雨の街に恋をして
圭祐との出逢いは、12月の東京――六本木の坂を登った先にある、カナダ大使館だった。
冬晴れの空の下で開かれた日加のビジネス交流イベントに、律子は仕事の一環として顔を出していた。
慣れない英語に気後れしながらも、いつもの笑顔でその場をやり過ごしていた律子に、「英語、上手ですね」と笑って声をかけてきたのが圭祐だった。
初対面のはずなのに、どこか懐かしいような安心感を覚えたその瞬間を、律子はあとになって“運命”と呼ぶことになる。
圭祐はバンクーバー在住で、わずか一週間の東京出張中。
東京滞在中、二人は何度か会い、短いながらも濃密な時間を過ごした。
別れ際、「またね」と言い合ったものの、再会の保証はなかったはずだ。
けれどその後、毎晩のようにLINEやビデオ通話を通じて会話が続き、距離などまるで意味を持たないような日々が始まった。
そんな日々が続く中、ふと口にした言葉があった。
「私も、バンクーバーに行ってみようかな?」
そして初めてのバンクーバー。
カナダという国に抱いていた雪国のイメージとは裏腹に、冬のバンクーバーは雨が多く、どんよりとした空が続いていた。晴れる日もあるにはあったが、空気は刺すように冷たく、午後4時にはすっかり日が暮れてしまう。律子は昼間の多くの時間を一人で過ごした。
圭祐は朝9時にはオフィスへ出勤し、律子のために早く帰宅する夜も8時を過ぎなければ帰ってこない。
経営者として、誰よりも働かなければならない彼を尊敬していたけれど、その分、寂しさも募った。
知らない街で、知らない時間に、知らない風景に囲まれて過ごす孤独。
彼女は時折、ホテルの窓から静かに雨が降るのを眺めながら、東京の喧騒を思い出していた。
それでも、圭祐と一緒に過ごす時間は格別だった。
平日のディナーにも時間を作ってくれた彼は、毎回違うレストランに律子を連れて行ってくれた。
イタリアン、ベトナム料理、韓国料理、メキシカン…バンクーバーは移民の街と呼ばれるだけあって、世界中の味がひしめき合っている。
どの店にも物語があり、圭祐と共に味わう料理は、舌だけでなく心まで温めてくれた。
だが、そんな幸せな時間もあっという間に過ぎ、律子は東京へ戻ることになった。
出国審査前のゲートで、「次はいつ来る?」と聞いた圭祐に、「早ければ春かな」と笑った律子は、内心ではすでに再訪を決めていた。
そして、二度目のバンクーバー訪問。まだ寒さが染みる2月の終わり、律子は再び圭祐の元を訪れた。
前回とは違い、今度はまるで“ただいま”と言いたくなるような気持ちだった。
街も、空も、人々のざわめきも、少しだけ親しく感じられる。
だが、律子にはまだ知る由もなかった。
今回の滞在が、彼女の人生を大きく変えるプロポーズへと繋がっていることを――。