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始まりの催眠術: ラーメンあのまり 

 

 さらば故郷。


 さらばお婆ちゃん。


 大量の御守りと共に吉野クスミが福岡の北九州へ来たのは、3日前。


 とはいっても、今回はただの下見旅行である。

 寂れた田舎から、都会の高校へ進学するために勉強に励んだ一年間。

 修学旅行ではない、毎日歩くことになる街を眺める姿は、分かりやすい上京者。

 都会者に舐められないようにと片道1時間のショッピングモールで買った私服は、171cmの背丈に合う黒いズボンと白シャツ、その上に青いパーカーという初心者向けのファッション。

 黒髪も短く整えてもらい、いかにも見た目だけは若々しい好青年だ。首に6つ6色の鈴の御守りがなければ。


「標準語も完璧……これなら、俺も街に馴染めるかな」


 高いビル群を見上げながらそんな感想を声に出すせいで、周りからは(難しそう……)と心中で呟かれる。


「そうだ、おススメされたラーメン屋に行きたいんだった……!」


 そういってカバンから大きな地図を取り出して広げる。

 スマホは記念写真を撮りすぎて、既に充電が切れている。

 そのまま真っ昼間の北九州を歩くスクミだが、その背後には尾行する人影があった。





 □□□



「皆さん、こちらをご覧下さい」


 ビルの5階にある会議場。

 ステージ上に置かれた白い陶磁器を指さし、マイクを持った男はメリハリのある声で投資セミナーの受講生50人に語りかける。

 立派な体格と清潔な見た目の中年は高級スーツを着ており、捲った腕には、やはり高級時計や指輪が散りばめられている。


「よおく、よおくご覧ください」


 照明を消した部屋の中、映写機が正面のモニターに映し出したのはグラフも文字も存在しない。

 虹色の線や粒が浮かんでは消え、意味のない模様を生み出してはまた波打って形を変えていく。

 そしてピタッと歪みのない正方形を作り出し、21秒固まり、また波を打ち、82秒後には13面体を5分24秒映し出す。


「いいですよお、皆さん。よおくご覧ください……」


 参加者は誰も声を上げることもなく、瞬きすることもなく、その画面を眺め続ける。

 その顔は無表情で固定され、目のみが大きく開かれている。人形と区別がつかない。



 パン



 と、男は手を叩く。


「さて、皆様。私が語るのは簡単なことです。皆様が私に金を預けて頂ければ儲かる。ですから皆様は喜んで協力したくなる。どうですか? 分かりやすいでしょう?」


 客たちはやはり正気を失った顔のまま、相槌を打ったり言葉を反芻する。

 会場を見渡した男は満足そうに頷いた。


「そうです! 皆さま、もっとモニターをご覧ください! 皆様は、私に金を預けるだけで大金持ちになるのです! さあ、もっと喜んで!!」


 舞台袖から現れたドレス姿の美女たちが、次々とスーツケースを持ってきたかと思うと、中身を掴んでばら撒いた。

 現れたのは全て、札束。あっという間にステージ上は金の山が作られていく。

 観客たちは悲鳴を上げ、興奮し、拍手が鳴りやまない。


「そうだ、もっと喜べ! 興奮しろ! 金の魅力に溺れ尽くせ!」


 いつの間にかミラーボールが回りだし、紙吹雪が舞い、会場は一種の集団ヒステリーとなっていた。


「皆様の正解は、私に金を持ってくる! そう、私なら市場の流れを読み、皆さまにもこんな体験を授けられる! もっと言いましょうか! 貴方たちはただ、私に金を預けるだけ! 高級な装飾品、金塊、骨董品、価値があるもの何でもかんでも! それを私に私で、これ以上ない快楽を得られるのです!! さあ、この私に、金をッ!!」


 会場外まで響く歓声に、演説を終えた男は笑っていた。

 と、叫んでいたうちの一人が眩暈がして、廊下の扉へと向かう。

 男は彼にかけより、その両肩を掴んだ。


「おっと、どうしました? 具合でも悪いので?」


「えぇ……ちょっと外の空気を吸おうかなと。なんだか頭がぼうっとしていて…」


「いえいえ、そういうときこそ座って安静にしていましょう。それがいい」


主催者は取り出したスマートフォンから「13」のアイコンをタップし、相手に見せつける。


「『セミナー主催者の言うことは正しい』『貴方はこの会場に残るべきだ』……ほら、貴方も復唱してみなさい」


「セミナー主催者の言うことは正しい、この会場に残るべきだ……そうですよね。私がどうかしていました」


 照れ笑いを浮かべる受講生の背中を叩いて、男は嬉しそうに笑う。

 スマホの画面には、虹色に代わる模様の点滅が繰り返されていた。




 □□□


「ラーメン屋、あのまり……、あのまり……ないなぁ……」


 グルリと回って、また駅前まで戻ってきてしまったクスミ。

 他にも色んなグルメ店はあるから、諦めてもいいと考えだすが。


「いや、でも……北九州に着いたらまず一番に食べて欲しいって言われたしなぁ……」


 数少ない同級生の言葉に、もう少しだけ粘ることにする。

 自力で目的地を探せないときは、大抵交番か観光案内所にいけば良いというのも知っていた。

 だが既に「すみませんが、その店は分かりません。昔からあると言われましても……」と突き返されてしまった。


「こっちかな……あのま、いや、こっちか……あのま?」


 慣れぬ人混みに翻弄され、方向感覚も分からない。

 クスミの目の前が真っ暗になりかけたとき。


「貴方、止まりなさい」


 声をかけられた。

 だが、地図に夢中なクスミは気づかない。


「そこの地図を持った貴方!」


 大声で言われて、初めてクスミは顔を上げた。

 見れば真昼のモノレール線路の下、太陽を背景に、仁王立ちをした、赤紫色の髪をした派手な格好の少女がサングラス越しにコチラを睨んでいる。

 その鋭い目つきに似合わず、灰色のニットキャップには猫耳がつき、後ろに束ねられた鮮やかな赤紫色の髪が通りがかった人々の目を引いている。

 首元には白黒モザイクのチョーカー、耳には菱形のイヤリング。


(誰だろう、このオシャレな女の子?)

 

 オーバーサイズのパーカーは、上に不規則なジッパー、カラフルなバッジと遊び心のあるペイントでアクセントを添えている。

袖口から伸びた細くしなやかな指には、髪色と調和する赤紫のネイルが艶めき輝く。

 色彩の溢れる上半身とは反対に、細い腰を飾るデニムのパンツは大胆なダメージデザインで、破れた隙間からほっそりとした脚がちらりと覗く。

 ラフで自身に満ちたストリートファッションを完璧に着こなしながら、どこか上品さもあり、何より彼女自身のスタイルが可愛さとクールさを絶妙なバランスで両立させていた。


 ……残念ながらクスミのファッション知識では、オシャレという言葉以外で彼女を形容する語彙はない。


「さっきから何をしているの?」


「ええと、ラーメンを探してまして……」


「じゃなくて……!」


 少女は近寄ると、髪色と同じ赤紫のマニキュアが乗った指で、彼の肩を乱暴に掴んで手繰り寄せ、くびれた腰をグッと彼に寄せ、そして小さく囁く。


(あまり公の場で、アノマリのことを言いふらさないで!)


(……え、あのまりをしっているんですか?)


(もう、私が案内してあげるから、黙ってついてきなさい!)


 なぜ少女が怒っているか分からないものの、クスミは近づいたときの匂いと、サングラスで覆ってても分かる美貌にドキドキとしていた。


「都会ってこんな美人ばっかりなんだろうか」


「私が特別。泉間家だし。ほら、さっさと行くわよ」


 言われた通り、ついていく。

 その後ろ姿までハイセンスな少女に、クスミはただ圧倒されていたが、周りの景色がどんどん荒廃していくことに気付く。

 最新のオフィス街から離れ、更に古びたビルもなくなり、まばらな店や空き地が増えていく。

 高い建物が遮っていただけで、案外地元の商店街みたいな風景も隠されているのか、とクスミが納得しかけたところで、更に脇道へ入っていく。

 狭い路地裏、怪しげな看板、横切る黒猫、カラスの群れ。

 座り込んだ浮浪者につまづいてしまう。


「ああ、すみません! え、えと、このお祖母ちゃん特製の御守りあげますので! 良いことありますように!」


「なにやってんの、鈴っぺ。置いてくよ」


緑色の鈴を渡すクスミと、曲がり角でサングラス越しにも分かるこちらを睨む少女。


「鈴っぺって、何だろう……」


「あんた、思ったことすぐ声に出るね。鈴を一杯付けた田舎っぺだから、鈴っぺ。ほら早く」


「行きますけど……でも、本当に、こっちですか?」


「バカね、表通りになんて店置けるわけないじゃない」


「あぁ、土地代が高そうですもんね」


「君ってば、見た目も中身もパーなの?」


 よく分からないままに、クスミは少女に引かれて更なる小路へとはいって言った。


「……狙い通りか」


 2人の後ろをつける人影もまた、歩き続ける。

 だが浮浪者の横を通り過ぎようとしたとき、声をかけられた。


「おい兄ちゃん。ここはアンタの行く場所じゃないぜ」


「……いいや、大人しく通せ」


「しょうがねえな。相手してやる」


 そう言って立ち上がった浮浪者は、段ボールの下から警棒を取り出した。

 追手の男は、一見するとスーツ姿のサラリーマンだった。

 だが目元を真っ黒なサングラスで覆い、その顔つきは分からない。

 浮浪者は溜め息をつく。


「どうせお前、ACITH(アサイズ)の下っ端だろう。ならここで捕まえとかなくちゃな」


「やってみろ」



 両者はにらみ合い、そして激突した。





 □□□


「そんな、一体俺はどうして……!!」


「金がない、通帳も、クレカも、全部、嘘だ!!」


 先ほどまで、投資セミナーの行われていたパーティー会場。

 そこで熱狂する観客だった30人ほどの男女は、悲鳴と困惑の声を上げていた。

 曖昧に覚えているのは、自分たちが今日この場に「何かの会」に呼ばれてきたこと。

 そこで主催者の声を聴くうちに気持ちよくなり、盛り上がったこと。

 だが目を覚ました時、自分たちはただの空き部屋に立ち尽くしており、代わりに貯金がゼロの預金通帳や、高級品を入れていた空箱を握りしめていた。


 会場施設の受付に、何人かが怒鳴り込む。


「おい、さっきまで5階で講演をしていたやつはなんて名前だ!? 俺たち、あいつに騙されたんだ!」


「落ち着いてください、お客様! 本日5階でイベントを開催した予定はございません!」


「そんな、じゃあ俺たちはなんであそこにいたんだよ!!」


「私はてっきり、他のイベントの参加者かと……一度皆さまが退出したとき、お尋ねもしたのですが、特に反応もなく……!」


 警備員たちは彼らをなだめつつ、監視カメラを確認する。

 怒っている彼らは朝に会場へ入ると、1時間ほどで全員が外に出て、今度は荷物を増やして戻ってきた。

 しかし、彼らのいうセミナーの主催者や関係者は映っていない。


「分かりました。一旦警察に通報しますから。皆さん落ち着いて!」


 そう訴える警備員の横で、カメラの映像は回り続ける。

 そこには3Fで行われたイベントから帰る人々の様子が映し出され、高級スーツと高級腕時計の目立つ男が外に出ていく様子が映っていた。


 □□□


「……本部、こちらウインド。アノマリ付近で、アサイズが現れました。俺では、食い止められず……はぁ、はぁ……申し訳ない」


 路地に隠れる血だらけの浮浪者。

 持っていた小型通信機で連絡を取る。


「くっ……あのサングラス、間違いなく……耐催眠術の……至急応援を……」


「見つけたぞ」


「……っ!」


 浮浪者の隠れていた駐車場に、サングラスの男が現れる。

 肩には警棒が突き刺さっているが、顔色一つ変えない。


「こんなSFみたいな……ターミネーターめ」


「投降しないのか」


「お前もACITH(アサイズ)の一員なら、催眠術士に捕まるって、どういうことか知ってるよな……だったら俺は、これを選ぶ」


 浮浪者はそう言うと、箱型のスイッチを取り出した。

 これ自体は押してもなにかが動くことはない、ただの玩具。

 しかし、「このスイッチが押された時、自分の心臓が止まる」という催眠がなされているのなら。


「あばよ。世界を守るのは俺らだ」



 ピッ




 ドサッと浮浪者は倒れた。

 サングラスの男は、近づき、その息の音が止まっていることを確かめる。


「違うな。世界を支配しているのがお前たちだ」


 男はそう呟いて警棒を体内から抜き捨てると、駐車場を後にする。

 あの浮浪者は、駐車場でホームレス狩りにでもあったと警察に判断されるのだろう。

 ならば今は証拠隠滅より、目標確保が優先だ。

 止血処理後、男は再び、元の道へと戻る。

 クスミと少女が消えた、あの路地へと。



 りぃん 


 

 男が立ち去ってしばらくした後、どこかで鈴の音が鳴る。

 それは浮浪者の胸元で響き、止まった心臓の代わりに音を奏でているようだった。




 そして、それは逆かもしれない。





 □□□



「ここが、あのまり……」


 見上げたのは、四方を建物の壁に囲まれた空間にある、今にもくずれそうな外観の木の小屋。

 崩れかけた看板には Anomaly Lawmanの文字。


「あのまり、らーめん……」


「さっきから発音が悪いわね、アノマリー、ローマン。異常執行官の英語でしょう」


「おうおう、店先で立ち止まってどうしたい」


 引き戸がガラガラと開き、中から人が現れる。

 ジャングル探検家のように肌は黒く焼けて髭をボサボサに生やし、丸眼鏡をした老年の男である。

 慣れぬ都会で走り回り、喉が渇き疲れきったクスミは最後の力を振り絞って聞く。


「すみません……ここって」


「あん、どうした!」


「ラーメンありますか」


「うん? シーフードのカップ麺ならあるがの」



 クスミは意識を失った。




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