3-4 見えない手
律子はある日、オフィスに顔を出した帰りに、圭祐のデスクを訪ねた。
「ねぇ、咲良さんって、どういう人なの?」
何気ないふうを装って聞いたが、その声にはわずかに迷いが混じっていた。
「ん? あ〜、咲良さんはね、会社設立当時からずっと働いてくれてるんだけどさぁ……」
圭祐は椅子にもたれながら、ティーカップを片手に言った。
「なんていうか、やっぱお局様なんだよね〜。仕事はできるんだけど、協調性がないっていうか。若い子たちからは、正直あんまり好かれてないよ」
「……そうなんだ」
その返答に、律子は言葉を継げなかった。
実佳の話が、圭祐の認識と見事に一致していることが、妙に引っかかった。
数日後、会社で小さな騒ぎが起きた。
咲良が休憩室でひとり座っているところへ、実佳が書類を持って入ってきた。
何気なく交わされた会話の中で、突然咲良が「もう限界」と言い残し、涙をこらえながらその場を後にしたのだ。
「咲良さん、最近おかしかったよね」
「なんか、実佳さんにあたってたらしいよ」
「うちの会社、ちょっと変な空気になってきてるよね…」
その翌週、咲良は会社に辞表を提出した。
律子がそのことを知ったのは、圭祐が軽い調子で言ったときだった。
「咲良さん、辞めるって。まぁ長くいたし、疲れたんだろうね〜。ちょっと空気重かったし、いいタイミングかも」
あまりにあっさりとした言いように、律子は返す言葉を失った。
咲良の退職は、まるで最初から予定されていたように、誰も止める者はいなかった。
実佳は、「寂しくなるよね~」と小さく笑った。
その目は、どこか満足げだった。
咲良がいなくなったあと、オフィスの空気は確かに軽くなった。
実佳はさらに信頼を集め、千賀子とも表面上はうまくやっていた。
そして律子にも、今まで以上に親しげに接してくるようになった。
けれど律子の胸には、拭いきれない何かが残っていた。
咲良の苦しそうな顔。
圭祐の軽すぎる言葉。
そして、実佳の計算され尽くした笑み。
見えない手で、誰かが誰かを追い詰めた――そんな気がしてならなかった。




