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2-7 戻る場所のない帰路

機内の明かりが落とされ、薄暗がりの中、律子は窓の外に目をやった。

真夜中の空を飛ぶ機体の外には、星ひとつ見えない。ただ、どこまでも黒く続く雲の海。


耳にはノイズキャンセリングのヘッドホン、目には眠気用のアイマスク——けれど、眠れる気はしなかった。

「……また、あの部屋に帰るの?」

ふと胸の内からこぼれ落ちた疑問は、自分でも抑えきれないものだった。


乾燥機からあふれ出た女性ものの洗濯物。

見つけてしまった小型カメラ。

「信じたい」と願えば願うほど、その奥にある圭祐の「何か」が律子を締めつける。


──私がいない間、また誰か呼んだりしないだろうか。

──私の荷物を勝手に開けたり、部屋を探ったりしないだろうか。

──そもそも私は、あの街に戻るべきなのだろうか。


考えても仕方のないことばかりが頭の中を巡り、眠気の代わりに不安ばかりが律子を支配していく。




日本に着くと、梅雨の湿気を含んだ重たい空気が律子を迎えた。

成田から実家までの道のりが、いつもより長く感じる。


久々に帰った実家には、どこか安心するにおいがあった。

玄関を開けた瞬間、母の「おかえり」という声が、張りつめていた律子の心を少しだけ緩めてくれる。

小さなスーツケースを下ろし、靴を脱ぎながら「ただいま」と返した声は、自分でも驚くほど掠れていた。


祖母が亡くなったという実感は、まだどこか遠くにあった。

けれど、リビングに並べられた黒い服や、電話越しに話す親戚の声、慌ただしく進む葬儀の準備の様子が、確かに「もう戻らないんだ」と静かに告げていた。


律子はそっとソファに腰を下ろし、窓の外を眺めた。

しとしとと降る雨が、遠くの山の稜線をぼんやりと霞ませている。


──おばあちゃん、結婚前に言ってくれたよね。「幸せになんなさい」って。

──でも私、今、うまく笑えてないんだ。


声には出さなかったけれど、心の奥で、祖母に語りかけるようにそう思った。


母は心配そうに律子の顔をのぞきこんで、「疲れてるのね、少しゆっくりして」と言ってくれた。

けれど律子は、うまく頷けなかった。


親戚とのやりとりや葬儀の準備、通夜、告別式と、日々は慌ただしく過ぎていく。

人と話しているときだけは、少しだけ現実から逃れられた。

だが、一人になった瞬間、律子の思考は決まってバンクーバーへと戻ってしまう。


──圭祐、今、あの部屋で何してるんだろう。


夜、布団に入っても、天井の模様ばかりを目で追っていた。

帰るべき場所があるのに、そこに「帰りたい」と思えない——そんな自分に気づいた律子は、胸の奥がずしんと重たくなるのを感じていた。



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