5-7 出産、それでもあなたはいなかった
いよいよ出産だ。
間に合わないかと思ったが、圭祐は車を飛ばして真夜中の助産院に到着した。
「父親になりたい」「育児をしたい」――律子と結婚する際、圭祐はそう語っていた。
だからこそ、我が子の誕生を心から楽しみにしているものと、当然のように思っていた。
けれど、夜通しの運転の疲れからか、現れた圭祐の目はどこか虚ろで、その熱意は感じ取れなかった。
しかし、そんなことを気にしている余裕は、今の律子にはない。
尋常ではない痛みが、波のように押し寄せる。
「こんなに痛むなんて、誰も言ってなかったじゃない!
なにこれ!? 2人も3人も産んでる人の気が知れない……!」
心の中でそう叫びながら、律子は痛みに耐えていた。
ふだんから、女性はもっと社会で活躍すべきだと考えている律子は、「女性は家庭にいるべき」といった価値観を押しつけてくるタイプの人間を、心の底から嫌っている。
けれど、“子を産んでこそ一人前”と主張する人たちが一定数いる理由が、今なら少しだけわかる気がした。――この痛みに耐えるからなのか、と。
「スイカが出る痛み」「鼻から新幹線」……そんな比喩で聞かされていた出産の痛み。
だが、思っていたよりはるかに厳しいのは、陣痛そのものだった。
ようやく圭祐が到着し、傍らに立ったとき。
律子は彼の手のにおいが気になって、出産に集中できなくなった。
「……お、お願い。手、洗ってきて……」
かすれた声でそう伝えると、助産師がやさしく、しかしはっきりと言った。
「ご主人、少し離れてもらっていいですか?」
“男性は出産時、邪魔でしかない”――よく聞く話だが、いまはそれを痛感していた。
それにしても、こんなにも痛いのに「まだ陣痛が弱い」と言われる。
もう、帝王切開でも何でもいい。とにかく早く出してほしい――。
律子は心の中で、助けを求めるように叫んでいた。
「陣痛促進剤、入れてみますか?」
助産師の問いかけに、律子は「うん、うん」と何度も頷いた。
「とにかく、なんでもいいから……」
そう心の中で泣きながら。
そして、三十時間。
三十時間の陣痛の末、ようやく赤ん坊の頭が見えた。
痛い。
痛いなんてもんじゃない。
身体が引き裂かれるようだった。
眠気と痛みで意識はもうろうとしていて、助産師の声は遠くから聞こえるように感じた。
言われたとおりにしなければと分かっていても、自分の身体が動いているのかどうかもわからない。
──ようやく、産まれたらしい。
へその緒を切るように促された圭祐が、おそるおそるそれを切る。
その光景を、律子は夢の中の出来事のように、ぼんやりと眺めていた。
ふにゃふにゃと小さく泣く我が子。
この世に生まれてきてくれて、ありがとう。
守らなければ。
この手で、守らなければ。
そう感じているのに、眠気が襲ってくる。
けれど、アドレナリンが出ているせいか、眠れない。
まぶたを閉じても、まるで火照ったように意識だけが冴えていた。
そして――。
圭祐はてっきり、ずっと一緒にいてくれるのかと思っていた。
けれど彼はあっさりと、
「仕事があるから」
と言って、律子の実家に向かって出ていってしまった。
律子は、何が起きているのか、よく分からなかった。
出産という大仕事を終えたその日に、ひとりになった事実が、どうにも現実味を帯びてこなかった。




