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プロローグ:Memeru's Mesmerize

思いついたので、キリの良いところまで書いてみます。




 指先で円を描く動きを追って、トンボは目を回す。

 そのうちに空いた手で羽を挟めば、その後いくら抵抗されようとも逃れられない。


 

 庭先でまた一匹虫を捕まえた和服の少女は、奥の部屋へと運んだ。

 朱色染めに象られた白き八角系の模様は、蛇の鱗にも、獲物を捉える虫取り網の目にも似ている。

 ただし彼女の場合、虫とはトンボではない。

 敵対する組織の間者スパイである。

 30代の男性で、頬のくぼみと下卑た引き笑いから小物臭の隠せない男。

 どうも、自分の立場を分かっていないらしい。



「俺を拷問するつもりか? はっ、生憎とお前らに渡す情報なんざねえよ」


「そんなことは致しません。貴方がACITH(アサイズ)に、敵へ情報を漏らすか、拷問に耐えきれなくなった場合は自害するよう周到に暗示されていることは知っています」


 凛と澄ました若い声。

 赤紫に染めた長髪や制服は遊び盛りの10代そのものだが、その表情は大人も気圧されるほど冷たい。

 吊り上がった眼差しと長い睫毛、耳元で揺れるピンクのイヤリングが、整った顔を更に際立たせ、中世物語から飛び出た姫騎士のようにすら思わせる。


「おうおう、賢いな和装の嬢ちゃん。ご褒美にキスでもくれてやろうか?」


 そう言ってベロを突き出し、レロレロと舐め回す動きをする。

 少女は奥からレコード盤を取り出して、曲をかけた。曲はワーグナーのファウスト序曲。

 緩やかな序盤から重いチューバの低音と弦楽器の細やかなリズムが交互に、時に同時に、暗く、明るく、時に盛り上がり、また静まり、大きな小さくうねりを作る。

 捕らえられた男は、古典音楽に興味を持ったこともなく、メロディーだけで退屈で眠たくなる。

 目の前の女は書類を一定間隔で、同じ所作でめくる。

 機械のように、振り子のように変わり映えのない姿。

 男は騒ぐ気も失せてぼうっとするほかなく、どこからか漂う花の香りと相まって、どこか夢心地のような気分にさせる。


 (3カ月前から掃除係として雇用。昨日の抗争で泉間家の催眠術士2名が負傷し、兵が1名意識不明となったが、その混乱に乗じて、機密情報を盗もうとしていたところを現行で確保。家宅調査で以前からの情報漏洩の証拠押収済み……か)


 この家も、こんないかにも低能な人間すら雇用し、しかも背信に気付かなかったとは、随分と地に落ちたものだと、メメルは溜め息をつきたくなる気持ちをなんとかこらえた。

 メメルの脳内には、自身が当主となれば即座に解雇、処分する人間数百名のリストが存在していた。

 しかし彼女の腹は顔は至って大和撫子の清純な微笑みしか浮かべず、ましてや初対面の男には知る由もない。


「さて、おじ様。それではどうしたら教えてくれるのでしょう。貴方は誰の命令で、どうやってこの家を嗅ぎつけて潜入したのですか?」


「ははあ、嬢ちゃん。そんな大事なことを漏らすと思うか? これでも組織の中じゃ口が堅い方でね。良い取引があるってんなら話は別だが……」


「そうですか……はぁ……では、これならどうでしょう」


 パン


 音が鳴り、部屋が暗くなる。

 男は発砲音かと思い、受け身を取ったが、やがて明るくなる部屋に驚いた。


「……あ?」


 おかしい、今目の前にいた少女も、それどころか部屋すらない空間にいる。

 だが頭の中で声はする。


『貴方は今、どこにいるか分かりますか?」


「なんにも見えねえ……おい、俺に何をしやがった」


『そんなはずはないです。目を凝らしてみましょう。貴方の良く見知った場所ですよ。懐かしい匂いもするはずです』


 懐かしい、という言葉に引っ張られて男が前を見ると、確かに建物の輪郭が見えてくる。

 どころか、周囲には街の木や、道路、懐かしい匂いまでが男の感覚をくすぐる。



「ここは……俺の、子供のころの家?」


『どんな場所か説明できますか?』


 不思議な声に促されるまま、男は語り始める。

 決してやめよう、などと抵抗する気も起きずに。


「二階建てで、庭に木が3本。1本は柿の木で、もう少ししたら実が成りそうだ……あぁ、母ちゃんの車が止まってる。青いミニバンで……そうだ、母ちゃんは青が好きで、だから屋根も青色なんだ……そして家族の名前が懸かった扉」


『中に入ってみましょう。鍵は君のポケットの中にありますよ』


 ポケットを探ると、確かに銀色の鍵があった。

 男はそのまま扉を開けて、慣れた場所を歩いていく。


「あぁ、こんなことって……だって、この家はとっくに解体されて、母ちゃんも死んで……」


『そうでしょうか? では、そこの部屋に入って、誰がいるか確かめてみればいい……』


 自分の家に誰がいるか。

 そう問われれば、男にとって答えは一つしかなく、扉の先には望んでいた答えがあった。


「あら、今日は帰りが早いのね。ほら、手を洗っておいで。おやつを買っておいたから」


「母ちゃん……!」


 男は、いや少年は母親に飛びついた。

 泣く少年は、その頭を優しく撫でられる感触に安心する。


「辛いことがあったんだね……でももう大丈夫だよ」


「俺、俺は……!!」


「うんうん、ほら、お母ちゃんに全部吐き出しちまいな。そしてスッキリしたら、一緒にオヤツを食べようじゃないか。今日はお前の好きな、こしあんのたい焼きだよ」


「俺……お金を楽に稼げるからって聞いて、組織に入って……でも、気づいたら逃げられなくって……」


 少年は告白する。

 気付けば、母親に言われるがまま、自分の今までの仕事の内容を履きだしていた。


「そうかい……辛かったねエ。でももう大丈夫だよ。いや、もう時間か」


「母ちゃん……?」


「ごめんねえ。そのACITHって組織ってやつは、情報を喋ってしまった以上、お前を許さないみたいだよ。ほら、窓の外を見な」


 そこには、いつも通りの庭ではなく、黒い触手を持った怪物が街を破壊していた。


「だからこれ以上質問をすると、お前はアイツに食われて死んじまうか、一生目覚めない身体になっちまうんだよ」


 少年は理解する。

 ああ、これは夢で、そして今は尋問の真っ最中であったと。


「……それでもいいよ。俺、もうずっと会えないと思ってた母ちゃんと一緒なら、このまま目覚めなくて良い」


「……そうかい? お前が望むなら、私も付き合ってあげるよ……」


 そうして少年と母親は、怪物が家を踏み潰すまで、たい焼きを食べながら語り合い、最後まで笑っていたのだった。






「……意識反応消失。退出しますので、残りはよろしくお願いします」


 少女は立ち上がり、部屋を出る。

 遺されたのは茫然と空を見上げ、遠くを見ながら笑いを浮かべる男。

 目に光はないが、その顔はどこか幸せそうであった。




(自滅暗示の発動を遅らせることで、相手の作戦は聞きだせた。その目的も……)


 シャワーを浴びながら、少女は物思いに耽る。

 決して高くはない身長とスレンダーな体型。

 椅子に座る作業が多い分、ヒップが大きいのはむしろメリットと感じていた。

 しかし相変わらず、目の鋭さだけは依然として年不相応である。


 少女は、非現実的な風貌と同じように、泉間いずまメメルという奇妙な名前であった。

 総数6画のこの文字を、メメルは好きでも嫌いでもなく、ただの識別コードとして扱っている。

 重要なのは泉間という格式ある催眠術士の家系に属しているということ。

 赤紫の髪も、水色の瞳も、相手を催眠にかけるためだけに必要だから染める。

 指先の仕草から瞬き一つまで、全てが彼女の生まれ持った癖ではなく、催眠術士として仕込まれた動作である。

 催眠術士の中で泉間を知らぬ者なし、そう思っていたが。


(でも、相手の吐いた吉野の里の者とはなんだ?)


『このあたりに潜む催眠術士、吉野の里の者を探し出せ』

 それが先ほど催眠にかけて尋問した男の任務であった。

 しかし現代の催眠術士の歴史において、そのような有力な家系は存在しない。

 催眠術の技が外に漏れれば自らも催眠にかけられる可能性から、催眠術士とは基本家族以外の誰かに技を教えることはなく、ゆえに有力な血筋が均衡することで秩序を保っていた。

 逆に催眠術士の敗北とは、自分らの技から血縁者を全て吐かされ奪われた上で、相手に催眠をかけられ支配されることを指す。


 だから、催眠術士に末裔などというのは存在しない。

 いたとしても、それは催眠術というにはあまりに脆弱で、街頭のショーで見世物をするような三流の輩だ。


(吉野……興味がわいたな)


 シャワーから出てタオルで頭を拭く。

 眺めれば錦、触れば絹といった日々のケアをかかさない美髪。

 規定の白く飾りのない下着と制服。部屋の中すべて他人に与えられたもの。

 派手な赤紫の髪色ですら、家族の用意した染色をただ繰り返すだけ。

 そうやって自身を道具と理解するメメルにしては、珍しくそそられる話題が、吉野の末裔だった。

 泉間家という血統を誇るがゆえに、未詳の相手を試したいという嗜虐が湧いたといってもいい。


(もし面白い催眠術士であれば、私がその技全てを貪り尽くそう。そして、泉間の催眠術をまた一つ絶対にする……!)


「フフフ」


 和服を脱ぎ、黒に白線の入る執行服を着たメメルは、一人舌なめずりをしてみせた。

 それもまた、泉間の人間がよくみせる仕草の一つであった。




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