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エピローグ:音の鳴る場所

 


 夢の中、幼いクスミは縁側に座る老女を見ていた。

 どんなに辛いことがあっても、こうやって彼女のもとを訪れて、しわくちゃの指が弾く鈴を聞けば、心が安らいだ。


 里の皆は鈴を、闘争のために用いた。

 音を使って人獣を操る技術、物を操る技術、音に関するあらゆることが研究され、それらは全て相手より有利になるための道具として使われた。

 けれど彼女は違った。


「最も優れた鈴の使い手とは、誰よりも人の心に寄り添う音を鳴らすものよ」


 そういった彼女の赤い鈴が、クスミの最も好きな音色だった。





 マンション屋上の戦闘から、数日後の昼。


 目が覚めたクスミが最初に見たのは、病室で点滴に繋がられた自分の腕。

 次に見たのは、ベッド横の椅子に腰掛けた泉間メメルであった。


「おはよう、クスミくん。体調はいいかな?」


「ええと……おはようございます」


 なぜここにメメルがいるのか尋ねる暇もなく、彼女は一方的に質問した。


「先日、君は催眠アプリを使っていたようだね。あれはどういうことかな? 君が敵組織の一員だとすれば、これから尋問を始めるつもりだけど」


 クスミはあの夜のことを思い出す。

 アイギスとの戦闘の途中、メメルが乱入してきたのを覚えている。

 彼女が果たしてどこまで見ていたのか定かでないが、この近距離で嘘をつけば見通されるのは理解できる。

 そして、彼女が欲している答えも。


「あれは俺が実家の里から持ってきたものです。里の外で流通していたという催眠アプリを、仲間が手に入れて改造していました。僕はそれを借りただけです」


 仲間とは吉野の里にいる者たちのことだ。

 そこを深堀されぬよう、釘を刺す。


「言っておきますが、俺も仲間から秘密を伏せられているので、詳細については知りません。例え俺の端末を分解しても、何も分からないし誰も操作できないはずです」


「ほう、なぜだ?」


「もう、あの端末に催眠アプリは残っていません。改造アプリの存在が漏洩したとき、自動でアンインストールされるよう設計されています。それももう、貴方は確認済みでしょうけれど」


「……なるほど。強力な兵器には相応の枷がつけられるわけだ」


 確かに端末を分析した結果、内部にはデフォルトデータと彼が街に来てからの写真以外ほとんど残っていなかった。

 コピーや復元作業を試みたが、吉野の里の技術は突破できなかった。


「では一つだけ。あのアプリはバージョン11と表示されていたようだね。我々が把握してるアプリの最新版は8、まだまだ遠く及ばないが、何か意味はあるのか?」


「あぁ、それなら……言葉遊びですよ」


 トランプの11は、ジャック。

 催眠は心を乗っ取り(ジャック)する力―――それにちなんだ番号だ。


(催眠アプリ……バージョン11.0(ジャック)か。一度触れてみたかったものだ)


 アイギスという上位の催眠術士に、バージョン・ジャックは有効であった。

 それだけで、世間の催眠術士たちの誰もが湧き立つ。


 しかし、あのプライドの高いアイギスだ。

 自分が催眠にかかった事実を他者に漏らしはしないはずだ。

 メメルも見たことを誰にも言わず、アプリが消失したと報告した研究者の記憶さえ処理した。

 こうして、アイギスとメメルは互いに隠した手札を1枚ずつ持つ形になった。


 いや、状況でいえば、メメルのほうが何枚も上手だ。

 なにしろ今、吉野クスミを手にしているのは彼女のほうなのだから。

 雑談めいた会話をしながら、彼女の瞳は徐々に獲物を見極める光を帯びていった。


(さて、どうやって情報を絞り取るか)


 すぐに自白を催眠で強要してもいいが、秘密漏洩を防ぐために自害する暗示が組み込まれているのは、催眠術士にとって常識だ。

 更に、クスミは先ほどから鈴を手で握りしめている。

 今催眠を仕掛けても耐えられてしまうだろう。

 それに彼の記憶も重要だが、それ以上に催眠技術も唯一無二の貴重なものだ。

 できればあまり精神を弄って鈴音の技術に影響を出させたくはない。


(となれば、じっくり心を溶かし、信頼を得た上で自ら話す用仕向けるべきだ)


 年頃の青年だ。

 いっそのこと男女の仲に誘い込み、彼の技術を人生ごと独占してやろうか。


(……フフフッ)


 クスミは、メメルの自然と浮かんだ微笑みに悪寒を覚えた。

 当面の用事は済んだ、とメメルは立ち上がる。

 吉野の里やクスミについて聞きたいことは山ほどあるが、有能なメメルが一人に割ける時間は限られている

 次なる報復戦に向け、準備を進めなくてはいけない。


「じゃあまた、元気になったら会いましょうね」


「は、はい……」


 メメルはあっさり手を引くと、流れるような動作で病室を後にした。

 クスミは妙な緊張感から解放され、ベッドにどざっと崩れた。

 鈴を握る手を緩め、天井をしばらく眺めてから、目を伏せた。


「……ここにはいられないか」


 クスミは、何も分からぬまま里の外の世界に飛び出し、催眠術士の悪徳を許せずに力を使った。


(けれど、俺は催眠術を使いたいわけでも、戦いたいわけでもない)


 小さな犯罪であれば取り押さえるべきだろう。

 しかしあの夜のように軍がぶつかりあう状況でば、最早単純な善悪は意味を為さない。

 いくら組織プラトーの世話になったとしても、これ以上関与すれば、自分もまた多くの人の心を操る側に立ってしまう。


(そうなる前に立ち去るのが賢明だな)


 名残り惜しくはある。

 レルナや久遠へ感謝を最後に言いたかった。

 しかし覚悟を決めた青年は、ベッドから起き上がると、病室を後にしようとして……


「……クスミ」


 扉を開けたレルナと目が合った。


 オーバーサイズのパーカーに短いスカート。

 吸収でクスミと初めて会ったときと同じストリートファッションで、けれどその胸元には赤色の鈴がかかっていた。


「……」


「……」


 2人は無言で見つめ合う。

 クスミは彼女になんと告げようか悩み、けれどレルナは、青年の表情から全てを察した。


 彼の立場も気持ちも、レルナには分かる。

 催眠術士を嫌う考えは二人とも一緒で、できることなら関わらず生きるのが正しいと知っている。


 それでも、レルナはこのまま彼を通すことなどできなかった。

 代わりに人差し指をピンと立て、クスミに向ける。


「そこのフラフラした、貴方」


「え……?」


「地図も読めない貴方が、1人でどこに行こうとしてるの?」


「え、ええと……ひとまず駅を見つけて、どこか遠くに」


「そんなんじゃ、組織はすぐ追跡する。それにまだ家に持ち物を置きっぱなしでしょ。心配だから、私も一緒についていく」


 レルナは、その赤紫色の髪から覗く整った顔を赤く腫らしながら、クスミを睨んでいた。

 真昼の光が差し込む病室で、クスミは金縛りにあったように動けず、なんとか言葉を搾り出す。


「レルナ……俺は」


 その時、クスミは抱きつかれた。

 突然のことにきょとんとしながらも反射的に彼女を両手で抱き止めたが、レルナはそこから更に強く胸を押し当て、腕に力を込める。


「……言わせない」


「え?」


「催眠術士の言葉なんて聞きたくない……それより、クスミは音に敏感なんでしょ。だったらちゃんと聞いてよ、私の心音……」


 密着したレルナから、ドクン、ドクン……と高まる鼓動が伝わる。

 しかしクスミにはそれが分からないほど、自分の心臓の音が跳ね上がった。

 互いに触れられた喜び、離れ離れとなる不安、そして相手への愛情。

 複雑な感情が一拍に刻まれ、相手へ送られ、共鳴していく、


「ね? これなら2人とも全部分かるから……」


「は、はい……」



 クスミは逃れられず、ただ少女の抱擁に身を寄せていた、





 係の老人、久遠も病室に入りかけたが、土産の果実をテーブルに置くと、2人の邪魔にならぬよう静かに退散した。

 プラトーとACITH、2つの催眠組織の衝突は、これからも続く。

 人々の精神を奪い合い、多くのものがこれからも命を落とす、

 そんな血生臭い催眠術士の世界だが、長い数日の戦いが終わった今だけは、幸せを噛み締めてもいいだろうと。


 それに、大きな戦いに目を向けてばかりではいけない。

 世界から見れば小さくも。

 少年少女に宿るプラトニック・ラブな青春の日々もまた、彼らの中では大戦争(マキア)なのだから。




 りぃん、とどこか遠く、近くで鈴は静かになっていた。





これにて一区切りです。


催眠バトルということで、普通の能力モノや魔法とも違う、珍しい戦闘表現になったのではないでしょうか。

まだまだ設定や展開は考えてありますので、いつか何かの形で見せられればと思います。


随分とお待たせしましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。


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