5-10 祝福の中の空席
助産院での七日間が過ぎ、律子は蓮とともに、自身の実家へと戻った。
実家の和室には、母が用意した真新しい布団と、ベビーベッド。
風通しのよい窓際に置かれたそれは、まるで祭壇のように整えられていて、母親の気合いが伝わってくる。
「蓮くん、ほら、音が鳴るのよ〜」
「うわあ、よく寝てる〜。これは将来大物になるね〜」
ご近所さん、母の友人、親戚、近所の喫茶店のママ、小学校の恩師……。
「律子ちゃんの赤ちゃん、見せて!」という人々が、入れ替わり立ち替わりやって来た。
律子の人生で、こんなにも自分に会いに来る人が絶えなかった時期が、ほかにあっただろうか。
懐かしい顔、新しいつながり、ひとつひとつの言葉が律子の心をやさしく満たしていく。
「いやあ、あなたのお母さんもこうやってあんたを育てたんだよ〜」
「赤ちゃんって、存在そのものが希望よね。ほんとに」
そんな声に囲まれて、律子は初めて「幸せ」という言葉を、肌で実感していた。
けれど、蓮の名前を呼ばれれば呼ばれるほど、心の片隅がひりついた。
圭祐が、まだ来ない。
生まれてから十日近く経つ。
LINEには「落ち着いたら行くね」の一言。既読がついたのは、三日前のことだった。
そして、律子が実家に戻って三日目の午後。
ようやく玄関のチャイムが鳴った。
「圭祐さんじゃない?」と母が声をかけ、ガラリと引き戸を開けると、そこには確かに、少し疲れた様子の圭祐が立っていた。
「ご無沙汰してます……すみません、遅くなって」
母は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに笑顔を浮かべて招き入れた。
「まあまあ、よく来たわね。蓮くん、あなたにそっくりよ。さ、入って入って」
圭祐は、畳の上に座り、息子と初めてきちんと向き合った。
眠っている蓮の顔を、少しだけ緊張した様子で見つめながら、口を開いた。
「……こんなに小さいんだな」
律子は隣でその横顔を見つめながら、何かを言いたかった。
何日も言いたくて、胸の中で形を変え続けていた言葉たち。
──なぜ来てくれなかったの?
──父親になりたいって、あれは何だったの?
けれどそのすべてが、いまこの瞬間には、どうしても口に出せなかった。
蓮の寝息と、縁側に差し込む夕陽の中で、律子はただ静かに、息を呑んだ。
ご一読ありがとうございました。




