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アイギスの鏡: 女怪の守護者

冷気を孕んだ夜風が、東京都心を舞う。

暗き空と人工灯で埋め尽くされた摩天楼の狭間を吹き抜ける。


午前3時の都庁をすり抜け、スカイツリーを掠めると、地上60メートルのマンション屋上へ雪崩れ込んだ。


階段を登ると見えるは屋上庭園は、ヒノキ板の床と芝生がタイル状に並び、外縁を浅い水場が取り囲んでいる。

点々と立つ細木の下にはリクライニングチェアが置かれて、昼間であればビルの多い都心でも、遮ぎるものなく広い青空を眺めることができただろう。


しかし今は厳冬の冷たさ残る夜であり、轟々と音を立て、突き刺さるほどの寒風が容赦なく迫っていた。

そして風がフェンスを乗り越え、吹き荒れようとしたそのとき



りぃん りぃん



風は、葉すら舞わぬ木枯らしのように、音を消した。

正確には、相殺する鈴の音によって掻き消された。


後に残るは、暗闇に立ち動かぬ人影たち。

4人は強風が吹いていたことさえ分からず。

2人は、音なき風の不気味さを味わった。


そして残る1人。

十の鈴を指に巻いた少年は、闇の中で敵を数えながら、この場の音の波を静かに

支配し続ける。


(周囲に武装したシルエットが4人。奥に2人、何も持ってない……なら催眠術士か)


「そこの子供、動くなよ」


兵士が左右から近づく。

当然小銃の銃口を向け、引き金に指をかけながら。


油断はない。

この時間、この場所にいる少年が異常でないわけがない。


「催眠の動きを見せたら、この中の誰かがお前を撃つ」


ここにいるのは、例え強風が吹こうとも、この距離ならば肉体を確実に撃ち抜ける精鋭たちばかりだ。

催眠術士相手にも何度か戦い、目や耳を防具で覆い感覚を遮断することで催眠の影響を受けにくくなると知っていた。

その上で接近戦となれば手元の端末から催眠アプリを見せつければいい。




しかし彼らは、まだ知らない。


上位の催眠術士とは、怪物であることを。


催眠にかかっていないと思った瞬間に、既にその術中に嵌めている者たちであることを。



そして彼らは思考すら、常人ではない。



(銃弾は別に怖くない)



と、クスミは考える。


暗闇は怖い。前が見えないから。

屋上は怖い。足を滑らせ落ちそうだから。

でも銃はそんなに怖くない。人間が相手だから。


いかに殺傷能力の高い武器であっても、それを握るのが人間であれば、心をズらすだけで全く当たらなくなるからだ。



耳をイヤーパッドで塞いでいる?

だから何だというのか。


それくらいの対策なんて、戦場に立つ催眠術士なら当然されるし、その上で


「この鈴は頭を揺らす」




りぃん




「がっ……!?」




クスミは療法の小指に巻かれた赤い鈴を親指で弾き、銃を構えた兵士に音を聴かせる。

兵士の耳に聞こえたのは、ドンッという、突然腹を殴られたかのような錯覚であり、思わず呻いて下を向きながら発砲し、弾は地面を擦れてあらぬ方向へ飛んでいった。


ダダダダッ!!!ダダダダッ!!!ダダダダッ!


3人同時に射撃が飛んでくる。

そして撃ちながら彼らは気付いた。

自分たちが何もない暗闇を撃っていることに。


少年に見えたそれは、ただ扉のある壁に映り込んだアンテナの黒い影だ。


りぃん


ドサリ、と誰かが倒れる。

兵士の1人は冷や汗を掻きながら、少年を捕捉しようとする。

屋上という狭い場所で、隠れる場所などないというのに捕捉できない。


(いや……おかしい!)


仲間の姿すらも見えない。

これでは発砲すらできない。


(俺は今どこにいる……!?)


背後から固い何かで殴られた衝撃が走る。

それは意識が飛ぶほどの激痛で、頭がぐわんぐわんと揺れていた。

呻きながら、それでも兵士は最後の気力で勢いよく振り向く。



ガリガリッ



顔の装備が地面に擦れる。

なるほど、何も見えないのではない。

平衡感覚を失って、俺は空を見上げながら、ゆっくりと倒れていたのか。



そうして最後の1人が意識を失ったとき。

残り3人もまた倒れていた。






パチパチパチパチ……





「すごい、すごいな少年君! 今君は何をしたんだ!? 目には自信のある私でも全ては分からなかったよ!!」


カ゚シャッっと照明がついた。

フェンス脇に並べられた屋外灯が灯り、クスミの前にそのシルエットが色をいた。


惜しみない拍手を送る女。

コートの下は兵士たちと似た軍服姿だが、銀髪のシルエットが光を浴びて際だつ。


その横で、命令されて渋々拍手をする男。

長身でガタイがよく、いかにもガードマンかなにかだ。



「申し遅れたね。私はACITHの最高幹部、銘はアイギスと呼ばれている。アイギスさん、アイさん、英語風にイージスさんと好きに呼んでくれ構わないよ。呼び捨てでもいいぞ、個性的な上司との関係みたいで嫌いじゃない!」


「アイギス様、本題を」


 早口となった上司に、淡々と突っ込む部下。

 下の階層での戦闘がなければ、クスミは気が抜けてしまっていたかもしれない。


「おっと盛り上がってしまったね……そう本題だ。君は私の出した課題を見事クリアしてみせた。素晴らしい……! 本当に素晴らしいよ……あぁ、やっぱりダメだ! 口を開いた途端、何度度でも賞賛したくなってしまう!」


「では自分が代わりに……お前、吉野の里の者だな」


 クスミは答えない。

 代わりに、相手の意図を辿る。


(どこまで吉野の里について知っているのか、それが分からない以上は、何も言わないほうがいい)


「お前は、アイギス様の目に止まり、その催眠術士の才能をよく見せた。よって我々ACITHは、お前をスカウトしに来た」


「……そのために、このマンションに攻め込んだんですか?」

 

 クスミは怒りに燃える、ふりをした。

 迂闊な動揺は、催眠術士相手にするものではない。


「目的の1つだ。それ以上は、仲間になるというなら教えよう」


「俺のメリットは」


「アイギス様は優秀なお前に、好待遇を与えるつもりだ。雇用については後ほど説明するが、3年働けばこのマンション1つは買えるだろう」


「いいや、そんな待たなくてもいい。私が就職祝いにプレゼントしよう! 欲しいものがあれば、私も色々と手伝うさ。君にはそれだけの価値がある!」


「……とのことだ。それに何より、お前を救ってやれる。泉間の奴らからもな」


 予想外の言葉に、ピクリと反射的にクスミの目蓋が動く。



「あのような悪辣な催眠術士たちの一族が派閥を作り、催眠を自分たちだけの特権として秘匿し、この世界を裏で牛耳っている。彼らに表社会の大物は支配され、庶民がその命令に従い、大抵の催眠術士師は、奴らに首輪をつけられ、生死すら決定される。分かりやすく言えば、黒幕の集団だ」


「貴方たちは違うと」


「全く違う」


男は断定した。


「我々は催眠技術を人々に知らそうとしている。使い方を間違えなければ人類を更なる発展へ導く道具になりえるからだ。しかしまずは、この技術を隠し続ける支配層の弾圧から解放されねば、その理想は果たされない。だからこうして戦っているのだ」


「でも、結局人が不幸になっている。あなた達のバラまいた催眠アプリで、何も知らない人が苦しんでいる姿を見た」


「その何万倍もの人間が、哲人政治(プラトー)の支配によって、理由もわからぬまま苦しんでいるのだッ! いや、苦しむ自由すら催眠によって消され、ただの道具にすらなっているッ!うぬぼれた選民でなく、階級の区別なく、民衆による民事審理アサイズによって催眠は扱われるべきだッ!」

男の声に力がこもる。


「催眠アプリを用いた人間が犯罪に走る? そういうこともあるだろう。科学、重火器、ネット、AI、人類の新技術とは悪用されやすい。なぜならば彼らは、催眠という技術の使い方を理解していないからだ。だが我々ACITHは、その悪用例を理解し、対策し、改良を重ねた完全版を世間に流通させる。転がる銃の歴史のちyぶ、世間は議論を重ね、法が整備され、そして社会の秩序の中で発展していく。その過程で、犯罪機能の抑制されたアプリは、むしろ犯罪を減少させるのに役立って使われる。そして人々は催眠を、善のために使うステージへと至る」


 未来は絶対にそう変わっていく、と断定するエイブンの言葉に、クスミは議論の余地などないと判断する。


「……そうですか。なら、俺の理想とは違いますね」


「……なに?」



クスミは再び手を広げ、十の鈴をぶらりと垂らす。


「俺は大きな目標より、小さな救いが大事なんです。今誰かが傷ついているなら、それを癒やしたい。そしてこれから更に催眠アプリで誰かが傷つくのを止めないというなら……俺はあなた達を止めます」


「交渉は決裂か……いや、保留と判断しよう。そして今からお前は、首を縦に振るよう催眠される」



その時、拒絶の意を示されながらも、アイギスは顔をほころばせた。

キラキラと目を輝かせ、両手を握りしめて「きゃーっ!」と黄色い声をあげた。


「2人とも、戦うんだね!? 優秀な2人ならきっとすごいバトルをしてくれるんだろうね、そして私はそれを最前線で見れてしまうわけだ。上司冥利に尽きるよ!」


エイブンは握り拳を作りながら、一歩ずつ、その剛健な肉体を見せつけるよう方を広げながらクスミに近づく。


「このエイブン君の肉体は丈夫でね、警棒で100回殴られようともへっちゃら、弾丸も数十発なら問題なく耐えきる。君は武器がないようだけど、果たしてどう挑むつもりかな!」


「……貴方には、こうする」


クスミは黄色の鈴を鳴らした。




ぎぃぃぃん!!!




「……!!」


不快な鈴の音。


人間には苦手な周波数の音がある。

黒板を爪で引っ掻いた音。発泡スチロールの擦れる音。

歯医者で歯を削られるときの音。


あの鈴は、その周波数を鳴らしているのか?

いや、それだけではない。



ギィィィィン!!!!



反射的に、音によって体が受け身を取ってしまう。

今のは、様々な武器による攻撃の際に聞こえる、あらゆる音の集約。

金属バットが空を切る音。火薬の爆発音。チェーンソーの回転刃が唸る音。




こいつはまさか。



「なるほど、音を対人武器にするというのはこういうことか。人間であれば逃れられない、生理的に嫌う音を使い、相手を耳から打ちのめすわけだ」


エイブンは怯まずクスミに拳を振るう。

だが



ギィィィン!!


攻撃を弾かれる音がして、身体もまたその音に釣られてのけ反った。

怯んだ顎を、鈴を握りしめたクスミの拳が触れる。


「共鳴」


ギィィィイィン!!


クスミの鈴からエイブンの顎骨を通じて振動が耳介に直接伝導され、聴覚どころか三半規管が壊される。

エイブンは初めてごふっと苦悶の声を上げた。

筋肉を増やし、骨を硬くし、反射神経をあげたとしても、耳に直接響く音だけは掻き消せない。


「……ッ!! こんな、一撃で……!!」


エイブンは大きく飛び退き、そして膝をつく。

まさかこんな小さな青年に、ただの一発軽く拳を当てられただけで動けなくなるとは。


「まいった。私がタオルを投げよう。貴重な部下をこれ以上いたぶらないでくれ」


エイブンを庇うように、アイギスが一歩前に出た。

その顔は部下をやられた悔しさはなく、むしろキラキラとした好奇に溢れている。


「なるほど、私は君を催眠術士の亜流と思っていたが、それも違う。現代催眠術は人を操るために進化した技術だが……君のそれは、音を使う技術の過程で人を操る技も組み込まれた、というのが正しい。源流が異なれば発想も異なる、というわけだ」


「貴方が撤退してくれるなら、教えてあげますよ」


「まさか! 次は私の番だよ! 私も君の催眠術を受けてみたいし……それに、君も見たかっただろう。このマンションの住人や兵士を次々と催眠した私の催眠術を」


クスミの脳裏に、あの惨状が蘇る。

催眠で理性を失った味方、銃弾に倒れる兵士、怯えるレルナ。



だからクスミは、鈴を再び構えた。

アイギスは殺気を肌に感じながら、髪を掻き分けて魔眼と呼ばれし瞳をギラつかせる。



「貴方がまた催眠を使ってあんなことをするなら……次がないよう、俺の鈴で息の音を掻き消しますよ」



「なら私は、君の瞳を奪ってみせよう……来なさい、鈴の催眠術士!」





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