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ツェルト・リァン-二つ世と未来の女神-  作者: Ari
§05 レイェス Side-S
15/50

【1】

 緊張が背を押したのか、ふたりが落ち合ったのは予定より早い時間だった。ソーとツェルは地上からの死角を選んで、カナンの夜空を駆けた。大聖堂は煌々と明かりが灯り、今なお人々の笑い声や演奏で賑わっているが、少し離れれば、たちまち街は静かになる。

 やがて市街地のやや港寄りに目的の施設が見えてくる。

 中央をくり抜いた長方形の建物だ。くり抜き部分は広い中庭になっており、中庭に面した部分は回廊になっている。教会付属の医療施設、施療院だ。

 ソーは施療院の屋根に降り立ち、煙突に張り付くようにして通用口のある裏庭の様子を窺った。

 建物への入り口は全部で二カ所。正面口と、中庭から出入りできる通用口だ。正面口の前には見張りが二人立っているが、中庭には人はいないようだ。

 事前の下調べで、潜入には通用口を使う、と予め決めてある。

 ソーはツェルに囁いた。

「最初に俺が行く。合図を送ったら、同じ場所を通って来てくれ」

「わかったわ」

 ソーは繋いでいた手を離し、棟を蹴った。光糸リーリエを伝って中庭へと降りる。

 人目に付きにくい木の裏を選び、少し悩んで、足跡が残りにくい樹の根に降り立った。

 人の気配や巡回がないのを確認してからツェルに手招きする。無事にツェルが合流すると、ふたりは背を屈め、灌木の裏を回って慎重に通用口に近づいた。扉まであと数歩、というところでソーはツェルを引き留め、リィを開いた。ここに光糸リーリエを利用した侵入検知の糸が張られているのは調査済みだ。あれに触れると、糸の持ち主に感知されてしまう他、罠が発動する場合もある。

「ツェル、索敵線パザイ・ラーゲだ。ノブの少し下に一本――足下にも一本だ。行けそうか?」

 リィを開いたツェルは、自分の服装を見下ろし、ついでに高い位置でひとつに括ってある髪に触れた。

「が、がんばるわ。髪も結わえてきたし、この服、とっても動きやすいから」

 ツェルが着ているのは、ソーの小さくなった昔の服だ。ツェルの持ち服は裾の長いスカートやローブしかないそうだが、少年のような出で立ちも案外似合っている。

 二人は羽織ってきたフード付きのローブを脱いで茂みの中に隠した。ソーが先に線の間を通り抜け、次にソーの手を借りてツェルがそろそろと通り抜ける。二人は扉の両脇に張り付いた。

 取っ手側に立ったツェルが扉をそっと押してみるが、やはり施錠されている。

「ここは任せて」

 ツェルの言葉を受けてソーは光錘リューゲルを取り出し、ツェルの手に載せた。

 ツェルの目が青い輝きを灯す。ツェルは光錘リューゲルの先端を鍵穴に差し込んだ。指が微かに震えている。鍵穴を読み、空間を埋めるように形を変えるのは繊細で難しい作業だ。

 震えの止まったツェルの手が光錘リューゲルを捻ると、金属の回る音がした。

 事前の打ち合わせ通りにツェルが後ろに退き、光錘リューゲルを受け取ったソーが代わりに前に出る。一気に力を使うと消耗するから、交代でやろうと事前に取り決めてきた。

 この扉は錆ついていて、動かすとかなり大きな音が出るのはわかっている。鍵の次は音対策だ。

 ソーは懐から小瓶を取り出した。中身はごく普通の飲み水だ。栓を抜いて少しだけ地面に垂らすと、小瓶と落ちた水滴との間に薄く光糸リーリエが伸びる。それを光錘リューゲルに絡めて蝶番と取っ手、そして二人の足元に巻き付け、固着化する。送り込む力を微妙に加減すると、糸は霧状に霞んで見えるようになった。水の光糸リーリエを使った遮音術だ。

 改めてツェルが取っ手を押すと、扉は無言でふたりを迎え入れた。

 施療院に通い慣れたソーが前に立つ。

 中に入ってしまえば多少は気楽だ。守衛の巡回時間は決まっているし、見張りの立つ場所も確認してある。入院患者がいるのは二階以上の階、治療師の当直部屋はこことは反対側の棟にある。

 院長室と資料室の前を通り過ぎると、一本道の廊下は左に曲がる。

 ツェルを手で制して、ソーは角の先を窺った。奥の飼育室の扉には、やはり見張りが立っている。

 あいつの不意を突き、昏倒させる。

 頭を引っ込め、光錘リューゲルを構えようとしたとき、見張りが動く気配がした。

「何か揺れたか?」

 見張りが呟く。後ろにいるツェルが蒼白な顔で口と、夜風に靡く長い髪とを手で押さえた。

 見張りの足音が近づいてくる。

 正面からぶつかり合えば、騒ぎになってしまう――

 ソーは胸元のポケットから小瓶を取り出した。光錘リューゲルを持つ手が焦りに震える。その手で小瓶の栓を抜き、手の平に中の水を数滴垂らす。

 ソーの意図を察したツェルがそっと後ずさり、資料室の取っ手に手を掛けた。ソーは扉の表面に水の光糸リーリエで膜を作り、と同時に、素早く光錘リューゲルを鍵穴にねじ込んだ。足音が近づいてくる。汗の滲む手の中で光錘リューゲルが形を変えてゆく。ソーが手首を捻るのと同時にツェルが扉を開き、ふたりは中に飛び込んだ。そして大急ぎで扉を閉めた。

 ふたりが背を押しつけた扉のすぐ向こうを、見張りが通り過ぎていく。そのままじっと息を殺していると、やがて見張りは引き返していった。完全に足音が聞こえなくなって、さらにしばらく待ってから、ようやくふたりは息を吐き出した。

 資料室の奥は中庭に面し、明かり取りの小さな窓から月明かりが差し込んでいる。雲は流れていったようだ。

 天井まで届く大きな書架が壁面いっぱいに並び、窓際にはローテーブルと布張りの長椅子が置かれている。

 ソーは壁際の書架の隙間に潜り込んだ。ここなら廊下を誰かが通れば足音で気づけるし、戸口からは見えづらい。手招きをするとツェルも同じようにしてやってきて、棚とソーの隙間に身体を押し込み、ほっと息を吐いている。

 何となく部屋の奥を見遣ったソーは、月明かりの落ちる様子を見て、ふと思いついた。

「かえって良かったかもしれない。ここからなら外が見えそうだ」

「どういうこと?」

「さっき話したカイアだ。正門の傍でカイアを待つのは見つかる可能性が高いって、ツェルは心配していたよな。でも、ここからなら――」

「あっ、そうだったわ。回廊は必ず通るはずだもの。ここからなら、どこへ向かうか確認できるわね。通用口には遮音を施してあるから、すぐに後を追えるし」

 身を隠したまま確実な道順を確認できるなら、あくまで推測にすぎない道順を強行突破するより安全だ。

 この建物は構造上、どこへ行くにも回廊を通る必要がある。中庭が見通せる場所なら、回廊と、そこを通るだろうカイアの様子も確認できるはずだ。

「でももし、私たちよりカイアの方が先に着いていたら?」

「たぶん大丈夫だ。ギリギリまで庭園に引き留めておいたし、カイア本人も、院長から秘密裏に頼まれていると言っていた。おそらく他の子供たちに気付かれないよう、皆が寝静まってから出てくるはずだ」

「そう、それなら」

 ふたりは床を這うようにして奥の窓に移動した。

 窓辺に置かれた長椅子と壁の間に身を滑り込ませ、カーテンをそっとずらす。中庭は静かで、虫の鳴き声が聞こえるばかりだ。

「地下へ続く通路が確認できたら、その後は?」

「カイアが出てくるまで待って、入れ違いに地下へ向かおう。もう深夜だ。そう長い時間、子供に話相手はさせないだろう」

「そ、そうね。それがいいわ」

 ツェルは相当緊張しているらしい。珍しく声が強張っている。

「ツェル。出入り口は確保できたし、何ならここで隠れているか。用が済んだら必ず迎えにくる」

「いっ、いえ、一緒に行くわ。あなた一人で行くなんて絶対だめよ」

「そんなに無茶をやるつもりはないが」

「そういう心配をしているのではないの。つまり、その……、そう、誰かに気付かれたときには私が必要でしょう? 糸だって、全部切る必要は無いのだもの。ソーとの間の糸だけ切れば……。私は絶対気付かれないようにしなければならないけれど……」

 ツェルは自分自身に言い聞かせるようにしている。

「心配するな。常に俺が先行する。ツェルは少しでも危ないと思ったら、ひとりでも迷わず逃げてくれ。俺だけならどうとでもなる」

「あなたのことは信用しているけれど、もし複数人に囲まれたら、さすがに難しいんじゃないかしら」

 もう少し信用してもらいたいが、と思いながらソーは説明した。

「ここにいるのは聖堂騎士じゃない、一般兵だ。俺自身まだ下っ端とはいえ、一般兵五、六人を相手して引けをとるようでは聖堂騎士にはなれない。それに今日はこれがある」

 ソーは中庭を注視したまま、手の中の薄紫色の光錘リューゲルを親指の腹で撫でた。

 これは今日、ツェルから受け取ったばかりの誕生日の贈り物だ。聖誕祭では毎年、半ば儀礼的なものとして互いに贈り物をし合う。今年も、例年のごとく姉が選んだ花を贈ったソーに対して、ツェルが贈ってくれたのがこれだった。

 受け取ったときは驚いた。軽く握っただけで、まるで身体の一部になったかのように指先に吸い付く。軽く力を込めただけで自由自在に形を変える。普及光錘モデン・リューゲルとは性能が桁違いだ。

 贈り物の報告をしたら、騎士団長は目の色を変えて光錘リューゲルを掲げ、幾度も角度を変えて検分していた。

「こりゃあ、真の光錘(ヤクト・リューゲル)じゃねえか。大したもんだなあ。こんないいもんを用意してもらって、おまえ、よくよく礼を言っとけよ。こいつはそう簡単に作れる代物じゃねえ。こいつさえあれば、一騎当千――って」

 騎士団長はそこでがくりと肩を落とした。

「まあ、あと数ヶ月でおまえもザンダストラに行っちまうんだもんな。おまえがこのまま俺の後を継いでくれたら良かったんだがなあ」

 騎士団長の実子は五人。全員ソーより年上で、揃ってリィに恵まれているが、五人ともに女性だ。レイェス教会においては、なぜか昔から「女性は刃ではなく杖を持つべし」とされている。

 彼女たちは全員、司祭の道を志し、騎士団長はまだ跡継ぎを決めていない。本当に困っているのかもしれないと思うと、教会からの離反を常日頃から考えてきたソーの良心はちくりと痛む。

 もしも、御子の半双メトワという縛りがなく、ただこの街を護る盾の一つとして光錘リューゲルを持てというのなら、選択肢の一つとしてそれも良かったかもしれない。

 いずれは世界を旅して回るのが、子供の頃からの夢だった。

 とはいえ、旅にも先立つものは必要だし、身一つで生きていくなら扱いも入手も難しい光錘リューゲルだけでなく、剣の腕も磨いた方が良い。そのために、しばらく騎士団長のもとで働くのも悪くなかっただろう。

 ただ、戦争に駆り出される剣となれと言われれば、やはり断ったかもしれない。どんな悪人相手だろうが、人の命を奪うことはしたくない。騎士団長にはいつも甘っちょろいと呆れられるが、苦手なものは苦手だ。そうなると、やはり騎士なんて職業は向いていないのかもしれない。

 隣のツェルが溜め息をついた。ちらりと目を遣ると、瞼を手で押さえていた。緊張したままリィを使ったから、いつもより痛むのだろう。

「ツェル、手を」

 ツェルは意図を理解したらしい。差し伸べた手に、そろりと手を重ねてきた。

 しばらく握り合っていると、次第にツェルの強張った手から力が抜けていった。

 治癒力と言っても、見た目にわかりやすい特別な現象が起きるわけではない。自然に治るときと同じように、傷は塞がり、熱は下がってゆく。その速度が上がるだけだ。

 ソー自身もまた、生まれつき怪我や疲労の回復が早いらしい。らしい、というのは、ソーにとってはそれが普通のことだからだ。人と比べてどうかというのは、自分ではあまりぴんとこない。

 ソーの手を介して怪我や疲労を癒やすときの感覚を、ツェルは以前「全身が温かくなって、春先にうとうと眠くなる感じ」と表現していた。

 元より治る力のある者には効きやすいが、死を目前にした者の運命を変えるほどの力はない。地味な能力だと自分では思っている。

「ごめんなさい」

 ツェルがふいに沈んだ声で謝るので、ソーは窓から視線を動かさないまま聞き返した。

「うん?」

速翔セハのこと。私ったら、かっとなってしまって、つい勝手なことを」

「そんなことか。気にしなくていい。どのみち聖皇も手紙で言って寄越してきたんだ。真面目に試合に臨むとしたら、ワジとの戦いは避けられなかっただろう。それも、もし予選を通過できればの話だ」

 すっかり大人っぽく成長したように見えていたツェルの別の一面にちょっと驚いたくらいだ。それにソーには、怒りをぶつけてきたワジの気持ちも理解できる。

 速翔セハの優勝者は世界から賞賛と栄誉を与えられる。出場の決まった学生たちが全力で速翔セハに挑むのは必至だ。そんな中、ひとり真剣に戦うことを避けてきたソーを、速翔セハが命とばかりに打ち込むワジが快く思わなかったのも無理はない。

「そういえば、あの手紙に優勝するようにとあったわね。本試合出場経験もないのにいきなり優勝なんて、ずいぶん厳しいことをと思ったわ。どうして突然あんなことを言い出されたのかしら」

「地味な俺をツェルの相手に据える前に、銀糸で飾り付けておきたかったんだろうな。今のままじゃ、誰が見たって不釣り合いだ」

「昨日も言ったと思うけれど……。あなたは自分を卑下しすぎよ」

「そう言ってくれるのはありがたいが、事実だと思うぞ。ツェルは御子だからというだけでなく、慈善事業にもたくさん功績があるし、民衆にも人気があるじゃないか。でも、俺は平凡な人間だ」

「また、平凡だなんて。あなた、本当に自分のことをわかっていないのね」

「逆に俺は、ツェルがどうしてそんなに俺を評価してくれるのかがわからない」

 ツェルは呆れたように首を振っている。

「少なくとも、あなたは敢えて目立たないようにしてきたでしょう。それくらい見ていればわかるわ」

 確かにそれはあるが、それを肯定したら冴えない自分への言い訳みたいだ。

「過大評価だ」

「おじさまだって、あなたを褒めていたのよ。光錘リューゲルの腕だけでなく、仲間思いで人を引きつける力があるって。あの方は仕事のことで身内贔屓をするような人じゃないわ。それに私だって、あなたが半双メトワだったからこそ、ここまで頑張ってこられたのに」

「……とにかく、速翔セハのことは気にしなくていい。婚約の話さえなければどうとでもなったが、さっさと牽制をかけられてしまった。こうなったら反対派がいくら騒いでも、話がひっくり返ることはないだろう。だったら、速翔セハで勝とうが負けようが同じことだ」

「もう、ソーったら正直すぎるわ。それは婚約が嫌だと言っているようなものよ」

 笑おうとしたツェルは、声を途切れさせてまた俯いてしまった。

 ソーは戸惑った。こんな態度を取られると、まるでツェルが本当に自分を……。いや、そんなはずはない。ツェルは婚約解消に前向きだったじゃないか。自惚れも大概にしなくては。

 ツェルから目を逸らせたソーは、回廊の奥から響いてくる足音に気付き、薄闇の中庭に目を凝らした。

「カイアだ」

 中庭を挟んだ回廊の対面側に、黒髪のほっそりした人影が見える。警備兵らしき男と話をしている。

 カイアと男は、それぞれ反対方向に歩き出した。男は正門の方に立ち去り、カイアは回廊をこちらに向かって近づいてくる。ソーとツェルは窓から顔を離し、壁に張り付いた。

 カイアの足音が途中で変わった。石の回廊を靴底が打つこつこつという音から、草を踏み分ける音に変わっている。ソーはそろりと窓を覗き込んでみた。

 カイアは中庭に降りていた。その先に黒々と光る水面が見える。

 中庭には大きな池があるのだ。飛び石を渡っていくと、奥の東屋まで行くことができるようになっている。ただ、老人の患者が多いこの施療院では、わざわざ滑りやすい飛び石を使って池を渡る者は少ない。陽当たりの良いベンチに集まった老人たちが、東屋のある水辺の風景を楽しむだけだ。

 だが今カイアは、その飛び石を渡っている。そして東屋に辿り着くと、その場で回れ右をし、池の上に腕を伸ばした。月明かりにその手の中のものがちかりと光った。

「あの子、光錘リューゲルを持っているわ」

 驚いたようにツェルが囁く。

 カイアは伸ばした光錘リューゲルの先を池に浸し、それからひょいと上に持ち上げた。すると、池の水位が下がり始めた。

 やがて池が空になった。底には通路のように石が敷かれ、縁には池底に続く石段まで付いている。カイアは慎重に石段を下り、そのまま池底を歩いて東屋の裏手に回りこんだ。

 東屋の柱と、そこに置かれたテーブルセットが邪魔で、ここからではカイアの頭しか見えない。闇に紛れる黒髪の位置は一足毎に低くなっていき、やがて完全に姿を消した。

 ツェルと、ツェルの肩越しに窓を覗いていたソーは同時に頭を引っ込めた。

「まさか、池底に地下への入り口が隠されているなんて。病気で隔離するだけなら、そんなことしないわよね。本当に……あなたが言ったように、何か重要な秘密があるのかしら」

 ここに至ってもまだ教会を信じ切っていたらしいツェルは、ショックを受けた顔をしている。

「それにしても、改めて考えると、何だか妙ね。私たちが月毛に会いに行こうとしていた、まさに今晩このタイミングで、月毛の話し相手に選ばれたカイアが現れるなんて。ずいぶんタイミングが良すぎるわ」

「カイアはルゥやフィーと同じくらいの子供だぞ」

「本人は何も知らされていないかもしない。でも、私たちの計画に気付いたお父様たちが、あの子を囮にして私たちを懲らしめようとしていることも考えられるわ。あなたは結婚を拒んでいるし、今後余計なことをしないよう監視を増やすための口実に使うつもりかもしれない」

「大司教に何か感づかれたのか」

「どうかしら。知っての通り、お父様は一切お顔に出されない人だから。誕生日の贈り物の代わりに、あなたに贈る光錘リューゲルをねだったのを怪しまれた可能性はあるかも。一応、成人のお祝いだし、婚約発表と同時のタイミングだから特別な物にしたい、という風には説明したけれど」

 ツェルの心配は尤もだが、ここまで来たら今さらだ。

「次に返す糸より今の糸を視よ、だ。じっとしていても現状は何も変えられない。このまま行こう」

「……あなたはそういう人だったわね」

 ツェルは呆れ半分に微笑んでいる。少し緊張は解れてきたようだ。

「ところでツェル、ずっと聞こうと思っていたんだが、今晩『呼ばれる』可能性はないのか」

「ええ、眠らなければ大丈夫よ。さっき、仮眠を取ってきたから」

「わかった」

 会話が途切れる。

 しばらくして、ふと手元に視線を感じてツェルを振り返る。握りっぱなしだった光錘リューゲルを見つめていたようだ。

「どうかしたのか」

「あ、ううん……。少し、これを作ったときのことを思い出していただけ」

「ああ、こんなに優れた光錘リューゲルを持ったのは初めてだ。父さんも褒めていた。かなり苦労したんじゃないか」

「そうね。でも、これが優れているのは私の力のためではないから」

 ツェルが思わしげにそう言うので、ソーは聞き返した。

「ツェルの力ではない?」

「あっ、いえ、作ったのは確かに私。それは真の光錘(ヤクト・リューゲル)だから、大切に使ってね」

ヤクト、か。光錘リューゲルの作り方は知らないが、どうしてこんなに性能差が出るんだろうな」

 真の光錘(ヤクト・リューゲル)を作れるのは、御子だけだと聞いている。真の光錘(ヤクト・リューゲル)普及光錘モデン・リューゲルとどう違うのか、どうして軽く握っただけでわかるほど、明確な性能差が生まれるのかは知らない。

 光錘リューゲルの作り方は極秘事項で、作り手以外には秘されているし、作り手が誰なのかも、ツェル以外は公になっていない。

 ツェルは不思議そうにソーを見たが、すぐに何か思い出したらしい。

「そうだわ、教えてもらうはずだった日、あなたが見当たらなかったのよ。まさかそのままうやむやになっていたなんて。あなただって片翼なのだから、もっときちんと管理すべきなのに」

 それについては教会を責める気はない。何しろ真面目に聖職に就く気がなく、何だかんだ教会の催しや授業から逃げ回ってきたのだから、自業自得だ。

「あなたには聞く権利があるから教えるわ。でも、誰にも話さないでね。まず、主な材料は御神木よ。コドの樹の方ね」

「これがコドの樹だって?」

 大聖堂には二本一対の御神木が祀られている。見た目がそっくり、かつ同じ時期に似たような形の花をつけるので、二本を区別せず単に御神木と呼ぶ人が多い。が、本当は正門側の青い花を付けるものがコドの樹、裏庭側の銀の花をつけるものがバネの樹という。それぞれ別の種類の樹木だ。

 御神木の本体は元老院塔に祀られていると聞くが、実際に目にする機会はこれまでのところなかった。

「不思議だな。どちらかというと、磨いた石みたいだが」

 ソーはしげしげと光錘リューゲルを眺めた。

 固くつるりと滑らかな感触の上、火の光糸リーリエを巻いても燃えないのに。

 そういえば御神木を傷つけることは固く禁じられているが、定期的に枝落としはされている。真っ直ぐな立ち姿を好んでのことかと思っていたが、枝を確保する目的もあったのか。

 ツェルがあまりにも深い眼差しで横から聖具を見つめているので、ソーはそれをツェルに差し出した。両手で受け取ったツェルの表情はどことなく物憂げだ。

「コツさえ掴んでしまえれば、光錘リューゲルを作るのはそう難しいことではないわ。コドの樹を削り、そこに魂を籠めるだけだから。本来なら一定の光糸認識力ハルファ・リィを持つ女性であれば誰でも作れるものなの」

「作り手が女性である必要はあるのか」

「そうと決まっているわけではないわ。でも実際問題として、男性で光錘リューゲルを作れた人がこれまでただの一人もいないのよ。お父様でさえ無理なの。あれほど強い光糸認識力ハルファ・リィをお持ちなのに。『女性には杖を』と説く理由はそれなのですって。聖堂騎士も、光錘リューゲルあってこそのもの。私たち聖職者にとって、光錘リューゲルを作るのは最も大切な仕事のひとつだから」

「そうだったのか。魂を込めるというのは?」

「素材である御神木に『つい光糸リーリエ』を籠めることよ」

「『つい光糸リーリエ』?」

光糸リーリエが剥離する瞬間を見たことはあるでしょう。ボルを叩いても、雑草を抜いても、糸は切れるから」

 ソーは頷いた。

 光糸リーリエで繋がりあう存在の一方が死にゆくとき、あるいはその関係性が途切れたときに、光糸リーリエは持ち主から剥離し、さほど間を置かずに消失する。

「それを光錘リューゲルの作り手は『つい光糸リーリエ』と呼ぶの。作り方を秘密にしている理由はわかると思うけれど、光錘リューゲルの管理が徹底できなくなるから。人の心を覗ける道具を野に放つわけにはいかないでしょう。だから作り手を誰にするかは慎重に決定されるし、いったん選ばれた作り手たちは、その秘密を命がけで守らなければならない。秘密を守れば、破格のお給金が生涯にわたって約束される。でも、万が一、秘密を漏らせば――わかるでしょう?」

 極刑、だろう。

 ソーは改めてツェルの膝の上の光錘リューゲルをもう一度観察した。モノに別のモノから手に入れた光糸リーリエを込めることができるなんて、これまで考えてみたこともなかった。

「学校で速翔セハ用に支給される普及光錘モデン・リューゲルは、私ではなく、一般の神官たちが作っているの。植物の根と大地とを繋ぐ糸を使ってね。植物が枯れて朽ち落ちる瞬間を待って採集するのよ。一瞬のことだから、うまくタイミングを合わせないとならなくて、作業自体は簡単でも、たくさん作るのは難しいの。そして、そのための植物が大聖堂の庭園で育てられているわ。薬香草ケンテットがそれよ」

 放っておいてもどこにでも生えてくる、ありふれた草だ。大地に広く根を張り、冬でも枯れることがない。手入れなどしなくてもどんどん増えていく。

「育てられているというよりは繁殖しすぎないように気を付けている、といった方が正しいかもしれないけれど」

「庭園の隅にびっしり生えていたな。手入れをさぼっているのかと思っていた」

 摘めば強烈な匂いがし、三日は手に匂いが残る。根や花は強壮剤としても用いられる。普通に引っ張ったところで頑丈な根はほとんど抜けない。あれだけしぶとく根を張れば、草花の中でも大地との絆は強そうだ。

 ツェルは膝の上の光錘リューゲルをそっと撫でた。

「だけど、『真の光錘(ヤクト・リューゲル)』に籠める糸は、もっと特別なものでなくてはならないわ。だから私以外の人には作れない。これには、人と人とを結ぶ強い絆が必要だから。強い光糸リーリエを籠めるほど、強い光錘リューゲルになるの」

 ソーは衝撃を受けて、ツェルの白い顔と、彼女の膝の上に置かれた薄紫色の杖とを見比べた。

 御子でなければ作れない理由がようやくわかった。

「人同士の絆を……糸を……切りとって使うのか」

 強い糸ほど、強い光錘リューゲルになる。けれども絆の糸を切られた二人は、互いのことを忘れてしまう。

 ならば、ここには持ち主から奪った想いが込められているということか。

 親子の絆。恋人同士の絆。あるいは、強い憎しみを抱きあう敵同士の繋がり……。この光錘リューゲルの中に、そんなものが秘められているなんて。

「だから大切にしてね」

 感情を抑えたツェルの声が夜に溶ける。

 光錘リューゲルを便利な道具として見ていたソーは言葉が見つからなかった。

 糸を切ることはツェルにしかできない。でも、切るように指示を出すのは教会のはずだ。教会はツェルに何て重荷を背負わせているんだ。

 でも、自分は教会を責められる立場だろうか。ツェルを巻き込み、こんなところまで連れてきてしまった。ツェルには教会に抗う理由などなかっただろうに。

 それにこの後、無事に月毛に会えたとして、光糸リーリエに縛られた月毛を、そのまま置いて帰ることになれば、ツェルはきっと気にするだろう。糸を切る力を持っているのに、救えるはずの人を救わなかった――そんな風に思うかもしれない。

 それはツェルも充分にわかっていることだろう。それでもなお、ツェルは同行してくれたのだ。

「……大切にするよ。約束する」

「ええ。ありがとう」

「それは俺が言うことだろう。帰ったらお礼をしたい。何か欲しいものはないか」

 今はそれくらいしかできない。

 だけどいつかきっと、ツェルに恩返しをしよう。彼女が本当に辛くなる時がこの先やってくるかもしれない。その時は絶対に、最後まで彼女を信じる。自分は必ず、最後まで彼女の味方でいよう。

 ツェルはしばらく考えた後、いたずらっぽく答えた。

「じゃあ、速翔セハの優勝冠」

 意外な答えにソーは返答に詰まった。ツェルはふふ、と息を漏らした。

「冗談よ。そうね、せっかくだから装飾品が欲しいわ。選ぶのはあなたにお任せしていい?」

「期待できないぞ」

 女性の欲しがるものなど全くわからない。五人も義姉がいるのに、贈り物をするたびに「センスがない」だの「気が利かない」だの散々な言われようなのだ。だからといって、贈るのを省略しようものなら、どれほど怖ろしい報復が待っていることか。

「それなら一緒に選びにいかない?」

「そうしよう」

 とソーは頷き、ふと思いついた疑問をツェルにぶつけてみた。

「そういえばあの時のことだが、なぜワジとあんな約束をしようと思ったんだ? きみのことだから、勢いとはいえ、何か考えがあってのことだと思ったんだが」

「ああ、それはね」

 ツェルはにっこり微笑んだ。

「どちらに転んでも大丈夫だって確信があったからよ。ワジのコネなんかで、私たちの結婚をどうにかできると思う? ワジは知らないだろうけれど、この話の後ろには聖皇様がいるのよ。ワジが何を騒いだって、私がワジにどうにかされることは決してないわ。一方であなたが勝てれば、あなたを悪く言ったあの人たちのこと、胸を張って見返してやれるじゃない」

 ソーは笑顔のツェルを見て、敵に回すと怖い人であるということを肝に銘じた。

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