聖盾の怪物:高層へ登る蛇
「メメル姉にも会っちゃったから隠さず言うとね、私たちは催眠術士の組織に所属しているの」
「……はい」
レルナはテーブルで向かい合ったクスミに、真剣な口調で言う。
だが空腹のクスミにこれはきつい。
何故食後では駄目なのか。テーブルにスーパーで買ったパーティー料理を並べた後、手を合わせていただきますと言おうとしたときに打ち明けられても、クスミの眼はエビフライしか見えなくなっている。
「催眠術士って言うのは、人の心を操ることを専門とした職業みたいなもの。マジシャンやメンタリストの凄いやつ、みたいな」
「明太子はすごいですよね。九州で食べたかったなぁ」
「これ、レルナ。クスミの飢え切った顔を見なさい。これでは、先に食事をさせねば聞く耳を持たぬぞ」
「お爺ちゃんは、なんで料理買ったのにカップ麺の蓋開けてるの! 塩分過多! カロリーオーバー! 食生活乱れ狂ってる!」
「……いただきます」
「あ、クスミも抜け駆けしないで! 私が悪かったから、ちゃんと食べてから離すから。……はあ、もう、それじゃあ、いただきますっ!」
「「いただきます」」
それから40分後。
長い食事と皿洗いを終えて、クスミは自分の部屋に戻ろうとする。
来客用に整備されていた部屋の1つだが、羽毛布団や高級枕の用意されたベッドは寝心地が良さそうだった。
「ちょっと、クスミ。席に戻りなさい。さっきの話を続けるから。ええと、まず私たちが北九州に派遣されていたのは、調査の一環で……」
「もう遅いし、明日の朝で良いですよ」
「食いつきが悪すぎない? もうちょっと、自分に起きた不思議なことについて興味ないの?」
「不思議……この、アイエイチコンロ、っていうのも不思議で気にはなりますが、都会では常識なのかなって」
「IHと催眠術士を同列の不思議にみてるなんて……」
溜め息をつくしかないレルナに対して、久穏が急須で茶を注ぎながら、話題を切り出した。
「そうじゃのぉ、なら逆に、君について話してはくれんか。例えば君の首にかかる、音無しの鈴。ただの御守りではないんじゃろう?」
「よく聞く御守りってだけなんですけど……」
クスミは容器のかたずけ終わった食卓の上に、首から外した鈴を置く。
管玉という筒状の飾りに紐が通され輪っかが作られ、そこに赤、青、緑、黄、白、黒の6色の小さな釣り鐘が、3センチほどの紐で結ばれて均等な幅を開けて垂れ下がっている。
レルナは、弥生時代に翡翠やガラスで作られた飾りを思い出したが、もしこれが遺跡から発掘されたといわれても信じるくらいには古い様式だ。
「どうやって説明しよう……直接、やってもらったほうが早いかな。失礼しますね」
そういうと椅子に座るレルナの背後に立ち、左右に髪を結んだことで剥き出しとなっている彼女うなじから飾りを通して見せた。
「なんか、こういうこと女性にするの、ドキッとしますね」
「やった後で心の声を漏らすな」
「あ、ごめんなさい……ええと、じゃあその白い鈴に意識してくださいね」
レルナは腑に落ちないまま、指先で白い鈴を持つ。
表面には模様があり、ざらつき具合から肉眼で見えないほど細かく彫られているようだ。
鈴の形釣り鐘、あるいは博物館で見る銅鐸に近い。
軽く揺らしても、中につられた球がぶつかっているのに音は鳴らない。
と、背後からクスミがファッション誌を両手で持ってゆっくり近づき、手を振り上げる。
鈴に気を取られたレルナは気づかず、久穏は少女の頭めがけてクスミが雑誌を振り下ろす姿に、息をのんだ。
りぃん
「鳴った!?」
レルナは音に驚き思わず立ち上がり、後方に下がった椅子にクスミの脚が激突した。
「痛っ!」
「え、クスミ!? ごめん、ってなんで私の背後にいるの」
「なるほどのう」
「白の鈴は……自分の五感の微妙だけど急激におきた変化を増強するんです。それは普段無意識で感じていても、脳を通る中で無効にされるから意識に上ることはないくらいの、些細な変化。けれど鈴がなることで、それを教えてくれる。虫の知らせというか、危険を察する直感が鋭い人がいるでしょ。それと、同じ効果がある、わけで……イタタ、ちょっと座りますね」
「と、いうことは今レルナには白鈴の音が聞こえたわけか」
「お爺ちゃんには聞こえなかったの? りぃんって澄んだ音」
「ああ、何も聞こえとらんぞ」
「骨伝導っていうんでしたっけ。その鈴は、身に着けてる人にだけ音が伝わるんです。そして、ちゃんと鳴らさないと音が響かないようになってますから、自分でただ乱暴に振っても綺麗な音はしませんよ」
「話しだけ聞くと理屈はあるっぽいけど……魔法みたいなアイテムね、この鈴」
しげしげと鈴を眺めるレルナを横目に、久穏は顎髭を摩る。
確かにこの白鈴はオーパーツと言えるほど現代科学や、それこそ現代の催眠術士たちも持ちえない技術だ。
「だが、それだけで催眠術士と渡り合えたわけではないじゃろう。他にはどんな効果がある」
「ええっと、緑色のが、心の流れを見つけて、逆位相の波を打ったり不整を打ち消すんです。ノイズキャンセリングとかAEDと同じ、って教わりました……それで、赤いのが……」
疲労に加えて一気に満腹となったクスミは、眠気が限界に達しているらしかった。
説明しようとして指を伸ばし、そのままガクンと机につっぷした。
「仕方ない、詳細は明日じゃな。どれ、部屋まで運んでやろう」
「というかIHを知らないのに、骨伝導やノイキャンを知ってるのは何なのよ……知識偏りすぎ」
久穏はクスミの肩を抱えながら、その純朴な顔立ちを眺める。
正確は誠実、語る言葉も真実ばかり。
だが、核心をはぐらかしているに見えるのは、彼にまだ謎が多いからだろうか。
□□□
高速道路を走るワインレッドの高級車。
広々とした後部座席に座るのは、サングラスの男エイブンと女上司のアイギス。
フォーマルなスーツを着ながらも、耳元の髪を束ねるように後方へ刺された銀色の櫛飾りは、ゴシックな模様で彼女の底知れぬ神秘性を引き立てている。
「さて、エイブン君。調子はどうかな」
「全快いたしました」
「素晴らしい回復力だ。催眠だけでなく肉体も優れているなんて……私は、優秀な催眠術士が好きだよ! 君みたいなね。その点で言うとヒッピア君は、少し足りなかった。大切な仲間なことに変わりはないがね」
「次の任務は」
感傷に浸ったフリをするアイギスと、エイブンは黙々と質問した。
「手紙が届いたんだよ。プラトーの権威主義から、催眠をかけられた部下が持ってきてくれた」
「吉野の里の者と会わせてやるだとさ……賢明な君ならどう動く?」
「罠があろうと破壊し、目標を取り押さえます」
「素晴らしい。なんて優秀な部下を持ったのだろう私は……!」
本心から大いに褒めたたえるアイギスに、エイブンは眉を潜める。
きっと普通の会社で働いていたのならば理想の上司であったろうアイギスだが、こと催眠術の世界に長く身を置いては、全ての感情が嘘くさくみえてしまう。
特にその見たものを石に変える魔眼は、どんなににこやかであっても直視してはいけない殺気を孕んでいた。
「じゃあこのまま向かってしまおうか。敵の巣窟へ……」
道路の先は、夜に光り輝く東京へと続いていた。
□□□
「う~ん……」
クスミは妙な騒がしさに目を覚ます。
暗い部屋の壁掛けの時計では、深夜2時。
記憶をたどりながら当たりを見渡し、どうやら自分はベッドに担ぎ込まれたということを理解した。
枕の横には鈴飾りが置いてあり、クスミは首にかけ直す。
「部屋、じゃないな。外でなにかある……?」
遠くで花火大会でも開かれているような、バチバチとまばらな重低音が部屋の壁や床伝いに響いてくる。
廊下を出て、そっと二人の個室を覗くが、熟睡している。
久穏はアイマスクや耳栓をつけて感覚をシャットアウトしているし、レルナは一が低めのツインテールをシュシュで結って、すぅすぅと寝息を立てている。
りぃん
「……」
クスミは、生まれて初めて女子の部屋に足を踏み入れた
並んだファッション雑誌、壁にかかったポップな帽子やビビッドなアクセサリー。
扉を後ろ手で閉め、開く死角に隠れて息を殺す。
ガチャ……
鍵が回され、開く音。
この家にある鍵は玄関の扉しかない。複数の足音が中へと入り込む。
何者か、と確認するよりはやく、隣のクスミの寝ていた部屋に誰かが入り込んだ。
次いで、レルナの部屋のノブが回され、入ってきたのは武装した兵士。
顔全体を覆うマスクをしているが、体型からして成人男性。
そして眠る少女の顔を見て呟いた。
「……無事だったか」
『貴方は、何者なんですか?』
りぃん
男が驚愕するよりも早く、クスミは赤の鈴を鳴らした。
至近距離で響いた音は、すぐさまマスクを貫通して耳に響く。
「あ、お前は……!?」
『知りたければ、名乗ってください』
りぃん
「俺、は……異常執行機関プラトーの所属の、機動部隊長だ……」
『なぜ貴方は、このマンションに侵入したのですか?』
「違う……先に侵入したのはアイツらだ、俺たちは救援要請を受けて住民救助にかけつけたんだ」
「詳しく説明してください」
「このマンションは敵の兵たちに包囲され、今も襲撃に合っている! ACITHの催眠術士が、攻めてきたんだ!」
バリバリバリ……!!!
兵士の言葉と同時に、窓の外にけたたましい回転音と光が通過した。
移った影はヘリコプター、地上8階にいるクスミたちを追い越し、ヘリは屋上へ着地した。
隊長を名乗った男は無線を取る。
「ACITHのヘリか。おい、こちらチーム『アキリーズ』! 救護者を確認した。これより脱出する!!」
「隊長、敵2人、7階から来ました。こちらで対処します」
玄関からの声と共に、ダダダッと銃の音がした。
クスミはレルナにかけよると、その肩を揺らす。
「おい起きろ、レルナ!! なんだかヤバいみたいだ!}
「……なに? え、クスミ? ……勝手に部屋に入るとか、常識なさすぎ」
「ああ、だから今は非常時なんだって」
「避けろ!!」
ドォォンと爆発音がして、玄関から隊長と同じ服装の兵士が転がり込む。
寝ぼけていたレルナも、ようやく正気を取り戻した。
隊長はすぐさま玄関に向いながら、クスミたちに命令する。
「この狭い場所で爆弾だと、正気か? おい、お前らもすぐ逃げる準備をしろ! ここはもう安全ではない!」
レルナは、寝巻姿に慌ててパーカーを羽織りながら、戦う音が部屋の前だけでないことに気付く。
別の階から響く発砲と連射の音、頭上を駆けまわる足音、そして叫び声。
クスミが船から居りて15時間後の午前2時34分。
東京の市街地にある高層マンションは、既に戦場となっていた。
屋上に降り立ったアイギスは、エイブンを引き連れながら笑う。
「さあ、吉野の里の者とやらを、引きずりだそうじゃないか」
催眠バトルではありますが、催眠戦争というタイトル通り、規模の大きい戦場も当然出てきます。




