2-8 誰にも言えない心音
祖母の通夜と葬儀は、驚くほど静かに、そして温かく営まれた。
訃報を受けて集まった親戚たちは、久しぶりの再会に涙しながらも、律子の姿を見ては皆、口を揃えてこう言った。
「律子の結婚が嬉しかったんだよ、きっと」
「安心したんだね、孫がちゃんと幸せになったって思って」
律子は曖昧に笑って、何も言えなかった。
嬉しい、そう言ってくれたこと自体はありがたかった。けれど、その言葉が心に突き刺さる。
(私、本当に“幸せ”になれてるのかな……)
見送る人がいなくなった後、火の気のない仏間で一人、そっと手を合わせた。
祖母の写真はまだ仏壇に収められておらず、小さな額に入れて床の間に置かれていた。
視線を落としたその先で、律子の心はじわりと揺れていた。
(おばあちゃん、ごめんね。私……何も言えなかった)
祝福してくれた人たちの顔が脳裏に浮かぶ。
結婚式で笑ってくれた親戚、遠方から駆けつけてくれた伯母、ずっと準備を手伝ってくれた母。
(簡単に「離婚」なんて、言えるわけないよね……)
涙がこぼれる前に目をぎゅっと閉じたその時、スマートフォンが震えた。
「英樹」という懐かしい名前が、画面に浮かんでいる。
──大学時代に三年付き合った人。
今は名古屋で家業を継ぎ、結婚して子どももいると聞いている。
別れてから何年も経つけれど、共通の友人を通じて年に一度ほど、軽く近況を伝え合う程度の連絡は続いていた。
「名古屋でおばあちゃんの訃報を聞いた。東京に出張で行くんだけど……時間あるかな」
メッセージは短く、けれど驚くほど自然だった。
英樹。懐かしいその名前を、律子は何度も心の中で繰り返した。
──もし、あのとき違う道を選んでいたら、私は、今どんな人生を歩いていたんだろう。
ほんの一瞬、そんな“もしも”が、胸の中に静かに芽吹いた。




