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ツェルト・リァン-二つ世と未来の女神-  作者: Ari
§07 シュナの遣い Side-S
21/64

【1】

 朝の光が目にまぶしい。

 施療院の定期検査の日、いつものように早めに来て養児院ようごいんに立ち寄ったソーは、庭で目隠し鬼をしている子供たちを眺めながら、隅に置かれたベンチで目を眇めた。

 陰影のくっきりした雲を見ると、春が過ぎたことを実感する。咲き初めの白鈴草ホルニは瑞々しく、青々した芝を囲う林檎ルアンは満開だ。肩先にひらひらと舞い降りてきた白い花びらを指先で摘まみとったとき、子供たちの間から、わあっと大きな声があがった。誰かが転んで倒れたところへ、また別の子供が次々つまずいたらしく、倒れた子供たちの山ができている。ソーはとっさに立ち上がりかけたが、子供たちの間でくすくす笑いが起き、次第にそれが大きな笑いの波になったことで、ほっとして背もたれに戻った。全員、膝や肘に厚手の布と革製の防具、頭部には革製のヘッドギアを着けていたおかげか、怪我人は出なかったようだ。駆け寄ってきた先生が笑いながら芝を転げる子供たちを捕まえ、ひとりずつ助け起こしている。

 大笑いの中から「ごめんね」「いいよ」の微笑ましいやりとりが聞こえてくる。その中にソーの弟ふたりも含まれていた。ほとんど同時に「ごめん」と謝りあったふたりだったが、その声で相手が兄弟だと気がついたらしい。やおらお互いを罵りはじめた。仲のいいやつらだ。ソーは思わずにやりとした。

 「目隠し鬼」は養児院ようごいんの日課で、れっきとしたリィを開くための訓練だ。

 リィが開花するかどうかは先天的に決まっている。親がふたりともリィ持ちならその子供もリィを備えることは多いが、絶対ではない。実際に開花するかどうかは訓練を受けてみるまでわからない。

 心の底から「視たい」と願いながら目を開けることで、リィは開化しやすくなる、と言われている。とはいえ「必死になれ」と言われて、その通りにできる子供など滅多にいない。そこで目隠し鬼、という方法を先人たちは編み出した。実際、効果はあると思う。

 ソーも幼い頃に目隠し鬼をやらされた。昼食のパンを上腕に結わえつけ、目隠しをしたまま一定時間パンを奪われないように逃げきれば勝ち、という謎のルールで、当時の養父に追い回された。もちろん、パンを奪われたら昼食は無しだ。必死にもなる。しかも貧民街スラムでは革の防具など付けてもらえなかった。比較的厚手なカーテンの端切れを縫い合わせた繋ぎをまとい、瓦礫や生ゴミ、糞尿で汚れた路傍でソーはがむしゃらに逃げ、ぶつかり、転んだ。その後は決まって高熱にうなされた。怪我や病に強い体質だから良かったものの、普通の子供だったら命を落としていたかもしれない。

 当時の養親は、貧民街スラムに生まれ育ったカームという名の大工の男だ。彼はリィの訓練に人一倍熱心だった。リィさえ開化すればレイェス教会付属学校に無償で入れる、一般市街でまともな職にありつける、もっとうまくすれば聖堂騎士にとりたててもらえる、というのが口癖だった。

 彼は今ごろどうしているのだろう。

 カームは教会から一般市街に家を宛がわれ、安定した職も紹介してもらったと聞いた。しかし領主家に引き取られてからは一度も会っていない。最後に会いに行ったのはカームが一般市街に引っ越す前で、そのときは顔を見るなり邪険に追い返された。向こうからは一度も顔を見に来ないし、手紙も来ない。毎年、彼の誕生日には贈り物をしているが、それに対する返事もない。贈り物を託した使いの者が、確かに渡した、元気そうであった、と報告してくれるのがソーの知るすべてだ。最初こそ寂しさや腹立たしさを感じもしたが、それもとうに諦めた。ただ元気でいてくれればいい、と思う。

 カームは子供たちが腹を空かせていると、真冬の雪が降るような日でも、早朝から仕事道具を抱えてせっせと出かけてゆく人だった。そんな人が養子に出したからといって、自らぱたりと連絡を絶つとは思えない――カームが連絡を寄越さないのは、そうするだけの事情があるのではないか。

「はーい、みんな。目隠しを取って」

 養児院ようごいんの先生が手を叩いた。ソーは物思いから顔を上げた。子供たちが一斉にヘッドギアを脱ぎ捨て、目隠しを額に押し上げるところだった。

「視えなあい」

 残念そうな声がぱらぱらと上がる。弟ふたりはごそごそと何か話しあっている。

「ルゥ、フィー、どうだったんだ」

 ソーが声を上げると、ふたりは同時に「さっぱりだっつーの」と叫び返してきた。

 そこへ、末妹のキィが勢いよく駆け寄ってきた。いつものように飛びついてくるかと身構えたが、ベンチから少し離れたところで立ち止まり、大きく目を見開いてじっとソーを見つめている。

「うーん、ソー兄のは視えないなあ。ツェル様にしか視えないって本当なんだ」

「もしかして、キィ」

 キィが得意満面の笑顔で頷く。

「すごいじゃないかっ」

 ソーはぱっと立ち上がり、キィの脇を頭の上に抱え上げ、その場で回った。

「目え回るよお、ソー兄ーっ」

 キィはきゃあきゃあ叫びながら笑っている。

 キィを下ろすと、いつの間にやら先生や他の子供たち、それに通りすがりの施療院に入院中の老人たちまでわらわらと集まってきており、拍手喝采の大騒ぎになった。

「やったわね、キィちゃん」

「すげー、キィおめでとうっ」

「いいなあ。わたしも早く開花したーい」

「ずりぃぞ、おまえばっか」

「このお、ちびっこのくせに」

「なんやわからんが、嬢ちゃんすごいなあ。めでたや、めでたや」

 キィは照れ臭そうにし、ソーの手を両手でぎゅっと握った。

「ねえねえ、ソー兄、キィも速翔セハの選手になれるかな」

「ああ、きっとな。走るのも得意だろ」

「うんっ。養児院ようごいんの年中さんで三番なんだっ」

「はっ、微妙な順位」

 と年長で駆けっこ一番のフィーが小馬鹿にすると、

「あとはもう少し、勉強もがんばらないと。速翔セハには駆け引きや咄嗟の判断力も必要だからね」

 と勉強の得意なルゥが茶々を入れる。

「あー、うるさいうるさい。さっきは羨ましがってたくせに」

 キィはソーの腕抱きついて首だけ回し、二人に向かって舌を突き出してみせた。

 ルゥとフィーが両側からキィの頬を摘まむ。フィーの手から落ちた土でキィの頬が黒ずんでいる。喧嘩にならぬうちにと、ソーはその汚れをハンカチで拭ってやった。

「あっ、これ、キィのハンカチだ」

 キィは嬉しそうに叫び、ハンカチをソーの手の上から掴んだ。ハンカチの隅にいる歪なソーの顔に土が付いている。キィはそれを慎重に指先で払った。

 ルゥとフィーは思い出したように互いの顔を見合わせた。

「兄さん」

「ソー兄」

 二人の声が被った。二人は無言で互いを突き合い、最終的にはルゥが話し始めた。

「まだ時間ある? 後で僕たちの部屋に来てくれない」

「悪い。カイアと約束があるんだ」

 フィーは意外そうにソーを見ている。

「カイア? 何の約束だよ」

「勉強を教えて欲しいそうだ」

「ソー兄でわかるのかよ。カイアの奴、めっちゃ頭いいんだぞ」

「さあ」

 実は昨日、カイアから手紙を受け取っていた。おそらく勉強というのは建前で、本当に話したいのは、この間の施療院のことだろう。カイアは間違いなく、ソーがいることに気付いていた。

 フィーの頭に手を置き、反対の手でハンカチを胸ポケットにしまいながらソーは立ち上がった。

「わからなければ学校で調べれば良いだろ。明日、施療院から帰るときにまた寄る。夕方遅くになるが、それでもいいか」

「へいへい、りょーかーい」

「そろそろ行くか。またな」

 先生に会釈をし、カイアに会うため本館に向かおうとするソーを、弟妹たちが慌てて追ってきた。

「待ってよ。もう行くの」

「もう少しゆっくりしてけよ」

「ソー兄、行っちゃだめ!」

 ソーは思わず立ち止まった。もっと一緒にいたいと思うのは自分だって同じだ。こんな僅かな時間しか自由を許されないなんて。無言の圧をかけてくるシィカを睨み、ソーは身を屈めて三人の手を引き寄せた。

「ルゥ、フィー、キィ。秘密だから、大きな声は出すなよ。あと絶対に誰にも言うな。――もし俺が身分を捨てて外国へ行くと言ったら、おまえたちも付いて来るか。付いてくれば、もう二度とカナンへは戻れなくなる。生活の方は俺がどうにかする。決定じゃないぞ。例えばそんな風になるとしたら、という仮定の話だ」

 三人は目を瞬いた。

「ツェル様と結婚しないの」

「騎士団はどうすんだ。辞めんのか」

「外国って、ザンダストラ以外の?」

 三人が畳みかける。ソーは小さく頷いた。

 すると三人は面映ゆそうにし、声を押し殺して笑いだした。

「兄さん、ずっと自由になりたいって言ってたもんね。いいじゃん、それ。当然、一緒に行くよ。それに僕だってあと二年で十五だしね。ばっちり働くよ」

「ってか、そんなん訊くなよ。今さらだろ。俺たちの家族はソー兄だけなんだぜ。母ちゃんたちはとっくに俺たちのことなんか忘れてるしさ」

「そうだよう。ソー兄と暮らせるなら、キィは貧民街スラムだってヘーキだもんね」

「ずいぶん乗り気だな」

 ソーは同時に突き出された三つの拳に自らの拳を押し当てた。

 これで迷いは晴れた。三人がこう言ってくれるなら、カナンに心残りはない。

 ツェルには反対されたが、ソーはレイの救出と教会からの逃亡を真剣に考えていた。ツェルのいうように事が運ぶとはどうしても思えない。今よりは多少、自分の裁量でできることは増えるかもしれない。だが成人したソーたちに与える権利は慎重に選別されるはずだ。レイのこともそうだ。あの地下の部屋に張り巡らされた水の光糸リーリエを見れば、嫌でもわかる。教会はレイを生かしておきたい一方で、あの歌声は封じておきたいのだ。だったら、自力でレイを助け出す必要がある。

 ちょうど折良く、もうすぐ世界中の船がカナンに集まる時期がやってくる。

 世界的な祭典である速翔セハの本大会。そして、その後に続けて開かれる七国連合会議のためだ。

 この時期のカナンは例年、各国からの船でごった返す。密航のまたとない機会だ。

 どこか教会の手がまだ回っていない異教徒の土地に向かおう。そのために七大国の言語、商売の勉強に力を入れてきた。初めのうちは慎重に身を潜めなければならないだろうが、いずれは世界中を旅してみたい。見たことのない人々や、文化や、動物たちを想像するだけで胸は弾む。

「なあ、フィー。あれじゃない方が良かったな」

「ちぇっ、間が悪かったなあ。どーする、ルゥ兄」

「ちょっと考え直すか」

「面倒だなあ」

「どうした」

 ルゥとフィーは「何でもない」と揃って手を振ってみせた。

「ソー兄、明日来てくれるって話、やっぱ気にしなくていいや。今は速翔セハの練習で忙しいんでしょ」

「少しくらい平気だが」

「えーっ。少しじゃだめだよ。最近全然、ソー兄とお出かけしてないもん。リツちゃんとエマちゃんも、ソー兄は次いつ来るのって、ずっと待ってるのに」

 と、キィが庭園の隅を指す。先生に注意されたのか割って入るつもりはないようだが、ちらちらとこちらの様子を窺っている少女たちがいる。何度かせがまれ、港湾公園まで散歩に付き合ったこともある。そういえば前回来たときにも、また一緒に出かけたいと言われていた。弟たちの友人だからと割り切って付き合ったが、次々に話題が移ろうおしゃべり好きな少女たちに合わせるのは、けっこう大変だった。

「付き添いなら先生に頼めばいいだろう」

「あん? ソー兄と行きたいんだろ」

「まあ、ここの子は、上に年の離れた兄弟がいる子は少ないみたいだからな。おまえたちが羨ましい気持ちはわかるが」

「兄さんって、そういうところあるよね」

 ルゥとフィーがやれやれと溜め息をつく。

「なんだよ、揃って。とりあえず、当面は許可が降りそうにない。出かけるなら、速翔セハが落ち着いてから調整するよ」


 ついてきたがる弟妹を先生に預け、本館の入り口で受付を済ませる。

 先導の先生は二階へ上がり、一番奥の部屋をノックした。

「カイアさん、お客様ですよ」

「はい、ただいま」

 落ち着いた声が返り、扉が開く。

 カイアはソーを目にすると、ふわりと微笑んだ。

「お待ちしていました。どうぞ」

 ソーはそれに頷き背後の影たちを確認した。

どうやら、室内に入る必要まではないと判断したらしい。ここが、あくまで教会の一施設だからか。

 受付の先生は戻ってゆき、ソーはひとりでカイアの自室に入った。

 広々とした個室の部屋だ。立ち居振る舞いから予想していたが、やはり裕福な家の子なのだ。ルゥたちは男女別の六人部屋だ。ルゥ、フィーが十歳になったとき騎士団長は個室にしようと言ってくれたが、金額を聞いてソーは辞退した。相部屋でも一般市街に家が三軒買えるくらいの額だったが、まさか個室はゼロが一つ多いとは。

 カイアの部屋は整然と整えられ、塵一つ落ちていない。壁際にベッドが一つあり、中央には見たことのない大きな栗色の毛皮が敷かれている。窓際にはティーテーブルと椅子が二つ。テーブルセットは昼下がりの陽射しを浴びて艶々と飴色に光っている。壁一面を占拠する書棚には歴史や自然科学などの高価そうな書物が種類別に分類されてきれいに並んでいる。前言撤回だ。これは裕福どころではない。カイアの家は相当な資産家だ。ザンダストラから来たと言っていたから、もしかするとカイアの親は宮殿勤めの高官かもしれない。

「動物図鑑か。すごいな、背表紙に刺繍まで入っている」

 思わず伸ばしかけた指を握り込んでソーが呟くと、カイアはくすりと笑った。

「噂通りですね。僕もけっこう好きですよ、動物」

「へえ、どういうところが」

「観察していると、思ったよりも色々な発見があるところでしょうか。この間も、この辺りの森で変わった栗鼠ラントを見つけたんですよ。右半分が黒で、左半分が栗色で」

「えっ、まだカナンに来てからそんなに経っていないんだろう。よく見つけたな。一体どこで?」

 前のめりになって訊くと、カイアはまるで小さい子の面倒をみるような様子で、丁寧にその場所を教えてくれた。

 勧められた窓際の椅子に移ったソーは、気恥ずかしくなってしばらく窓の外を眺めた。

 その間にカイアは手際よく茶を用意してくれた。目の高さで正確に茶葉を測り、金製の懐中時計を確かめながら注いでくれる。ものすごく几帳面な子だ。

「おいしいな」

 一口啜って驚いた。色は薄いのに何とも香ばしい。これもザンダストラ産だろうか。カイアの茶の淹れ方もうまいのだろう。

「お口に合って良かったです」

 カイアは向かいの椅子でにこりと笑った。顎の下で両手を組み、ところで、と切り出す。

「あの晩のこと、ソーさんも心配していると思ってお呼びしました。僕は誰かに話すつもりはないので、安心してください」

「あ……ああ」

 何を言えばいいのだろう。黙っていてくれるのは助かる。だけど、そもそもカイアは何の目的で……。いや、こちらの意図や事情を、どれだけわかっているのだろう。

 ソーは言葉に迷ったが、カイアはあっさりしたものだった。

「レイェスさんに会ってきたんですよね」

 ソーは覚悟を決めた。この子は、のらりくらりではとても躱せそうにない。

「……なあ、カイア。いつもは表口から出入りしているんだろう。あの時に限って裏口を使ったのはなぜなんだ」

「たぶん、ソーさんの考えている通りですよ」

 ソーたちが来るのをわかっていて、あそこに誘導した、ということだ。

「なぜ、そんなことを」

 カイアは慌てたように顔の前で両手を振った。

「他意はありませんよ。ただ、ソーさんがレイェスさんに会うためのお手伝いをしたかったんです。ソーさんがレイェスさんのことを知っている、というのは、最初にお話したときの反応でわかったんです。ただ、ソーさんは個室に連れて行かれている、ということでしたし、院長先生にもそのことは確認したので――ということは、ふたりが会ったことは非公式で、たとえば、遠目に見たことがあるとか、そういうことだと思ったんです」

「そんなにわかりやすかったか」

 顔には出さないように気を付けたつもりだったのに、まさか子供に気付かれるなんて。これでは、教会から逃げ出すなんて夢のまた夢だ。落ち込むソーに向かって、カイアは苦笑いを浮かべた。

「ソーさんがどうというより、僕が表情を読むのが得意なんだと思いますよ」

 今度からツェルを見習って、感情を殺す練習をしよう、とソーは心に誓った。

「……それはとにかく……なんでそんなことをしたんだ。ばれたらきみだって罰を受ける。それはわかっているだろう」

「たぶんソーさんと同じ理由だと思いますよ。レイェスさんが気の毒だからです。それに、彼女と僕は境遇が少し似ているところもあって、余計に気になるんですよね」

 レイと似ているなんて、いったいどん境遇にあったんだろう。ソーがその質問を口に乗せる前に、カイアは続けた。

「だけど似ているからこそ、僕と彼女とでは会話が弾まないんです。話相手は別の子に頼んでくださいって院長先生にも掛け合ったんですが、どうも僕以外の子じゃ都合が悪いそうでして。それで、ソーさんのことを思い出したんですよ。ソーさんの……あ、失礼」

 カイアは噛み殺しきれなかった笑いを声に乗せた。

「ソーさんの無茶ぶりと自由人っぷりは、ザンダストラ宮殿でも結構有名だったので。あなただったら、少しお手伝いすればレイェスさんに会ってくれるんじゃないかなって、ちょっぴり期待してのことでした。お話してみると、レイェスさんも見た目によらず、なかなか手強い女の人だったので、おふたりは気が合いそうだとも思いました。それが、まさかこんなにうまくいくなんて。正直、予想以上でした」

 本当にばつが悪すぎる。知らないうちにカイアの掌で踊らされていたなんて。

「まんまと乗せられたってことか」

「ご利用ありがとうございます」

 カイアはにっこり笑った。

「ついでなので、もし良かったら、これからも同乗していきませんか。近頃のレイェスさん、僕が会いに行くと、ずっと待ち焦がれていたみたいに飛んでくるんですよ。でも僕だってわかると、ものすごくがっかりするんです。きっと彼女はソーさんを待っているんだと思いますよ」

「同乗?」

「僕、だいたい三日おきにあそこへ行くんです。そのときにソーさんも一緒に来て、僕の代わりにレイェスさんの話相手になってもらえませんか。正直、僕はああいうのが苦手な方で。見張りを兼ねて読書でもできた方が気楽なんですよ」

 無茶は一体どっちだ。ツェルといい、カイアといい、無謀な人が多すぎる。ソーは溜め息を飲み込んで、噛んで含めるように説明した。

「カイア、頭の良いきみのことだから、わかっているとは思うんだが……教会は彼女を厳重に監視下に置いている。そんなことをしたのがばれたら、大変なことになるぞ」

「ばれないようにうまくやる自信ならありますよ。たぶん、ソーさんよりは上手くやれると思います」

 そう言われるとぐうの音も出ない。

「ただ、レイェスさんがどんな話をしていたか、差し障りのない範囲でいいので、後で教えてもらえると助かります。後で院長に報告しないといけないんですよ」

「だめだ。子供のきみを巻き込むわけにはいかない」

「この間も思いましたけど、ソーさんって子供好きなんですね。僕と五つしか離れていないのに」

「五つも違うだろう。きみはまだ成人もしていない」

「まあ、聞いてください。実をいうと、これには僕なりの動機もあるんですよ。もう察しているかと思いますが、僕の父さんはザンダストラ宮殿で働く、それなりの地位にいる人です。本当なら、誰よりも女神様の御心にかなうべく、率先して人助けをする立場の人ですよね。だけど……実際の教会は、皆が思ってるような良い面ばかりじゃないんですよ。聖堂騎士のソーさんには言いづらいことですが、ご存じの通り、聖堂騎士団が攻め落とした土地の人たちのその後は悲惨です。レイェス教会に改宗すれば良し、そうでなければ教会の関連施設でただ働き同然に働かされる。男の人たちは新しい教会建築や、鉱山や土地の開墾に回されて、女の人や子供だったら、うちみたいな家に奉公に上がるんです。実態は奴隷みたいなものですよ。最低限の生活は保障されるものの、お給金は出ないですからね。言葉や文化が違うからって、差別を受けるのもよくある話です。それでも大人しくしたがっているうちはまだマシで、少しでも反抗すれば枷を填められて、より過酷な強制労働に回されます。こういうと酷いと思われるでしょうが、正直レイェスさんの境遇のほうが、よっぽどマシなくらいです。僕はそれを辞めて欲しかった。でも、僕に意見を言う権利はありません。僕に許されるのは親のいう通りに学び、親の役に立つことをするだけ。反抗すれば拘禁です。食事は反省するまで与えられません」

「自分の息子にか。ひどすぎる……」

「ザンダストラの下っ端なんて、どこも同じような扱いですよ。僕は教会で万人に手を差し伸べ、救済するという教えを受けながら、それとは全く逆の現実を、黙って見ていることしかできない立場にいました。だから、これは父さんに対する僕のささやかな反抗です。勝手な理由ですみませんけど」

「きみの事情はよくわかったが、それでも巻き込むわけにはいかない。いつかきみに迷惑をかけてしまうと思う」

「レイェスさんを助け出すつもりだからですか」

 ソーははっとしてカイアを見た。

 カイアは額にかかる黒髪を掻きあげて、白い顔におよそ子供らしくない笑みを浮かべた。

「そのときはソーさんが、僕を人質に取ればいいでしょう。ソーさんがいないときだったら、脅されてやったって言いますよ。大丈夫、最悪、父が助けてくれますよ。権力だけはある人なので」

 か細く見えるのに、なんて芯の強い子だろう。こういうことを情に流されずに冷静に考えられるところは、少しツェルに似ている気がする。協力してもらうのはこちらなのに、押し負けたような妙な気分だ。

「わかった。それならよろしく頼む」

 カイアは自信たっぷりに頷いてみせた。


 養児院ようごいんを出て施療院の地下に向かったソーは、いつもの薬を飲まされた後、ベッドの上でカナンからの脱出について思い巡らせた。

 想定外の協力者ができたのは正直、ありがたかった。

 何しろ問題は山積みだ。子供を三人も連れて密航しなければならないのに、実質準備のために動けるのは自分だけだ。これ以上、無為にツェルを巻き込みたくない。

 亡命先の国はいくつか考えている。

 出国の手段として、山岳側から陸伝いに隣国に出ることも考えたが、下調べの上に断念した。山麓の奥地に広がる樹海は生きて出たものがないと言われ、「帰らずの森」と呼ばれている。試しに木々に徴を刻みながら踏み込んでみたが、方向感覚が狂うのか、少し進むと同じ場所に戻ってきてしまうということが続いて、とうとうソーも諦めた。どうにかして船に乗り込むしかない。

 それともう一つ、速翔セハの本試合はどうしたものだろう。正直、ワジに負けようが聖皇に叱られようが、目的さえ果たせるなら構わない。

 聖皇は聖水と毒を巧みに使い分けることで有名だ。

 彼の望み通り速翔セハで名を上げれば、弟たちを自宅に戻すくらい承知してくれるだろう。

 でもレイはそう簡単にはいかないだろう。せめてあの枷、幾重にも彼女を縛る光糸リーリエが解ければ、逃げる機会を作れそうなのだが。

 優勝の褒美に、それを願ってみようか。偶然出会った彼女の境遇を哀れに思って、待遇の改善を望む――それなら、拘束くらいは解いてもらえるかもしれない。

 速翔セハにはもう一つ、別の気がかりもある。

 今まで目立たないようにしてきたのは、国外に逃げたときのためだった。これまでも聖堂の外で行われる公式の場や肖像画の類いは極力避けてきた。対面になるダンスも同様、まともに踊ったのはこの間の聖誕祭が初めてだった。髪を染め、大きな都市を避ければ、国外で気付かれることはまずないだろう。しかし聖皇は使者と手紙を使って、優勝するようにとしつこく言って寄越した。今までのように試合で手を抜けば、結婚を待たずにザンダストラまで強制連行されかねない。

 ならばいっそのこと、中途半端な勝利ではなく、優勝するのはどうだろうか。

 優勝までいけば、絵姿が世界中にばらまかれる一方で、各国から招聘の声がかかる。その中でも、ザンダストラに反意を抱く勢力に協力を取り付けられたら、出国は容易にできるはずだ。もちろん、協力と引き換えに要求はされるだろう。反教会の旗頭として陣頭に立て、と言われる可能性も考えられる。教会を敵に回すのは一向に構わないが、領主一家や、ツェルたちとは戦いたくない。レイや弟たちを危険に巻き込むのは、絶対にだめだ。何が最善だろう……。

 考え事が増えたことや、いつもの騎士団の仕事に加えて連日の速翔セハの激しい練習が加わったことで、思ったよりも疲れていたらしい。

 珍しくソーはぐっすり眠ってしまい、そのまま朝まで目覚めなかった。

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