4-5 東京支社の新顔
「ちょっと待って。あの人が、ジョンさん?」
律子が尋ねると、圭祐は「そう」とうなずいて、肩をすくめた。東京支社の応接室。ガラス越しに見えるのは、初来日とは思えないほど落ち着いた雰囲気のカナダ人男性――ジョン。40代半ば。やや恰幅がよく、ジャケットの前は閉じずに開けたまま。笑顔が柔らかく、周囲の日本人スタッフともすぐに打ち解けているようだった。
「実務経験は十分だし、英語のローカル対応も任せられる。だけど……まあ、動きが鈍いよな。太ってるし」
唐突に圭祐がそう言い捨てた。
「えっ? そうかな……私は、むしろ堂々としてて頼もしく見えるけど」
「いや、見てりゃわかる。コピー一つ取るのも反応が一拍遅いし、昼は毎日デリバリー。階段も使わない。まあ、文化の違いかもだけど」
言葉の端々に、苛立ちと決めつけがにじんでいた。律子は黙った。圭祐が誰かをこういう風に評価するとき、その裏にあるのは"業務効率"や"生産性"という名の尺度で、それ以外の人間らしい価値はいつも脇に追いやられる。彼の視界には、「余白」や「体温」が存在しないのだ。
「律子さん、そっちは寒くなってきた?」
スマホ画面に映る実佳は、カーディガンを羽織ってソファに座っていた。バンクーバーは10月に入ってすっかり秋の気配。時差を調整しながらの、久々のビデオ通話だった。
「うん、東京もそろそろコートがいるかな。でもね、今日ちょっと変なことがあって」
「なに?」
「東京支社に新しい人が入ったの。カナダからの人事で、ジョンさんっていうんだけど……すごくいい人なの。ちょっと太めだけど、感じがよくて、社員にも優しいし」
「カナダ人? へえ。圭祐さんのとこ?」
「うん。でもね……圭祐が、初日からあの人のこと“太ってるから動きが鈍い”とか言っててさ」
「……うわ、それは、ちょっと」
「ね? 別に、動きが鈍いとかそんなふうには私思わなかったのに。“階段使わない”とか“昼は毎日デリバリーだ”って、なんか決めつけてて……」
「カナダでは普通なのにね。むしろ東京のオフィス文化が異常でしょ」
実佳は苦笑しながら言ったが、ほんの一瞬、眉の端がわずかに動いた。律子は気づかなかった。
「それ、ジョンさんにも伝わっちゃってたら嫌だなって。なんかね、せっかく異国で頑張ろうとしてるのに……」
「うん……まあ、圭祐さん、ちょっとそういうとこあるよね。デリカシーないというか」
「でしょ? なんか、がっかりした」
その日は他愛もない話で終わった。実佳は最後まで微笑んでいた。
けれど、そのビデオ通話の内容が、まさか自分自身を責める材料として返ってくるとは――
その時の律子は、思ってもいなかった。




