6-2 クリスマスの箱
その連絡は、まるで何事もなかったかのように届いた。
「来週、日本に戻るよ。
クリスマス前には着くと思う」
短い文面。
説明も、言い訳も、余計な感情もない。
圭祐らしい、と言えばそうなのかもしれない。
律子は、スマートフォンを見つめたまま動けなくなった。
“戻る”という言葉が、胸の奥で重く響く。
——帰ってくる。
——この家に。
——私と、蓮のところに。
安堵よりも先に、ぞっとするような感覚が走った。
その直後、思ってもみなかった言葉が、頭の中に浮かび上がる。
……飛行機が、落ちればいいのに。
はっとして、律子は息を呑んだ。
自分の思考に、自分で驚いた。
そんなこと、考えたこともなかった。
人の不幸を願うなんて、ましてや夫に対して。
「……最低」
小さく呟き、首を振る。
でも、その思考は簡単には消えなかった。
怒りと悲しみと悔しさが、絡まり合って、倫理や理性の隙間から漏れ出してきたのだ。
——それだけ、追い詰められている。
律子は、そう自分に言い聞かせるしかなかった。
圭祐が帰国したのは、予告通りクリスマスの少し前だった。
スーツケースを引き、いつものような顔で玄関に立つ姿を見た瞬間、律子の中で何かが静かに固まった。
「ただいま」
「……おかえり」
それだけのやり取り。
蓮を抱く圭祐の手つきは慣れていて、周囲から見れば、何の問題もない“家族”だった。
夕食のあと、圭祐はスーツケースから紙袋をいくつか取り出した。
「バンクーバーのスタッフから。律子にもって」
メープルクッキー、紅茶、ベビー服。
どれも無難で、当たり障りのないものばかり。
律子は黙って受け取り、形式的に礼を言った。
そして最後に、圭祐は少し軽い調子で言った。
「あと、これ」
差し出された箱。
中から出てきたのは、ふわふわしたぬいぐるみだった。
ボタンを押すと、軽快なクリスマスソングが流れ、ぬいぐるみが小さく体を揺らす。
「蓮に、って」
圭祐の声は、あくまで自然だった。
あまりにも自然で、律子は一瞬、理解が遅れた。
——誰から?
そう思った次の瞬間、胸の奥が一気に冷えた。
箱の隅に、控えめに添えられたカード。
To Ren
Merry Christmas
差出人の名前を見た瞬間、視界が歪んだ。
実佳。
心臓が強く脈打つ。
怒りが、音もなく一気に込み上げてきた。
——なぜ。
——どうして、この子に。
——どうして、ここに。
蓮は無邪気にぬいぐるみを掴み、音楽に合わせてきゃっきゃと声を上げた。
その姿が、余計に律子の神経を逆撫でした。
言葉にならない感情が、喉の奥に詰まる。
怒鳴りたい。
投げ捨てたい。
でも、どれもできない。
圭祐は、律子の表情に気づいていないのか、気づかないふりをしているのか。
「可愛いだろ? 向こうで見てさ」
何気なく、そう言った。
その瞬間、律子は確信した。
——この人は、何も分かっていない。
——あるいは、分かっていて、分からないふりをしている。
胸の奥で、何かが音を立てて壊れた。
それは悲鳴でも涙でもなく、
決定的な怒りの形だった。
律子は、ぬいぐるみから目を離し、静かに言った。
「……ありがとう」
自分でも驚くほど、穏やかな声だった。
けれどその内側で、確実に火が灯っていた。
これは、もう“気のせい”ではない。
善意でも、偶然でもない。
——踏み込まれている。
——私の家庭に。
——私の子どもに。
クリスマスソングが、部屋に虚しく流れ続けていた。




