6-1 優しさの仮面
それは、本当に唐突だった。
蓮をあやしながら、律子がぼんやりと窓の外を眺めていた昼下がり。
スマートフォンが短く震えた。
通知音にすら、心臓が過剰に反応するようになっていた。
画面に表示された名前を見た瞬間、時間が止まった。
実佳。
「律子ちゃん、大丈夫?」
たったそれだけ。
絵文字も、余計な言葉もない、短い一文。
律子は、しばらくその画面を見つめ続けた。
大丈夫、とは何が。
何を、どこまで知っていて、この言葉を送ってきたのか。
胸の奥から、じわじわと何かが湧き上がってくる。
怒り。
悲しみ。
悔しさ。
それらが溶け合って、言葉にならない熱を帯びていく。
——あなたが、それを言う?
喉の奥が、ひりつくように痛んだ。
「大丈夫?」
それは、今の律子にとって、最も残酷な言葉だった。
スマートフォンを握る手に力が入る。
思わず、爪が食い込むほど強く。
今すぐ問い詰めたい衝動が、全身を駆け上がる。
どういうつもり?
あのメールは何?
圭祐と、どこまでなの?
いくらでも言葉は浮かぶのに、どれも送れない。
送ってしまえば、何かが決定的に壊れる気がした。
いや、もう壊れているのに、律子自身がそれを認めきれていないだけだった。
蓮が小さく声を立てた。
律子ははっとして、腕の中の息子を見る。
何も知らない顔で、ただ母親を見つめている。
——この子の前で、私は取り乱したくない。
そう思えば思うほど、感情は出口を失って、内側で膨れ上がっていく。
怒鳴りたいのに、声が出ない。
泣きたいのに、涙が落ちてこない。
「……ふざけないで」
小さく漏れた声は、自分でも驚くほど低かった。
実佳の顔が脳裏に浮かぶ。
あの、柔らかくて、無邪気で、どこか無責任な笑顔。
律子は、その笑顔の裏に何を隠していたのかを、今になって考えずにはいられなかった。
“心配している友人”
その仮面が、ひどく薄く、脆く見えた。
返信欄を開き、何度か文字を打ちかけては消す。
最終的に、何も書かないまま画面を閉じた。
今は、返せない。
返したら、自分が自分でなくなってしまいそうだった。
蓮を胸に抱き寄せる。
小さな体の温もりが、かろうじて律子を現実に繋ぎとめていた。
怒りも、悲しみも、悔しさも。
すべてを飲み込んで、律子はただ、静かに息をした。
この感情は、消えない。
むしろ、確実に育っている。
——いつか、向き合わなければならない。
その時が、確実に近づいていることを、律子はもう否定できなかった。




