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泉間の催眠術士:切札一鬼

「なら、勝つしかないか」


 そう宣言したクスミは、普通に札を引いてみせ


「俺の札、当ててみてください」


 右手に札を構えて笑った。

 挑戦的な態度に、メメルは内心更に軽蔑と嘲笑を混ぜ込んだ、不敵な笑みで返す。


(何も難しいことはない。残った9枚のうち、当てはまる札を予想して当てるだけだ)


 目星はついている。

『鬼札』(赤い背景に柳の絵)か、『松のカス』の2つだ。


 捲って絵柄が目に入ったとき、コンマ2秒で表情の変化浮かべたことから、ブラフでなく判断しやすい絵柄なのは確定している。

 後は札の色に赤が含まれているか、白が含まれているかで判断すべき。

 更に約20枚での経験から、赤を見たときの反射運動が14項目、白を見たときの反応が18項目起きていた。

 このうち積極的に混ぜられた嘘の反応が赤4,白3なのを踏まえて。


(『松のカス』と判定していいはずだ)


 これはギャンブルでも心理戦でも、ましてゲームでもない。

 催眠術士の眼で、相手の反応を読み取り、そして合理的な統計によって判断を下すだけの訓練であり、泉間メメルはその初歩を5歳で終えていた。

 それから更に成長した17歳の今、推測を外すことは決してないと確信している。


(だが……少年は何をしかけた?)


 相手の感情に何か揺らぎがあった。

 別人となったまでにはいかないにしろ、先ほどまでの能面じみた面構えから、目映いほど真っ直ぐな笑みを浮かべている。

 戦いの中で、何か一つ迷いが晴れたかのような。


(こういう反応は厄介かな)


 この絵柄当ては、終盤になるにつれ勝てないと諦めた顔をするか、勝ちを何とか掴もうと焦りの顔色を見せるかのどちらかをプレイヤーは見せる者と決まっている。

 そういった要素を統計にかけ、「この反応ならばこの札の可能性が高い」と研究されたものが、この訓練の基盤となっている。

 だから統計の外れ値、例外的な対応の場合は、少し考え込まなくてはならない。


「突然笑顔になったけど、何かに気付いたのかな」


「はい。ようやく勝負の仕方が分かったきたというか、俺なりのやり方ができてきたというか」


(能天気か?)


 しかし、やることは変わらない。

 メメルは絵柄を宣言しようとして


(……さっき、彼が見ていたのはなんだ?)


 視線を、玄関近くに向ける。

 あるのはファッションブランドのロゴが入った紙袋がいくつか。

 彼ではなくレルナが買ったのだろうというのは、今着ている私服からも判断がつく。


(だが、それで何が変わるという)


 あの中に役立つ道具が入っていようと、クスミはこの場から動いていない以上触れられない。


(待て、その後の行動をよく思い出すんだ)


 メメルの脳内でスローモーションで再生されるのは、クスミが袋を見てから、勝利を確信し、札を引いて構える一連の流れ。

 不自然な点がある、と札を引く寸前の彼の全身一つ一つを読み解く。


(なるほど……これは変だね)


 彼はカードを引こうと手を伸ばした時、既に絵柄を見た際の反応が18項目発生していた。

 恐らく少年は、カードを引く前に自分自身で深く「次の札は『鬼札』だ」と摺りこみ、そして手を伸ばしたのだ。

 しかしそれで当たる確率は1/9。むしろ重要なのは、札を引いてから発生した残り14項目の不随意運動。

 この14項目が示した『松のカス』は、ブラフでなく真の反応の確率が高い。


「……よくやるよ。君は」


「そうですか」




「でも、私を化かすには一歩足りない……『松のカス』だよ」




 クスミの表情が崩れる。

 敗北の落胆、というのがメメルには感じ取れた。




「メメルさん、貴方はこれをゲームと言いましたよね」




「言ったが、だったら何かな」


「ゲームというのは楽しめるものだと思うんです。でも、今残り9枚になっても、1/9の確率でしか当てられない。そんな運任せで、特殊な目でも持っていないと遊べないこれは、果たしてこれはゲームなんでしょうか」


「……君が言いたいことは分かる。けれど、勝敗があるのだから、ゲームで良いんじゃないか。何より私は愉しんでいる」


「そうですか……そうですよね、そうなんです」


 メメルは首をかしげる。

 目の前の少年の雰囲気が、煙にでもなったように変化し続け、輪郭を掴めない。




「これはゲームです。何かの訓練じゃない。だから」




 クスミは札をレルナに見せつけた。




「ゲームっていうのは、対戦相手がいるってことを理解しないと、勝てないんですよ」




 メメルの前にあるのは。




 赤と緑の絵柄、『鬼札』だった。




 メメルはその時初めて、不快感を顔に浮かべた。

 絶対的な自信を持っていたこの絵札当てで、自分が外すことなどあり得ない。


「何をした」


「なにも」


 催眠か、イカサマか。

 絶対的な自信を持つメメルに考えられるのはそれしかなかった。


 前者であれば。

 この泉間メメルを少年が出し抜いたわけで、それはあり得ないとプライドが拒む。


 後者となれば、

 僅かに玄関のほうへ目を逸らした瞬間のみであるが、しかし彼の手の動きを把握できないほど、節穴ではない。


「ただ言えるとしたら、俺はこの札が、山で裏返しになってる状態の時点で『鬼札』だって思ってたんですよ。だからその通りに引いて、その通り当たったから嬉しくなった」


 クスミは最初にメメルが懐から花札を取り出して、絵柄を見せた段階で、鬼札の位置を記憶していた。

 そして札がシャッフルされてる中でも、目で追い続けて位置を把握していた。

 札の位置は偶数、だからいつか自分が手に取ることになる。


(この絵札当てで、一流の催眠術士が行う場合、重要なこと。それは相手の札を確実に当てる事と、相手のミスをいかに誘うか)


 そうメメルは考えた。

 札を当て続けることができても、相手のミスがなければ同点となる以上、勝利のためにはミスへの誘導が必要。

 そしてそれは、自分自身の札を見て起きる反射運動、本来なら制御不可能な運動を誤魔化すという、ただ相手の表情を読み取るよりも更に高難易度の技術が必要となる。


(だから、俺は読み合いをやめた)


 むしろ花札を引く前から、その絵柄を確実に引いたという反応を素直に起こすことで、観察眼の鋭いメメルの眼を欺いたのだ。


(というか、相手の表情とかだけで花札を当てるのって難しすぎるから……お婆ちゃんとやってたときも、実はこっそり何枚か札の位置を覚えて、誤魔化してたんだよな)


 クスミの不真面目さが、札の位置を覚えてシャッフルされても当てられるという、催眠術とは関係ない別の技術を伸ばしていたから為せる技。

 しかし泉間メメルは、泉間家の者としての矜持とそれに見合う才覚を持っていたため、騙し技などを使うことなど考えもしなかった。


 催眠術士の訓練として考えるメメル。

 遊びとして他の技術を取り入れたクスミ。

 その違いが、この結果を引き起こしたのだ。


「貴方はきっとプライドがあるし真面目な人です。きっと絵札も、毎回俺の動きや反応を一つ一つ推理したうえで当てる王道を選ぶ人だ。でもゲームなら、一つの攻略法だけで戦っている時点で不利なんですよ」


「……君は確かに、普通とは違うようだ」


 普通の催眠術士であれば、もし催眠の訓練でズルをしようものなら厳しく説教される。

 それではそもそも、催眠技術の訓練にならないからだ。


(だが彼は、彼の師匠は、そのイカサマやルール外のテクニックすらも許容して訓練したのだろう……根本から違っている)


「そういうことか……」


「……勝負、続けますか?」


 メメルが答えようとしたところで、玄関のチャイムが鳴った。

 そして聞き馴染んだ声が扉越しから聞こえてくる。


「クスミ~、開けて~! 荷物が多くて~!」


「分かった~!!」


 メメルの気が緩んだその一瞬、クスミは全身に力を入れて立ち上がった。

 その場から動けないという催眠術が解け、クスミは一目散に玄関へ向かう。

 ガチャリ、と扉を開けると、手には買い物カゴを2つ抱えたレルナがいた。

 その横にはカップ麺の段ボールを抱えながら、腰をさする久遠。


「電話でなかったから、勝手に色々買って来たわ……って、靴があるけど誰かいるの?」


「えぇと、それが、変な人というか」


「私だ」



 奥からメメルが現れたとき、レルナは口を開けたまま荷物を落とした。

 クスミが脇に下がると、メメルはブーツを履き、そのまま外へ出る。


「メメル、さま……」


「レルナ、船での一件があったらしいが、元気そうで何より。これからもよく励め」


 そのまま、カツカツと音を立てて、久穏の横を通り過ぎ、複雑な顔をする久穏の肩を叩く。


「久穏の翁も大事ないか。引き続き我らプラトーに良く協力しろ……それと」


 振り返り、玄関から身を乗り出したクスミと目を合わせる。


「此度は邪魔してごめんなさい。ゲームの続きはいつかまた……吉野クスミ」


「は、はい」


 そうして去っていく和服少女の後ろ姿が消えるまで、レルナは緊張が解けずにいた。

 クスミは胸元の鈴を服の上から握りしめる。

 ゲームの続き。それはもし次に会ったとき、催眠術士としてやり合うということなのだろう。

 だが今は、


「レルナも、久穏さんも、ひとまず荷物をいれましょう? ほら、俺ももうお腹減っちゃって」


 2人の背中を押し、両手で荷物をもって、連日の騒動での健闘を労うことにした。



 □□□


 ACITH本部オフィス。

 部屋の明かりがなく、各席におかれた電球スタンドしかないのは、互いに催眠をかけることを抑制するためである。

 そこはただ、座る13人の人物と、声の身しか存在しない。

 机はあるはずだが、それが円卓なのか長椅子なのかも把握できず、互いに別々の方向を向いた椅子に座っている。


 カチッ


 と、最後の一人が自分の席の灯りをつけた。

 平均的な男性の、映画の吹替みたく演技ぶった声がする。


「全員がそろったな。早速だが本題に入ろう。1つ目は、アプリについて」


「じゃあ、僕から、です」


 機械音声で作られた少年の声。


「アプリ開発先週のアップデートで、催眠強度の改善により、87%の相手に催眠がかかるようになりました。残問題も、言語理解の問題、認知機能と、3歳以下と65歳以上という年齢的な要因が10%、一般的には問題ありません。あるとすれば3%、耐催眠の高い催眠術士たちですが、先日はプラトーの催眠術士の耐催眠防具も無効化できたとの報告がありますので、検証段階ながら改善は順調かと」


だが、(Il ne sert)命令で( à rien)きる内(d'essayer)はまだ(de faire )単純な(croire au)ものだ( gamin )けら(qu'i)しい(l peut)じゃな(faire le)いか。( travail.)催眠状( Il n'y a)態にな(que vous)ること(pour vous)、実際(satisfaire)有用( d'un)催眠を( jouet)かけら( aussi)れるか、すぐ( bon )除され(marché)ないかは別だぞ 」


 フランス訛りの低い男の声。

 日本語で会話しているというのに、なぜかフランス語が同時に聞こえる男は、嫌みを込めている。

 更に小言を言いかけたところを、老婆のしゃがれた声が邪魔する。


「はいはい、ナルキッソスくんはよく頑張ってくれてるわぁ。それで、次の題目はなんでしたっけね」


「それは、このアイギスが」


 張りのある女の声。


「吉野の里についての調査が進みました。皆さんもご存じの通り、強烈な催眠によって『誰もどこにあるのか』『本当はどんな名前なのか』といったことを認識できない里ですが、帰納的解析の結果、同日に少なくとも2名が里から出たらしいという情報を得ました」


複数人だ(Qu'est-ce)ったわ(qui te)けか(prend)


「うち一人は北九州にて行方をくらましました。プラトーが関わっているものとされます。もう一人は新幹線にて東京へ向かった後、帝国ホテルで2日滞在したことが分かっています……ですが、本題はそこではありません」


 アイギスは、この暗黒で行われる会議の特性を理解している。

 手元に渡す紙資料すら禁止されている分、語りの声が会議において重要となる。



「ホテル関係者は全員催眠で記憶処理がされていましたが、2名のみ不完全ながら記憶を有していました。2名の供述によれば、その宿泊客は『アサイズか、プラトーが来たら、お前たちの『催器』を回収すると伝えるよう』言われたそうです」



「「「「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」」」」



 静寂が流れた。

 感情を表に出さない催眠術士たちが、静寂という選択をしたということが、事の重大さを却って明らかにしていた。


「我々ACITH、異常執行機関プラトー、そして吉野の里、それら3組織が持つ3つの催器の奪い合いが明確になったということだけ、お知らせいたします」


「分かりました。では他に何か報告のあるものは? ……いませんね、では以上で会議終了といたします! お帰りは順番の通りに、足元にお気をつけて」


 最初の男が締めの言葉を明るく述べる。


「ACITHは、いつでも心の自由なるままに!」


 13の電灯が次々と消えていく。

 最後の1つ、アイギスは笑みをこぼしながらスイッチを切った。


(全員、いつか催眠おかしてやる)


 部屋には暗黒が満ちていた。


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