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ツェルト・リァン-二つ世と未来の女神-  作者: Ari
§03 聖皇の手紙 Side-S
12/50

【3】

「実は例の施療院の地下室に、何年も閉じ込められている子がいるんだ。俺はその子を『月毛』と呼んでいる。歳は十五だ」

「月毛」

 それはルブラの毛色を表す言葉では?

 ツェルは首を傾げたが、ソーは自身の膝に目を落としていて気付かなかったようだ。

「壁の隙間からどうにか姿は見えるんだが、月毛の部屋には水の光糸リーリエが張り巡らされていて、声が届かないんだ。だからまだ直接言葉を交わしたことはない」

 水の光糸リーリエは音を遮断したい時に使われる。糸に通す力を微妙に加減して、霧のような粒子状に変えて固着化することで、ほとんどの音を吸収することができる。聖堂の応接間や告解室には、水の光糸リーリエがびっしりと張り巡らされている。しかし扱いはとても難しく、優れたリィを備えた者でも、指導を受けながら数年ほど鍛錬を重ねなければ会得できない。事実上、ごく一部の高位司祭だけに認められる秘技である。

 つまり、水の光糸リーリエの使い手が駆り出されるほど重要な秘密が、そこに隠されている、ということだ。

「まさか……。でも、話せないのに、どうしてその子が閉じ込められているとわかったの?」

「身振り手振りで、何となくな。あいつとはツェルと同じくらい長い付き合いになるんだ。初めて月毛と会ったのは俺がまだ九歳の時だった。少なくとも六歳から十五歳になるまでの間、一度もその地下室から出たことがないんだぞ。そんなことって許されると思うか。俺が教会を疑っているのは、実はそのことも大きいんだ」

「感染症で隔離されているのではない?」

「隔離にしては長すぎると思わないか。それに、どう見たって今は元気そのものだ」

「それなら、表沙汰にはできないような罪人だとか……」

「六歳でか? 仮にそうだとして、なぜ牢獄ではなく、ひとりだけ施療院の地下に閉じ込めるんだ?」

 ツェルは言葉に詰まった。

 教会を擁護しきれなくなったから、だけではない。ツェルはいつになく饒舌なソーの様子に気を取られていた。

 さっきまで淡々と教会への疑いを語っていただけなのに、その子の話になった途端、ソーが感情的になった。

 九年も前からそんな友達がいたなんて、全然知らなかった。仲の良かった子供の頃だったら、話してくれても良かっただろうに。今の今まで隠していたなんて。

 ツェルは恐る恐る訊いてみた。訊かずにいられなかった。

「月毛は、女の子?」

 ソーは不思議そうに目を瞬いた。

「なぜわかったんだ?」

「……何となく」

 そうとしか答えられなかった。気まずげに黙るソーの姿が胸に痛い。ツェルは汗ばむ手で両膝を抱え、視線を下に落とした。

 地上では御神木の傍で信者と思しき女性たちが祈りを捧げていた。黙祷を終えた一人がふと梢の上を見上げ、屋根の上にいるツェルたちに気がついた。彼女は慌てた様子で隣の女性の肩を叩き、ツェルたちに向かって頭を下げた。

 ツェルは彼女たちに手を振った。

 女性たちは興奮した様子で手に持ったバスケットを取り落とした。幸いバスケットの中は空だったらしい。落ちたバスケットもそのままに、女性二人は声を張り上げた。

「御子様――と、片翼様! お二人のおかげで今日も平和に過ごせます。どうもありがとうございます」

「毎日ご祈祷に与りましたおかげで、病気の息子が元気になりました。御子様方、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。あなた方に善き糸が紡がれますように!」

 ツェルは彼女たちにそう叫ぶと、もやもやした気分のまま言った。

「ねえ、ソー。私……教会は人々を救うためにあるって信じている。そこに奉仕している私も、あなたも、きっと、あなたが思っている以上に、皆を救っているのよ。それでも今の立場は、あなたにとって受け入れがたいこと?」

 しかし、ソーは揺るがなかった。

「さっきも言った通りだ。とにかく俺は、月毛に会って話を聞いてみようと思う」

 ツェルの顔から仮初めの笑顔が消える。手を下ろして膝に戻した。その爪が膝頭に食い込んだ。

「月毛に会っても、どうせ話はできないでしょう?」

「俺がいつも連れていかれる場所からはな。でも、部屋の中に入ってしまえば関係ない。ずっと道を探していたんだが、護衛という名の監視付きの身分じゃ、なかなか思いきって動けなかった。だが、少し前にそれらしい入り口を発見したんだ。見張りの交代のタイミングも調べてある」

「助け出すつもりなの?」

「できればそうしたいが、そう簡単にはできなさそうだ。彼女は全身をかなりの数の光糸リーリエで縛られている。すべて固着化されていて、そう簡単には外せないらしい。中には金の光糸リーリエも視えた。本人が言うには、勝手に外せば次はその何倍もの糸で縛られるらしい。あれをどうにかしない限り、月毛はあの場所から離れられない」

 金の糸。半双メトワ同士を繋ぐ糸だ。

 それだけ強い糸を操れる人は、大聖堂の中でも一握りだ。

 固着化された力を解くには、結び手を上回る力が必要な上、それなりに時間がかかる。虜囚のところに忍び込んだ上、誰にも見つからないように全部解くのは現実的ではない。他の方法といえば、結び手に解除させるか、糸の持ち主たちの一方が死んで自然に糸が消滅するのを待つか、あるいはツェルが切断フッツェするか――。

「ツェル、きみが悩むことじゃない。俺だって強硬手段は望んでいない。別の方法を探すつもりだ」

「でも、ソー。別の方法なんてあるかしら。光糸リーリエで、それも半双メトワの糸で人を拘束するなんて禁忌に触れるわ。もしも教会がそれをしたというのなら、よほどの事情があってのことよ。お父様に話してどうにかしてもらえるような話じゃないわ。それどころか、そんな教会の秘密を知ったことがばれたら、いくら片翼でも罰せられる」

「覚悟はできている。とにかく月毛と話したいんだ。状況は違えど、教会に拘束されているという意味では俺たちと同じ境遇だし、教会が俺たちをつかって何をしようとしているかわかるかもしれない。それに、実際の様子を見てみないことには、彼女を助け出す方法も探しようがないしな」

「本当にそこまでする必要はあるの?」

「教会の操り人形のままでいるのも、牢獄に繋がれるのも、俺にとっては同じことだ。だったら俺は、やれることをやる」

 ソーの目には強い意志が宿っている。ツェルは説得の言葉を飲み込んだ。ソーは一度こうと決めたら決してそれを曲げない。止めたって聞かないだろう。ソーのためを思うなら、ここは「一緒に行く」というべきだ。少なくともツェルがいれば、何かあった時に関係者の記憶を消すことができる。

 だけど、このまま何もしなければ、ソーとずっと一緒にいられるようになるのに……。

 ツェルはやましい本心を押し隠そうと、淡々と話した。

「やはり賛成できないわ。せめて成人まで待ちましょう。あとほんの少しよ。成人すれば私たちにも正式な地位が与えられることになっているもの。婚姻後は、あなたの代わり、なんて話もできなくなる。それからの方が、事を起こすにしても安全じゃない。月毛のことは正式に聖皇様に交渉して取り計らってもらいましょう。捕まっている理由にもよるけれど、成人した私たちが正式な手続きを踏んで申請すれば、きっと待遇は改善してもらえるわ」

「どうだか。これまで俺たちの自由を奪っておいて、成人した瞬間、口利きできるような立場がもらえると思うか」

「今の上層部は、確かにそうかもしれない。でも教会には、真心で奉仕している人だって大勢いるのよ。彼らはきっと、女神の両翼の声を聞いてくれる。その声が大きければ、上だって無視できなくなるはずよ」

 ソーは溜め息をつき、頭を振った。そうは思えない、と考えているのだ。ツェルは塞いだ気持ちで訊いた。

「教会には、真心のある人がいないと思っているの?」

「そうは思わないが……。俺はツェルのことが心配だ。真心というなら、ツェル以上の人はいないと思っている。余暇の時間までほとんど奉仕や勉強に充てて、それに不満を唱えるでもない。でも、そこまで尽くした挙げ句、教会の実態が、もしツェルの信じているようなものでなかったら、きみが傷つくことになる」

「それこそ買い被りすぎよ。私がこの立場を受け入れているのは、そんな崇高な理由からではないの。本当に個人的な理由よ。誰にも何も期待されないような人生は辛すぎるから、自分にできることをしたいと思っただけ。そうすることで、私は私の生きる価値を見いだせる気がするから」

「生きる価値をツェルが求めるなんて意外だな。最近は大司教ともうまくやれているようだったが、何かあったのか」

「ううん……。でも私は、いつも守られてばかりだから」

 俯くツェルをソーは不思議そうに見ている。

「御子であるツェルを周囲が守ろうとするのは当然だろう?」

「……そうね。感謝しないとね。あと、お父様とのことは理由を知って割り切れたから、もう大丈夫よ。お父様と私は、血が繋がっていないの」

「まさか」

 ソーは驚いている。似ていない親子といえど、疑ったことなどなかったのだろう。以前のツェルもそうだった。

「私がまだ赤ちゃんの時に、聖皇様自らが、私をお父様の元に託しにきたのですって」

 ソーは気まずそうな顔になった。聖皇について散々不平を言ってしまったからだろう。実の娘かもしれない、ツェルの前で。

「気にしないで。私自身、全然、実感が湧かないの。どうしてカナンに預けたのだろうってずっと考えていたのだけど、きっと、安全のためと、光糸認識力ハルファ・リィを高めるためだったのでしょうね」

 カナンは他地域と比べ、圧倒的に光糸認識力ハルファ・リィを持つ者が多い。

 海に囲まれ、山肌が月光を集めるこの地が、リィを育てるのだろうと言われている。

「ああ……、確かに。聖皇には敵が多いからな」

 教会は聖堂騎士団を使って異教徒の土地を攻め、次々その勢力下に置いてきた。他国を侵略した上に、信仰を強制的にすげ替えた教会。当然、その過程には多くの敵が生まれた。

 聖皇暗殺未遂事件も過去に何度か起きている。レイェス教を認めない、土着の神々を掲げる「異教徒」の手によるものも多い。

 御子として生まれた娘は、手元に置けば敵に狙われるだろう。それよりは血統を隠して誰かに預けた方が安全だ。カナンは山と海に囲まれた天然の要塞。しかも聖堂騎士団の総本山とあって、最も安全な場所の一つだ。

「ごめんなさい、話が逸れたわ。話を戻しましょう。月毛のところに潜入する話だったわね」

 放っておけば、ソーはきっと、一人で月毛の元に向かってしまうだろう。

 ツェルは地上に目を走らせた。やはり『シィカ』の姿が見える。少し離れた樹の陰に一人。灌木の裏に一人。馬小屋の先に一人。ツェルに付けられた者だけではない。あのうちの半分はソーに付いてきている。

 護衛のためか、監視のためか。いずれにしても、教会がソーを必要としているのは間違いない。

 だとすれば、万が一潜入がばれたとしても命を奪われるようなことはないはずだ。でも、もう二度と勝手なことをしないようにと、軟禁くらいはされるかもしれない。最悪の場合、生きてさえいれば五体満足である必要はない、なんて考えかねない。ザンダストラの上層部にはそういう苛烈なところがある。

「今までのように壁越しに顔を合わせるくらいであれば、見つかったとしても、偶然見つけたで押し通せるでしょう。でも警備を欺いて、立ち入り禁止区域に踏み込むとなれば、話は変わるわ。見つかった場合、どんな罰がくだされるかわからない。そんな危険を冒してまで、教会を嗅ぎ回る必要は本当にあるかしら。あなたが疑う気持ちもわかるけれど、きれいごとだけでは片付かないこともあるかもしれない……。私だって、そんなのは嫌だと思うけれど、だからこそ、私たちの目に触れないように隠しているのかもしれないでしょう。あなたを護るため、片翼についての詳細を秘密にしていたように」

「また深海文書か。それも疑惑の種なんだ」

 ソーはうんざりした顔をした。

「そもそもだが、深海文書や聖典を絶対視するなら、万に一つでも偽の片翼を連れてくるようなことがあってはならないよな? それなのに、糸を確かめもせずに、俺だと確信してしまったのはなぜなんだ」

「それは、あなたには治癒力があるし、ご神託までくだったのだから……」

「治癒力目当ての割には、俺を懐柔しようとはしていないよな」

 ソーの持つ治癒力は、ソーと親しいほど効果が出やすい。

「そうね。でも、お父様のご神託は外れたことがないのよ。充分、信ずるに値するわ」

「それも、かえって不思議なんだ。上層部のやり方はツェルも知っているよな。自分たちに都合の悪い情報は平気でもみ消してしまう。大司教様や義姉上あねうえたちに比べ、信仰より実益を重視する傾向がある。それなのに、下位神官たちより、上層部の方がご神託には忠実だ」

「そういえば、この結婚に大声で反対しているのは、第四階位以下の者ばかりね……」

 ソーと目が合った。

 ソーの疑惑を晴らす材料が欲しかったのに、次から次に疑問ばかり出てくる。いや、改めて出てきたのではない。本当は薄々気がついていた。ただ、目を瞑って見ないようにしてきただけだ。

 いつもわけのわからないことばかり起きていたから、いつしか考えることを諦めるようになっていたかもしれない。リァンとツェル。ハフラムとカナン。これまで、わからないことを考えたり、調べたり、訊いてみたりしたところで、答えが出たことなんてなかった。変に疑問を抱くより流されるまま生きた方が楽だったから。

「とにかく、疑わしいことは山ほどある。さっきの大司教の返事を覚えているか。『地下室にいるのは俺だけ』なんて明らかな嘘だ。月毛のことをあの人が知らないはずがない。つまり教会の関係者は誰も信じられない、ということだ。だったら、俺は自分で調べてみせる」

 珍しく熱を帯びたソーの目に、ツェルの不安が膨れ上がる。

 見つかったらどうなるのか、という不安。でも、それ以上に不安なのは「月毛」という少女のことだった。

 長年壁に隔たれてきたソーと月毛。言葉も届かないまま、視線だけを交わしてきた二人。その二人が密やかに出会って、言葉を交わす。どうなるだろう。どうなってゆくのだろう。

 ツェルは居ても立ってもいられず顔を上げた。二人きりで会わせるなんて、とんでもない!

「私も行きます」

 ソーの目が丸くなった。ツェルは口早に言い募った。

「その子を縛る糸を切るためではないわ。人同士の絆はそう簡単に切って良いようなものではないもの。でも、万が一潜入がばれてしまった時には、警備兵の記憶を消すくらいのことはできるから」

「それはそうだが、危険だぞ。もちろんきみがいてくれれば心強いが、でもきみは」

「あら、あなたが良くて私がだめな理由はどこにあるの」

「いや、それは」

 ツェルは口ごもるソーに向かい、にっこり笑ってみせた。

「潜入は聖誕祭後のガーデンパーティーの時がいいと思うの。お父様も騎士団長も来賓とお酒を嗜まれるし、施療院の院長や主だった責任者たちもパーティーに来るから、施療院の警備も普段より手薄なはずよ。別々に引き上げて合流しましょう」

シィカはどうするんだ」

「あなたこそ」

「俺は問題ない。城館内の抜け道を使えば、あいつらの目を盗んで潜り込むくらいはできる」

「私も大丈夫よ。シィカの交代の時間を調査済みだから、そこを狙うわ。それに北側の窓が御神木の影になっていて、地上から見づらいのは確認済みよ。あそこの枝は伐らないように頼んでおいたの。もうすぐ花が咲きそうだから、部屋に香りが届くようにって」

「えっ」

 ソーは面食らった顔をしている。ツェルが逃走ルートを確保していたことが信じがたいらしい。

「私だって、一日中見張られているのはうんざりなのよ。成人していよいよ自由がなくなる前に、こっそり街に出て好きなことをしてみたいって、ずっと思っていたの」

 ソーはぽかんとツェルを見た後、膝に置いた腕に顔を伏せた。背中が震えている。声を殺しているが、笑っているのはばればれだ。

「もう、ソーったら。大人になりきれていないのはあなたも同じでしょう。自由が欲しいと言っていたじゃない」

「いや、子供っぽいなんて思っていない。さすがツェルだと思っただけだ」

「どういう意味?」

「そういうところは昔のままなんだな」

 顔を上げたソーの目が優しく細められている。つかの間その表情に見蕩れたツェルは、慌てて言葉を重ねた。

「と、とにかく、教会の話なら私は当事者よ。それに、もしもあなたが捕まるようなことがあれば、あなたと婚約関係になる私だって無関係ではいられない。あなたもそう思ったから、行動に移す前に私に話してくれたのでしょう?」

 ソーは笑いをひっこめ、しばらくじっとツェルを見つめていた。ツェルはじりじりと身を焼かれるような熱を堪えて、なるべく真っ直ぐにソーの目を見つめ返した。見れば見るほど海のような瞳だった。深い青の底から生気が立ち昇る。彼に名を与えた人は、きっとこの瞳を見て名前を決めたのに違いない。

「わかった。それなら、きみのことは俺が必ず守る」

 ツェルの中に昂ぶっていた熱が弾けた。ツェルは抱いた膝の中にかっかと火照る顔を埋めて、こくこくと頷いた。

 幸いソーは先のことを考えるのに頭がいっぱいで、ツェルの様子には気がつかなかったらしい。

「俺がいつも連れていかれる奥の別棟までは空から行ける。大鐘楼の北側なら人目に付きにくい。合流場所はそこにしよう」

「えっ、ええ」

「窓を破るつもりだったが、きみも同行するなら無理できないな」

 ツェルはどうにか動悸を鎮めながら応じた。

「施療院には終日見張りが立つものね」

 富裕層が多く入院しているせいだろう。中には外国の貴族もいる。賊に入られたりしたら国際的な信用問題に繋がる。日暮れには全館施錠されて、定期的な見回りもあるのを、何度か訪れているうちに知った。

「私たちの光糸認識力ハルファ・リィなら、光錘リューゲルさえあれば、大抵の鍵は開けられると思うけれど」

「これでどうにかするか」

 ソーが袖口からツェルにだけ見えるように覗かせたのは、学校から速翔セハの練習用に支給された普及光錘モデン・リューゲルだ。基本的には学外持ち出し禁止だが、最上級生のうち、本大会に出場する可能性の高い学生のみ特別に持ち出しが許可される……。

 そこで、ツェルは気付いた。

 そうか、聖皇様から贈られたのか。優勝するように、と言って寄越したくらいなのだから。

普及光錘モデン・リューゲルね。よほどうまく使わないと開ける前に壊れてしまうし、うまくいったとしても使えるのは一回きりよ。いずれにしてもあなたまた、お叱りを受けることになるわ」

「それは仕方がない。またフィーが壊したことにでもしておく」

 ソーはげんなりした表情で答えた。

 すでに学用品の普及光錘モデン・リューゲルをソーは二回壊して反省文を書かされている。二回とも、学校に遊びに来た彼の弟フィーが、決闘ごっこで真っ二つに折ったらしい。二度目に指導室に連れていかれたソーは、夜の礼拝にもやってこなかった。一体何時間、反省文を書かされていたのやら。

 役割を替わってあげたいところだが、光糸リーリエを切る特殊能力を有するツェルは教会の許可なく光錘リューゲルを持つことを禁じられている。学用品の普及光錘モデン・リューゲルも使用時に都度貸し出しだ。

「できれば、もっと確実な方法が欲しいわ。開けた鍵をそのままにして帰ったら、侵入に気付かれて騒ぎになりそうだもの」

「そこは諦めるしかないだろう」

「いいえ。別の光錘リューゲルを用意すれば良いのよ。予備か、あるいはもっと性能の良いもの。ちょっと心当たりを当たってみる」

「そんなことできるのか。光錘リューゲルは材料も含めてかなり厳しく管理されているだろう」

「そうね、あまり期待はしないでおいて。ところで、月毛の部屋に続く道に目星は付いているということだったけれど、地下室なんてどこから入れるの」

「院長室の奥に資料室や薬剤管理室が並んでいる通路があるだろう。あの一角に鋼鉄製の扉があるのを知っているか」

「知っているわ。確か、飼育室だったかしら」

 飼育室では希少性の高い動物が飼われている。体液や卵が、薬の材料として使われるような動物たちだ。外部から病気を持ち込まないよう、中に入れる人は厳しく管理されている。

 ツェルは以前、入り口から少しだけ中を覗かせてもらった。中は薄暗くて、檻や飼料の調理器具らしきものがちらりと見えただけだった。

「入り口はな。構造を考えると、あの奥に通路が隠されている可能性が高い。図面にも書かれていなかったが、逆にそれが怪しいと思っている。それと、月毛から聞いた彼女の食事時間と、配膳台を押した職員があの扉を出入りする時間とがぴったり合うんだ。まず間違いないと思う」

「図面まで確認したのね。一体どうやって?」

「院長室の鍵付き書庫にしまってあるのは、数年前からわかっていた。ずっと機会を窺っていたんだが、最近、ようやく確認できたんだ」

 一体どれだけ前から、ソーは潜入を計画していたのだろう。

「でも、あそこには常に見張りが立っているじゃない」

「実力行使の後で記憶を消すのが手っ取り早そうだ。頼めるだろうか」

 ツェルは額を抑えた。結局、荒事は発生するのか。

「それしかなさそうね。前半はあなた頼みよ」

「もちろんだ。……それより、ツェル。今まですまなかった」

 突然の謝罪にツェルは目を瞬いた。ソーは申し訳なさそうに頭を下げている。

「どうしたの、突然」

「気付いていたと思うが、今まで俺はツェルと距離を置こうとしていた。その方が、俺たちの将来の話を反故にしやすいかと思ったからだ。だが実際には、そんなことをしても何も変えられなかった。ツェルに不快な思いをさせただけだ。俺は馬鹿だった。申し訳ない」

 ソーの謝罪はツェルを複雑な気分にさせた。理由があってのことだったのは良かったが、ソーが最初からツェルと結婚するつもりはなかったことも、同時にわかってしまった。

 ツェルは曖昧に微笑んだ。

「良かった。嫌われていたわけではなかったのね」

「もちろんだ。そんな風に思ったことはない! きみは何も悪くない」

 ソーは焦ったように首を横に振った。その必死な様子が、ツェルの中のひっかき傷を少しだけ癒やしてくれる。ツェルはソーの手を取った。

「それなら、これで仲直りね」

「ツェルは優しすぎる。普通もっと怒ると思うぞ。それだけのことをした自覚はある」

「そんなの無理よ、怒れないわ。あなたは教会とは無縁の空から、まだ十にもならない子供の頃に無理やり連れてこられたのよ。そして家族と引き離されて、突然、まったく別の生き方を強いられて……。納得いかないと思うのも仕方ない状況だったと思うわ。事情はわかっていたのに、私は何もしてあげられなかった。ずっと後悔していたの。だから、これからは協力させて。一緒に考えてみましょう、どうしたらあなたが望むように生きられるのか」

 ソーは戸惑う様子を見せた。

「その、ツェルは……本当にそれでいいのか?」

「ええ。あなたに恩返しがしたいの。初めて会った日から、あなたには何度も助けてもらってきたから」

 ソーの本心をずっと知りたいと思っていた。成長に従って笑わなくなったソーのことが、ずっと気掛かりだった。

 本当はずっと傍にいてほしい。でも、教会の活動を手伝う時のソーは笑わない。溜め息をついて、曇りがちの目でぼんやりと空を眺める。

 ツェルは空を翔ける時の明るいソーの笑顔が好きだった。困っている友人の元にはすぐに駆けつけるようなソーが好きだった。そういう時、ソーの目は夏の青空のように輝いて見えるのだ。生き方を無理強いして、笑わないソーを隣に縛りつけておいても意味がない。

「だから、遠慮せず頼ってね」

「そ、そう、か。ありがとう」

 ソーはほっとしたように目を細め、なぜか少し気まずそうに首筋に手をやった。

「月毛に会って、話を聞いてみましょう。改めてよろしくね、ソー」

「ああ。こちらこそよろしく頼む」

 ソーは久しぶりに、何の憂いもない笑顔でツェルに笑いかけた。青い小鳥トフィルに見せたのと同じ、明るい表情だ。

 ツェルの胸に温みが広がる。向かい合ってソーが笑いかけてくれたのは数年ぶりのことだった。

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