前に出た騎士団長が勢いよく押し戻される。ソーはぶつかってきた騎士団長の身体に弾かれ、体勢を崩した。そこに長剣の形に姿を変えた黒騎士の光錘リューゲルが襲いかかった。ソーは咄嗟に右手の光錘リューゲルを同様の長剣状に変えて突き出し、黒騎士の刃を正面から受け止めた。その瞬間、ソーの光錘リューゲルは水琴のような繊細な音を残して、真っ二つに折れた。切っ先は回転しながら弧を描き、遙か下まで落ちていった。黒騎士の剣がソーの胸目がけて振り下ろされる。咄嗟に左腕でそれを受けたソーは悲鳴をあげ、宙に血をまき散らしながら銀の淵に叩き付けられた。ソーは短く呻いて失神した。

 悲鳴を上げるツェルの前で、カイアは無表情のまま細い腕をソーに向けた。銃身が青白く光っている。

「やっ、やめてっ」

 ツェルはカイアに駆け寄り、その腕に取りすがった。

「やめて、お願い、エル先輩。もうやめて。ソーがいなければクィラはつくりだせない。先輩はハフラムを救いたかったのでしょう? でも、オル・クルスなんて方法は絶対に間違っています! 先輩だって無事では済まないんですよ!」

 カイアはちらとツェルを見下ろし、くつくつと笑った。

「やれやれ、おめでたいね。残念ながら僕はハフラムもスゥラもどうでもいいんだ。僕の目的は最初から一つ。途方もなく長いときと、幾億もの奇跡の果てに起こる『進化』の行く末をこの目で見届けることだけさ」

 カイアはようやく白いおもてに表情を浮かべた。過去を懐かしむような、あえかな笑みを。

「それこそがフィエラとアルセルの望みだった。二人は人類の存亡をかけて創異獣オメガを生み出し、きみという実験体を作った。だが、そのいずれも彼らの本意ではなかった。二人は人類の進化を待ちたかったんだ。だから僕がこの手で、進化を促してやるのさ。人類を見捨てたもうた神に代わってね。適切な進化が起これば、人は死の光線(オル)の降り注ぐこの惑星でも生き伸びていけるだろう。だが、そうでなければ滅びる。それは世界に必要とされなかった生命の当然の末路だ。星で生まれた一介の命が、星を壊し、住めなくなったからといって、また別の星で生き延びようだなんて、おこがましいと思わないか。きみもそう思ったからこそ、移住計画を止めようと思ったのだろう?」

「そっ、それは――」

 そうだ。ハフラムをこんな風にしてしまったのは、私たちハフラム人。その責任をハフラム人は負うべきだ。

「でも、だからって、こんな方法をお父様とお母様が望むはずないわ!」

 二人が悲惨な状況を望んだはずがない。リァンに両親の記憶はなくとも、サジュナは何度も繰り返し二人のことを聞かせてくれた。そこから思い描いてきた二人の姿とエルの話とはあまりにもかけ離れている。何かが間違っているとしたら、それはエルの解釈のはずだ。

「よくそんなことが言えるよ」

 カイアがツェルの頬を張り飛ばした。地に倒れ臥したツェルは、じんと腫れる頬を抑えて起き上がった。

 意識を取り戻したソーがそろりと大司教に向かって這っていく様子が見えた。頭上では騎士団長と生き残りの聖堂騎士たちが黒騎士の相手をしている。

 ソーが大司教の治療をしている間、少しでも長くカイアの気を引かなくてはならない。

「これは先輩の復讐なのですか。両親の命を奪ってしまった、私への」

 カイアは驚いた表情を浮かべた。年相応のあどけない色がその顔に一瞬過った。

「知っていたのか」

 ツェルは首を小刻みに縦に揺らした。

「まさか、サジュナがきみに話した?」

「いいえ。おじいさまはただ事故だとしか。でも私はどうしても事故の真相が知りたくて、自分で調べたのです」

 過去のニュースデータベースを読みあさってわかったのは、両親が亡くなった場所はスゥラ研究所内の一角で、実験の失敗による暴発事故が原因だった、ということだった。しかも、その場に赤ん坊の自分も居合わせ、両親はどうやら自分を庇って亡くなったらしいということだった。

 でも、生物部門で仕事をしている二人が揃って暴発事故に巻き込まれたということが、どうにも腑に落ちなかった。

 大学で遺伝子工学を専攻した一番の理由は、そこのゼミ生になれば、インターンの一環でスゥラ研究所内のグループウェアアカウントが申請できるからだった。

 はたして、そこには十八年前の事故の記録があった。ほとんどの者が気にも止めないような、古い掲示物の片隅に。星議会関係者の幼い息子、そしてまだ一歳にもならない所員の娘の二人が、危険生物を保管していた部屋に無断侵入し、生物をそこに放ってしまった。二人は無傷で救い出されたものの、駆けつけた娘の両親が犠牲になった――記録はそう残していた。

 さらに調べていくうちに、当時リァンと一緒にいたという幼い子供は、ノラン=ドナト議長の息子エルに違いない、というところまではわかった。

 事故当時、六歳前後だったエルには事故の記憶が残っているはずだ。それなのに彼はゼミで顔を合わせた際、まるで初対面のような顔をしていた。

 エルは事故の記憶をなくしたのだろうか。一度見た本の内容はそっくり覚えてしまうほど記憶力の良い人なのに。もし本当は覚えているのだとしたら、なぜ知らない振りを続けるのだろう。

 人当たりは良いのに一定以上に人を近づかせない雰囲気を纏うエル。彼がリァンには積極的に親切にしてくれるのは、その事件のことも何か関係があるのではないだろうかと思っていた。

「自分で調べた、か。それで、まだ赤ん坊だった自分にはなんの罪もなかったとでも?」

 ツェルは大きく頭を振った。

「そう思えたら、どれだけ気楽だったかしれません。会いたくてたまらなかった両親の命を奪ったのが、まさか私自身だったなんて。何度も何度も自分自身を呪いました。でも、私を大切にしてくださるおじいさまを見て思ったのです。おじいさまは当然、事故のことをご存じのはず。それなのに私を慈しんでくださる。それなら私は生きなくてはならないと思ったのです。罪を犯したからこそ、そこから目を背けずに、両親が与えてくれたこの命を意味のあるものにしなければと。それなのに、私はまた、罪を重ねてしまった」

 ツェルは震えながら息をついた。

「もっと早くに死んでいればよかったと何度も思いました。けれどもやはり私は死ねないのです。おじいさま、イヴ、お父様、ソー、そしてテュナ。皆が、私を受け入れ、私を好きだと言ってくれるから……」

 カイアは呆然とツェルを見上げ、やがてくすくす笑いだした。額を手で押さえて身体を揺すり、徐々にその笑いは大きくなった。

「はっ、最後までとんだ茶番だよ。同じ経験をした者同士でこうも違うとは。すべてはきみたちのいう神の采配とやらか。何が起きたか、何を知ったかではない。すべては初めから天と地とに切り分けられていた。きみはすべてにおいて守られ、そして僕は……」

 笑いを収めると、カイアは唐突に発砲した。その熱線が大司教の下に跪いていたソーの片足を掠めた。ソーが苦悶の声を上げ、足を抱えて蹲った。

 カイアは苛だたしげに顔を歪め、再び銃口をソーに定めた。

「ソーッ」

 突如として上から飛び降りてきた騎士団長が大声をあげ、ソーを狙った二度目の熱線の前に飛び出した。打たれた肩当ては白煙を上げて溶け、騎士団長はその場に倒れ込んだ。

「父さんっ」

 ソーが叫ぶ。カイアの指が再びトリガーを引こうとしている。ソーが跳んだ。銃については知らなくとも、直感で追撃がくると感づいたらしい。ソーは糸を蹴り、カイアに向かって走り出した。カイアの握る銃から熱線が放たれた。ソーは反射的にそれを躱し、光錘リューゲルを目一杯長く伸ばして鞭のように振るった。その突端がカイアの右手を打った。カイアの手の銃が空を飛び、後方に音を立てて落ちた。

「ツェルっ、こっちだ!」

「ソー!」

 カイアが手を押さえた隙に、ソーはツェルに向け手を伸ばした。ソーの手がツェルの手首を掴み、背後に庇うように引き寄せた。

「なぜだ、カイア! なぜ俺たちを攻撃する。俺たちがおまえに何をしたと言うんだ。おまえはずっと俺たちを助けてくれていたじゃないか」

 はっとソーが身構える。黒騎士だ。彼はひらりと着地すると、カイアの後方に転がっていた光線銃レーザーガンを拾い上げ、カイアに手渡した。

「エル、珍しく激昂しているようだな。時間稼ぎはそろそろ終いで良いか。約束は約束だ。あいつはどうでも構わんが、偽物のとどめは私に残しておいてもらおう」

「本当にきみにできる? 見た目は同じなんだろう」

「愚問だ。きみこそ、情を交わしたのではないのか」

「まるで嫉妬しているように聞こえるね。その過程があった方が、より彼女が傷付くと考えてそうしたまでさ」

「ならば良いが」

 黒騎士はカイアを見下ろす目をツェルに向けた。深く下ろされた目庇に隠され、表情は読めない。ツェルは憎悪を含んだ視線にいたたまれずソーの背を掴んだ。

 ソーは素早くツェルの耳に囁いた。

「大司教様の意識が戻った。ツェルを呼んでいる。長くは保たないだろう」

 ツェルは息を飲んだ。ソーがカイアと黒騎士の視線からツェルを隠すように動いた。ツェルは身を翻し、倒れている大司教の下に駆けつけた。銃声が聞こえ、光錘リューゲルのぶつかりあう音が聞こえた。ツェルは一度だけ背後を確かめてみた。騎士団長と聖堂騎士たちがソーに合流していた。ひとまずは大丈夫、だろうか。

 ツェルは大司教の頭の傍に膝をついた。

「お父様」

 大司教の目が開いて、ツェルを認めた。明るい空色の瞳が物言いたげにツェルを見上げている。ツェルは口元に耳を寄せた。大司教の口が微かに動く。掠れ声を聴き取ったツェルの目から涙が溢れ出て、大司教の頬に滴った。大司教の力の籠もらない手が動き、ツェルの手を握りしめた。

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