2-5 静かに壊れていく朝
翌朝――。
圭祐は何事もなかったかのようにシャワーを浴び、ミルクティーを飲み、律子に「行ってきます」と笑顔を向けて家を出た。
ドアが閉まり、静寂が戻る。
その瞬間、律子の身体は勝手に動いていた。
彼のスーツケース。クローゼットの中の引き出し。サイドテーブル。テレビ台の下。
こんなことをしたくはなかった。信じたかった。けれど、信じる根拠が、もうどこにもなかった。
そして、彼のスーツケースの隅に、律子は“それ”を見つけた。
手のひらサイズの黒い小型カメラ。
電源を入れてみると、メモリーカードに保存されていた映像が再生された。
目に飛び込んできたのは、ホテルの客室の風景。
律子が結婚式当日の夜、一人で部屋に戻ったときの様子だった。鏡の前でイヤリングを外し、ドレスをハンガーにかけ、深いため息をついてベッドに腰掛ける。その一つ一つの動きが、無音の映像の中で静かに再現されていた。
手が震えた。
どこから撮られていたのか。あの日、確かに誰もいないはずの空間で、自分は無防備でいた。その姿が、こうして圭祐のカメラに収められていた。
律子は唇をかみしめ、映像から目をそらした。
信じたい。けれど、信じられない。
心の奥底で、何かが壊れる音がした。
律子はカメラをそっと元の場所に戻した。
これ以上なにも見たくなかったし、これ以上、知ってしまうのが怖かった。
けれど、それはもう「知らないふり」では済まされない現実だった。
結婚式という、人生で最も祝福されるべき一日に、盗撮されていた――その事実だけで、胸の奥に染み込んでいたわずかな信頼も、完全に音を立てて崩れていった。
ぼんやりと、ソファに腰を下ろす。
外は明るいのに、視界が灰色がかって見えた。
(なんで、こんなことに……)
じわじわと心を蝕んでいく孤独と、不安と、怒りと、恐怖。
異国の地。知り合いも、頼れる人もいない街。
ただ一人を頼って来たというのに、その「一人」が、最も信じてはいけない人だったのかもしれない。
胸が苦しくなり、呼吸が浅くなる。
あんなに楽しみにしていた新婚生活が、どうしてこんな形で始まるのだろう。
気づけば、膝に置いた手が小刻みに震えていた。
涙は、もう出てこなかった。
出てくる代わりに、律子の中にはっきりとした“疑問”が浮かぶ。
(……彼は、最初から私のことを、愛していたんだろうか?)
その問いに、まだ答えは出せなかった……。