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船上/戦場 決闘と恋

 荒波が近づく。

 催眠にかかり、呆然と船を操作する操舵者に、その違いは気付けない。

 そこから80メートル後方、130メートル下方に広がる船倉は車5、6台ほどの広さはある。

 しかし今積荷はなく、あるのは4人の影。

 赤ジャケットの催眠術士ヒッピア、操られた久穏と彼に取り押さえられたレルナ、そして吉野クスミ。


「じゃあまずは、名前から聞こうか。俺はヒッピア。お前の名前は?」


「吉山九郎だ」


「上手い嘘をつくじゃないか、吉野クスミ」


「貴方も流石ですね。船員の殆どを催眠にかけれる術士だ、そこのお爺さんからも当然情報を聞き出したとは思っていましたが、その通りだったとは」


「ご明察だ。そう推測した上でブラフをかけたんなら……やはりお前も催眠術士だな」


 クスミは笑う。

 やはりなどと訳知り顔で言われても、クスミは催眠術士が何なのかよくわかっていないので答えようがなかった。


「となると、普通の催眠術じゃあお前を引っ掛けるのも一苦労しそうだ……そういや、そこのオッサンが、不思議な御守りも持っている話もしてたっけな。そいつも外せ。ポケットの中身も全部見せろ」


(……こいつ、クスミのそんな情報も知っているの!?)


 レルナが驚く中で、クスミはシャツの中から鈴飾りを引っ張り出すと、地面に置いた。ポケットに何も入ってないことも確認させた。

 残りの鈴は全て、部屋へ置いてきたカバンの中だ。


「よしよし、なら次は、こいつの出番かな」


 ヒッピアはスマホを取り出して、クスミに見せつける。

 まずい、とレルナは間一髪顔を逸らすが、クスミは避けられなかった。

 画面には起動した催眠アプリ『13』の複雑な模様。


「どうだ、クスミ……これには流石のお前も耐えれねえだろ。最新の耐催眠防備だって貫通する催眠だからなぁ……」


「……」


 笑顔を浮かべていたクスミの顔も無表情となり、ガクンと身体を倒す。


「じゃあ、改めて、だ……『お前の知っている情報を全て吐け、吉野クスミ!』」


「……る」


 クスミはゆっくり立ち上がると、前へ進みながら何かを呟く。

 ヒッピアは、その言葉を聞き取ろうと首を伸ばす。

 レルナはその時、クスミの言葉を聞き取った。


「『吉野クスミ、もっと大きな声で言え』!」


「はい……俺は」


 クスミは前にさらに一歩進んだ。

 そして力強く踏み込む。


「目の前の相手を殴ります」


 ガツンッ!!


 声を聞き取る前に、ヒッピアは後方に吹き飛んだ。

 クスミによる想定しない強烈な一撃により、受け身も取れずに吹き飛ぶ。

 次いで、クスミはヒッピアからスマホを取り上げ、そして動きを止めた。


「はっ、今俺何をしてた……?」


「クスミ……!」


「な……ちっ、ふざけるなぁ!!」


 我に返ったヒッピアは、立ちがりながら自分の催眠道具を取り出そうとする。

 クスミは催眠アプリを使おうとするが、「使用者制限」の文字が表示されて使用不可。


「クスミ、私にあの催眠かけて!」


「……!」


 クスミはレルナの懐から紐の付いた円を取り出し、ヒッピアからの視線を遮る位置でレルナの前で揺らす。


「もっとゆっくり、そして段々と早く揺らして!」


「こうか!!?」


「『私は、チョウのように舞い、ハチのように敵を刺す!』」


 最後の言葉を聞くより早く、レルナの体感速度は加速する。

 老人の拘束を解き、ヒッピアの催眠術が始まるよりも早くその頭を蹴りあげた。


「………ガアッ!!?」


 吹き飛んだヒッピアは、柱に激突し、そのまま倒れる。

 レルナもまた、気力が尽きて倒れるところを、クスミが抱きかかえた。

 この柔らかな肉体から一体どうやったらあの爆発的な怪力がでるのか、クスミには分からないがそのまま床に下ろす。


「て、めえ……許さねえ! 俺の悦を邪魔しやがって!!」


 寝そべったままヒッピアは、顎が外れるくらいに口を大きく開き怒声を揚げる。

 骨が折れ激痛を感じながらも、格下の子供2人にそれぞれ一撃を当てられたことに、屈辱を感じていた。


「『兵士たち、このガキ二人とも、ボコボコにしやがれ』!! 『銃は使うな』、俺が殴り殺してやるッ!!」


 扉の向こうから兵士たちが十数人、二人を取り囲むように入り込んできた。

 最初に来た一人がクスミを発見すると、その顔に硬い拳で殴りつける。

 もし催眠によって動きが鈍くなっていなければ、クスミは避けられず、顎の骨を砕いていただろう。

 だが一撃を避けようとも、次々とくる兵士に襲い掛かられては、成す術もない。


「お前ら、早くやれッ!」



 りぃん



「……これ、やっぱり催眠アプリの仕業なんですか?」


 クスミの近くにいた兵士たちの動きが止まる。

 腕をだらりと垂らし、その場で天を仰ぎ口を開け、遠くを見つめていた。

 気絶したレルナに掴みかかろうとした兵士も、その場で膝を突き放心する。


「あぁん……?」


 りぃん


 より強く緑色の音が響く。

 深き森の奥から開かれた草原へ駆け抜ける爽風のように、芳醇なるも軽やかな音色。

 ヒッピアが殴られたとき、瞬時に鈴を回収していたクスミは、右手から緑の鈴を垂らして鳴らしていた。

 扉までおしかけていた兵士も動きが滞り、ヒッピアの声にも反応しなくなる。


「おい、なんでだ!? 『そのガキを倒せ』!!」


 りぃん


 催眠が弾かれる。

 しかし興奮したヒッピアではクスミが何をしたのかも、音が鳴っていることも気づけない。


「そんな乱暴な言葉じゃ、催眠アプリを使っていても駄目ですよ。共鳴が足りません」


「共鳴だぁ……!?」


「もっと相手に優しく寄り添い、眠りを誘うように心地よく、自分の声に引き込まないと」


「うるせえ、ガキの催眠術士のアドバイスなんかいらねえんだよ!」


「あなたの高すぎる自意識は、もしかして催眠術士としての技量に自信がないことの裏返しなのではないですか? だから先ほどから自分の術でなく、催眠アプリに頼っている。この兵士たちへの催眠も、アプリによるものなんでしょう」


「黙れ!! 説教しやがって。大人ってのはなぁ、テメエみてえな口うるさいガキが一番嫌いなんだよッ!!」


 再び、激昂するヒッピア。

 もう催眠に頼らずとも関係ない。

 目の前には生意気なガキがいて、どうにかしてぶちのめしたいという衝動に駆られる。


「興奮した状態では、人の言葉も届きにくいと言います。でも、心の乱れた状態のほうが、響く音もある」


 クスミは赤色の鈴を指から垂らす。

 指揮者のように一定のリズムとパターンで指先を振ると、鈴が共鳴した。


 りぃぃん



『共鳴開奏』



「貴方は俺が憎くて仕方ない。それこそ体の痛みも忘れるくらいに。だから『立ち上がって俺を殴ろうと歩く』ことだってできるはずです」


「あぁ、そうだ……! 俺はテメエを一発殴らねえと気が済まねえッ!!」


 ヒッピアは立ち上がる。

 腹の奥底から湧き上がる感情が、その身を奮い立たせている。


「船が大きく傾こうとも、波が高く立とうとも、『貴方は重心を左右に振りながら、一歩ずつ歩く』ことができるんでしょうね」


「待ってろ……そのむかつく顔に一発くれてやるッ!」


 ヒッピアは体をよろよろと左右に揺れながら、一歩ずつ歩いていく。


「しかしヒッピアさん。変じゃありませんか? なぜ貴方のように優秀な人間が、こんな船底でボロボロになっているのか。貴方は優秀だから間違いをおかさないはずなのに」


「そうだ……それこれも、お前のせいで!」


「違いますよ、ヒッピアさん。貴方は子供相手に不足を取るような方じゃない。もっと別の原因があるはずです。例えばそう……大きく船が傾いたとか」


「なんだと……? うぉ!!」


 船体が突如グラリと右に傾く。

 ヒッピアはよろけながら壁に手をつき、揺れがおさまるのを待とうとする。


「傾きは、どんどん増していきます。タイタニック号の沈没のように、カリブの海賊で撃沈した船のように。甲板が大きく割けたのかもしれません。ここは船底です。嫌な音が良く響きますね」


 蒸気船の汽笛か、あるいは鯨が啼いたかのような鈍く巨大な音が反響し、ヒッピアは思わず耳を塞いだ。


「ここは船底です。水漏れがあれば一番に海水が入り込むところ。自分の足元を見てください。湿ってはいませんか?」


 耳を塞いでいても響いてくる少年の声に誘導され、ヒッピアが下を見るとお気に入りのブーツの底が濡れていた。

 それだけではない、ちょっとずつ、ピチャピチャと音がして、水の入り込む音がする。

 暗い室内で分かりにくいが、妙に息苦しい。肺が苦しい。


「貴方が歩きにくいのは、船が激しく揺れて、沈没に向かって傾いているから。貴方は優秀ですから、こんなところで死ぬわけにはいかない。避難用のボートを使って逃げるべきです。他の下等な人間が、貴方の分のボートまで奪ってしまう前に」


「……はぁ、くっ、畜生!!」


 ヒッピアは、必死で外に飛び出す。

 そして手すりに摑まって外を見ると、確かに波が高く感じる。


『船が大きく揺れてます。海も荒れて、空模様も黒雲が立ち込める。急いで港から出航したせいで、危険な航路に船が飛び込んでしまったのでしょう」


 ヒッピアの目の前には、荒れ狂う世界が広がっていた。

 身を投げ出せば助からないだろう流れの激しい海。

 しかし、この船に残るのは危険だという考えが頭から離れない。


『急いで逃げましょう。他の催眠をかけた者たちも、命の危険を感じれば術が解けてしまいます。貴方はこんなところで死んではいけません』


「はぁ、はぁ……! ふぅ、そうだ……俺が、はぁ、こんなところでやられるわけにはいかねえ!」


 息を切らしながらデッキを歩き、都合よく扉が開けっぱなしになっている救命ボートに飛び乗る。

 彼が載った途端、ボートを吊り下げた紐が降下し、ヒッピアは満足げに笑った。


「ふははは、これで俺は生き残る! そうだ、俺はできる催眠術士だ! むかつくガキも上司も、俺には及ばねえんだ!!」


 ガタン


 大きく船体が揺れ、ボートの降下が停止する。

 宙づりとなり、海面にも届かず、船に戻るには高さが足りない位置で、ヒッピアは大きく揺れる船に手をつく。


「……なにが起こった?」


『ロープが停止したのです。外部の機械が故障し、貴方はボートの中に閉じ込められました。そして今、空まで覆うほどに巨大な波が、頭上に見えますね』


「……馬鹿な!! あぁ、だめだそんな。海が、高波が俺に迫ってくる!!」


 ヒッピアには、船を覆う影ができるほどの、反りあがるナイアガラが如き滝の壁が見えていた。

 ビルより高く、雲を隠し、四方のどこを向いても水飛沫と深い水面の色しかない。


「そんなバカな………」


『本人の持つ恐怖のイメージを増幅させ、あり得ないと思う超常現象ですら、現実として見せる。それが催眠術ですから。そしてもう、貴方は俺の鈴なんてなくとも、勝手に悲鳴り続ける』



 ヒッピアの意識は、轟々と絶え間なく降り注ぐ水の中に流されていった。




 ◻︎◻︎◻︎



「……なるほど、そんなことがのう」


 催眠の解けた久穏は、顛末を聞いて深く相槌を打った。

 あれから、催眠アプリの強制終了によって乗組員たちの催眠も解けたらしく、船は順調に進んでいた。

 ヒッピアは、目隠しや口にテープを貼った他、服を剥ぎ柱に拘束しておいた。


「……そうよ、だから私はもう何もしないから」


「俺も動けません……」


 布団の中で眠るレルナは、全身筋肉痛ながらキリッとした表情をみせる。

 クスミもまた、必死に逃げ回ったせいで疲れが増し、なんなら船酔いも混ざって、眠っている。


「しかし二人でよくやってくれたのう……それにしてもクスミくん、君は催眠について詳しくないにも関わらずよく対処したもんじゃ。それに、どうやって催眠アプリによる催眠から逃れたんじゃ?」


「俺も、よくわかんないですよね……催眠っていうのにはかかっていたんでしょうけど」


 クスミは言わないが、北九州で詐欺師と攻防したとき、実は催眠アプリの内容を一通り確認していた。

 その際に『もし次に催眠アプリの画面を見せつけられたら、その相手を殴ってスマホを奪い取れ』という暗示を試しに自分にかけておいた。

 まさかこうも早く役に立つとは思わなかったが、説明すると長くなるのでクスミは濁した。


「ふむ……まあ連中のアプリも開発段階じゃと言うし、効きにくさにも個人差があったということかの? ……と、茶が切れてしまったから、取りに行ってくるわい」


 久穏が部屋を出て行くと、ゴロンとレルナがクスミのほうに顔を向けた。

 クスミは間近で、レルナの整った顔を見ることになる。


「あのさ」


「綺麗だ……」


「ふっ、本当に声に出やすいよね、鈴っぺは」


 レルナは自分の布団から手を伸ばし、隣の布団にまで入るとクスミの手を握る。


「レルナ……!?」


「それに、すごい初心ウブだよね。私もそういった経験は少ないけどさ」


「だ、だって、こんなに綺麗な女の子に、触られたことがないので……!」


 レルナは小さく笑った後、少し真剣な表情になる。


「私、鈴っぺの鈴が、知り合いを助けた気がするんだよね。でさ、そのときは半信半疑だったんだけど、今回は貴方が私を助けてくれた……だからきっと前も、ううん、きっとそうなんだろうね」


「いや、偶々だよ」


「それでも、私は君に大きな借りがある。だから、こうしよう? クスミの望むこと、何でも一つ叶えてあげる」


 クスミの心臓が分かりやすく高鳴り、手を握るレルナにも伝わってきた。

 それでも動揺を隠そうとするクスミは、ただ小さな声になるしかない。


「そう……言われても、特には」


「分かりやすく下手な嘘つく。本当に人の心に敏感な催眠術士なのかって疑うくらい」


 レルナはクスミの両手を握ると、指と指を絡ませた。


「じゃあこうしよう? 私はクスミのことを知りたいし、クスミも私のことが気になってる。だったらさ」



 一呼吸置いて



「しばらくは恋人ってことで一緒にいない? そうしたら、お互いにやりやすいでしょ?」






 □□□



 泉間メメルは浴槽に浸かりながら、情報を整理する。


 ACITHによって開発された、どんな素人でも画面を見せるだけで催眠術が使えるアプリ。

 国内で撒かれた催眠アプリは、把握できたうち6つ。

 催眠に使われる特殊音波をレーダー傍受することで、足取りを掴んでいる。


 既に我らAL機関(Anomaly Lawman、異常執行機関)によって、3つのスマホは獲得できた。

 残りは催眠を抜け出した被害者たちによりスマホごと破壊された例、機種変更の際に消滅した例、そして機関が確認するより前にアプリ削除されていた。

 だが情報を得ようにも「ある日アプリがDLされていて、使ってみたら本物だった」という供述しか得られなかった。

 アプリの分析は既に試みているが、そのコード自体に催眠が含まれているために難航している。


「遊ばれている」


 もしACITHが本気で混沌を引き起こしたければ、大手のアプリストアにこの催眠アプリを提供するだけでいい。

 口コミなどで広まったアプリは、AL機関が削除を求めても、その間に何千人もがダウンロードし、そして我欲のために使うだろう。それを防ぐ手段はない。


 ではなぜ、そうしないのか。

 目的は分かっている。


「アプリをまだアップデートしている……」


 発見した催眠アプリは、全てバージョンが異なっていた。

 決まった相手に数分だけ1つの命令を出せるものから、1カ月後には催眠中は相手の意識を奪うように進化していた。

 今は、アプリのテストとフィードバックを繰り返している段階なのだろう。

 だから一刻も早く、アプリ開発者を捉えなくてはならない。

 日本にいるのは分かっている。


「そしてなぜ、奴らは吉野の里の者を追っているのか」


 先週捕まえた下っ端以外にも尋問したが、彼らは「アプリのテスターに相応しい人間」と「吉野という人名、地名に関わりのある人間」を探している。


 ざばぁっと、お湯が零れるのも構わずにメメルは立ち上がった。

 湯気の中を進み、鏡を見る。

 相手の心を惑わすために調整された、美しいプロポーションを常日頃から維持している。

 そのためには、日々怠惰であってもいけないし、動きすぎてもいけない。

 何より危機が迫り、謎がそこにあったとしても、試みだされるようでは一流の催眠術士足りえないと、メメルは解釈していた。


「……一族のものにも頼むか」


 血縁を重んじる泉間家は、強固な関係で築かれた派閥。

 そこには才能ある催眠術士も多く、才能がなくとも手足となって動く者たちが分家を含めれば数百人はいる。


「誰が吉野を最初に捕まえられるか……こちらも、ゲームを楽しもうか」



 メメルは、鏡の中で笑う自分の顔を、今日も歪みなく美しいと感じていた。


一旦ここまで。

3話で1区切りのスタイルなので、次回は3話分投稿します。

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