泉間の催眠術士:新天地、来訪
3/30追記:投稿する話数が前後していたため修正しました。すみません!
「ここが……東京?」
翌日、港に到着したクスミは青空の中、北九州の何倍も密集して聳え立つビル群に驚く。
船に乗っているよう感覚が抜けずにふらふらとしていると、横からレルナが支えてきた。
「そう、そして催眠術士が日本で一番多い街。上京したての人なんか、こぞって狙われるから気を付けなさい」
同じく疲労困憊だった二人にも関わらず、回復力の差が表れている。
更には、とにかく一度どこかで休みたいクスミに対して、レルナはクスミに自分好みのシティポップな服を着せるため服屋巡りをしたくてたまらないらしい。
「ほらクスミ、元気出していかないと。海の波は乗り切れても、都会の荒波は乗り切れないよ」
「それは、そうかもですけれど、うぅぅ、休ませて……」
クスミは弱弱しく意見するも、そのままクスミに引きづられていった。
久穏はその様子を後ろから楽しそうに笑う。
気の難しく、環境故に友人の少なかったレルナが、同じ年代の子と遊べている姿に少なからず感動を覚えているのだ。
□□□
「ヒッピアくん、助けにきたよ」
停泊した船内。
目隠しをされ柱に拘束されて数時間、観念していたヒッピアは聞き覚えのある女の声に顔をあげた。
自分に任務と催眠アプリを与えた、あの上司だ。
「助けに、来てくれたんですね……!」
「それはそうだよ。だって君を置いてきぼりにしたら、尋問で色々漏らされて面倒だからね」
どうやって監視の目をすり抜けて、この女上司が自分の元までたどり着けたのか。
そんなことを聞くまでもない、優秀な催眠術士である彼女には容易いことだろうとヒッピアは素直に救援を喜んだ。
「それで情報は掴めたかい? 船に乗った少年の正体とか」
「ああ、はい。確か、船員の家族で、名前はええと……吉山九郎とか」
「うんうん……より、今目隠しを外してあげるからね」
暗闇から光が差し込み、ヒッピアが目を開いたとき。
目の前には一枚の手鏡があった。
『鏡に映る自分を、よく見なさい』
そこにはヒッピア自身が映り込んでいて、何かに怯えている男が映っていた。
『背後にいる女性は誰か、教えなさい』
おかしい、背後に映るのは柱のはずだというのになぜか上司が映っていて、鏡越しにこちらを見つめている。違う、鏡と現実との境目がなくなり、虚像と実像が男の中で交わり、目の前の光景が歪んでいるように錯覚しているのだ。
その理屈を分かったとしても、恐怖に包まれたヒッピアは逆らうことなく答える。
「貴方です……アイギス様……」
『アイギスの神話を知っているかい』
「貴方が昔、アイギスとはギリシャの神の生み出した防具で、メドゥーサの首がはめこまれていると教えてくれました……」
「よく覚えていたね。では……『神話の怪物メドゥーサの眼を見てしまった人間は、どうなるのか知っているかい』」
その鋭い目は怪物のように恐ろしく、上司の声が響く。
呼吸の音、匂い、瞳に映る自分の像まではっきり見える距離。
そして上司アイギスはそのすべてを、催眠に用いるための術に落とし込んでいることをヒッピアは知っていた。
「あ……あ……?」
なぜ、自分は見つめられているのかと、驚愕し身体が硬直する。
蛇に睨まれた蛙は動けなくなるというが、ヒッピアは全身が恐怖で凍り付いた。
だけでなく、呼吸する余裕もなく、声も発することが出来ない。
他人に睨まれ、叱られ、威圧されることなど人生で何回も経験したはずのヒッピアだが、これは何かが違うと気付いたとき、既に目蓋を動かすことすらできなくなっていた。
「私のコードネームは『アイギス』。見つめた相手を石に変える怪物がはめ込まれている。昔はテレビでも、催眠術のネタで「人間を石に変える」というものがあったんだけど、知ってるかな?」
(どう……して……)
恐怖に縛られたヒッピアの精神は、その思考すら鈍くなる。
毒を流し込まれたかのように筋肉は縮こまり、関節は折りたたまれ、二度と伸ばせなくなる。
頭が真っ白になる瞬間が途切れることなく、より強く、長く、続いていく。
「君がこっそり催眠アプリで悪用してACITHの金を横領したことは承知済みだ。催眠術士としても三流、任務を与えても失敗。ではせめて、プラトーの奴らに我らとやり合うならばこうなると、見せしめになってくれたまえ」
ヒッピアの思考は既に途切れている。この先も、ただ生ける石となり続ける。
アイギスは、笑顔でその場を立ち去った。
「最期くらい、石ころ程度には役立ちなさい?」
□□□
「初めての東京観光はどうじゃった?」
「もう……いっぱいいっぱいで、何にも覚えてません」
いくつもの手提げ袋を抱えて、クスミとレルナがようやく久穏の借りたマンションへたどり着いたのは半日経った夕方のこと。
目を回しているクスミに、流石にちょっとやりすぎたかもと反省するレルナは、彼を引きずって寝室へと放り投げた。
「クスミはゆっくり休んでなさい、荷ほどきとか、他の準備は私たちがやっておくから」
「はぁい……うぅぅぅ」
聞いたことあるお洒落な地名。
聞いたことのない横文字のブランドや服の名称。
店に入ればアイドルの社交場かというほどハイセンスな人々に遭遇したせいで、クスミはその輝きに消滅しかけ、レルナの袖から手が離せなかった。
かろうじて彼女はストリート系ファッションが好きだということが分かったので、「ストリート」という言葉が出るたびにうんうんと頷いていたら、帽子やらダボついたズボンを試着に回され、「田舎臭さが抜けてないから、似合う服も少ないわね」という言葉に傷みつつ、更に店の奥へ引っ張られていく。
クスミは眩暈を起こし、ハンガーラックにかかった服の山が、聳える迷路の壁に見えて仕方がなかった。
そうしてレルナたちが金を出すとなかば、紙袋のブランドのロゴを見ても、何を買ったか思い出せないくらいには言われるがままに買い込んでいた。
そんなこんなでクスミは部屋で伸びており、再び外へ買出しに向かうレルナと久穏を見送る。
「じゃあクスミ、留守番お願いね。もし欲しいモノがあればついでに買ってあげるから、連絡しなさい?」
そんなこんなで、買出しに出かけたレルナと久穏がいなくなった部屋で、ようやく休みを得ていたクスミだったが
ピンポーン
チャイムが鳴る。
来客用モニターの存在に気付かぬまま、クスミは二人が帰ってきたのだろうと立ち上がる。
「はーい」
クスミが扉を開けると、赤紫色の髪をした女性がいた。
クスミやレルナより少し年上だろうか。身長はクスミよりもやや高く、落ち着いた眼差しをしている。
赤紫の髪をリボンでまとめ、フリルのついた袖の白ブラウスに黒袴から覗くロングブーツは、奇抜な和風ファッションながら彼女の美貌を損ねない。
クスミを少し見下ろすほどに高い身長とそのまなざしは、和装の似合う大和撫子というより、女城主という言葉が似合っていた。
「こんばんは……あら、泉間レルナに用があるのですが、もしかして間違ったでしょうか」
「あ、いえ合ってます。彼女ならすぐ帰ってくると思いますが……」
クスミが、その美貌に思わずたじろいでいると、女はにこやかに笑った。
「失礼、名乗り忘れていましたね。私の名前は泉間メメル。レルナがお世話になっております」
□□□
「げ、メールがこんなに溜まってた……」
スーパーで買い物中、好きな食べ物を聞こうとスマホを取り出したレルナは、通知の量に眉を潜める。
そういえば、船上では圏外だったし、昼は服屋巡りに夢中で見ていなかった。
食材が山ほど積まれたカートを押し、カップ麺を1ケースを取ろうとする久穏の手を叩き落としながら、組織からの重要な連絡だけ確認する。
「なにこれ、人探しの依頼? 泉間全体に連絡してんの……探偵に頼めばいいのに」
差出人は泉間メメル。
自分と同じ苗字、ほんの少し年上なだけだというのに才能も実力も一流。
一方のレルナは自己暗示のみしか催眠術を使えない組織の格下。
それは小学生の頃からハッキリしていた。
レルナは、催眠術が怖かった。
虫も殺せなかった優しい友達が、次の日には平気で近所の犬を虐めるようになった。
素行は悪いが人気者だった友達が、数時間後にはロボットのように模範的な行動と会話しかしなくなって帰ってきた。
大人はそれを「子供は成長すると性格が変わりやすいものだ」と言ったが、レルナは知っていた。
彼らは、メメルの実験台にされたのだと。
次の日には、自分が催眠術をかけられ人格を変えられるかもしれない。
親友が催眠術で全くの別人になり、私を殺してくるかもしれない。
恐怖に支配されたレルナは、自分もまた誰かに催眠術をかけるのを恐れるようになり、今日という日まで続いていた。
そしてメメルは、人を人として見ないという点においては、催眠術士向きの性格をしており、一族の上位につくようになった。
「きゃはは! わ!?」
レルナは、スーパーではしゃぎ回る子供たちが脇をぶつかったお陰で、我に返る。
「ごめんなさい…! 待ってよ~お兄ちゃん!」
そそくさと遠くの棚へ走ってく小さな影をしばらく見送った後、デコったスマホをスワイプしながら、メールの内容だけ確認する。
どうせ身内が家出したとかだろうし、今はクスミの件含めやることが多く、捜査に協力なんてするつもりもなかったのだが。
【吉野の里の者】
回りくどい文章に目を滑らせてた中、その言葉に画面を弾く指が止まった。
「……吉野、ねえ」
最近聞いたことのある言葉だが、こんな偶然もあるものか。
緊急でもないし、後で読み直すことに決めたレルナはスマホをしまいこみ、久穏の懇願を無視してカップ麺をごっそりと棚に戻した。
□□□
「レルナのいとこですか。俺は、彼女とお爺ちゃんがパーティーをするというので、留守番を頼まれていて……」
「あら、二人とは随分と仲が良いんですね」
「そうですね、色々お世話になっていて助かりっぱなしです」
その頃、2人は談笑していた。
コの字に配置されたソファで、テレビの正面にメメルが姿勢正しく座り、クスミは端で肩を強張らせながら座っている。
(レルナとの関係を深堀りされたらどうしよう……)
船の中で、恋人になる提案をされたが、クスミはいまだにそれを飲み込めていない。
(あまりにも突発的な話すぎて現実感はないし、でも街を異性と二人きりで歩きるのは噂に聞くデートっぽかったし、しかし恋人がする恋愛というものとは違う気もしたし……)
「俺はレルナのことが、よく分からない」
「おや、そうなんですか?」
「……声に出てましたか?」
「はい」
クスミは誤魔化し笑いすらできず、ただ冷や汗を垂らした。
「でも安心しましたよ。異性とはいえ、レルナにも友人がいたなんて。ほらあの子、自分勝手で、手に負えない部分もあるでしょう?」
「はい、その通りです……あっ」
「正直な人ですね。レルナとは真逆なくらい……貴方のこと、ちょっと興味が湧いてきました」
メメルはくすりと笑うと、懐から何やら深緑の箱を取り出した。
長方形の箱をゆっくり開けると、中からでてきたのは花札。
目の前で広げてみせられた札は、よくお婆ちゃんと遊んでいたクスミにとって見慣れた絵柄ばかり。
「あ、こいこいでもやりますか?」
「それも良いけど、私が勝ち続けてつまらないので……」
クスミが聞き返す前に、メメルは花札を鮮やかな手さばきで切り、正面に置いた。
「相手の引いた札を当てるゲームなら、どうですか?」
「それは」
クスミは言いかけて、少し黙る。
花札は48枚で1組。絵柄は1枚ずつ、カスという種類であれば2枚あることがあるが、それでも最初に絵柄を当てられる確率は1/48から2/48の間。
「めくった札は、新しく一枚引く。交互に一回ずつ相手の札を予測して宣言する。相手の札を言い当てられたら1点。外したら0点。当たっても外してもそのカードは捨てて、また新しく1枚引く、の繰り返し。そして最後に合計点の高い方が勝利。ほら、簡単だ」
嬉々としてルールを語るメメルに、クスミは顔を曇らせる。
それはゲームの難易度の事ではない。
(そのゲーム……いや、訓練を、俺はやったことがある。これは催眠術士が行う、初歩の初歩)
「折角なら、何か賭けようか? 貴方が勝ったら、私が知ってるレルナのことを教えてあげても良い。ただし私が勝ったら」
ゲームをやるかやらないか、そんな選択肢をクスミは持っていなかった。
気付くのが遅すぎた。泉間メメルは催眠術士であるし、既に自分の口は自由が利かない。
断ろうという思考を、メメルの表情が打ち消し、立ち上がろうとする意志を、メメルの些細な動きで制止される。
場の空気、というものが人間社会には存在する。
静粛な儀式に参列した際、人は座席に座った後、自由勝手に動かずただ座り続ける経験をする。
眠気や空腹に教われようとも、場を乱してはいけないとその場から動かず、話を聞き続ける。
習慣、同調圧力、共感、社会の作法として、心理的に束縛された状態を維持させられる。
メメルは何でもないただのリビングで、他者からその心理を引き出しみせている。
「逆らうことは許されない」という無意識の感情を、ただの所作で操作しているのだ。
一流の催眠術士は、催眠アプリや道具など持たずとも、その身一つで相手の精神を容易に操作する。
白い鈴の音は、クスミの胸元でずっとなっていた。
りぃん……りぃん…
「私が勝ったら……君の全てを教えてもらおうか」
「いいですよ」
目の前の青年の能力を知ってか知らずか、メメルは挑戦状をたたきつけてきた。
術中に嵌ったクスミは、だがそれでも、静かにほほ笑んだ。