初めて一人で過ごす夜
スーツケースを部屋の片隅に置き、律子はバスローブのままソファに座り込んだ。
東京のホテル――なのに、まるで遠い国のどこかにいるような孤独感があった。
窓の外に見える首都高の光の帯をぼんやり眺めているうちに、ふとスマホに手が伸びた。
迷った末、母の番号を押す。
「律子? どうしたの? もう帰ってきたの?」
「うん……。今夜は空港近くのホテルに泊まることになったの」
「そう、大変だったわねえ。圭祐さんは? 一緒なんでしょ?」
少し沈黙の後――律子は口を開いた。
「……実はね、お母さん。圭祐、私の車に盗聴器つけてたの」
電話の向こうで、一瞬言葉が止まる。
「えぇっ、何それ? どうしてまた……?」
「わかんない。でもたぶん、私のこと、浮気してるんじゃないかって思ったんだと思う。エステに通い始めたのも、全部疑われてた。結婚式の日、式の直前に……それ、知ったの」
静かに泣きたかった。でももう、泣き疲れていた。
母は、少し黙ったあと、不意にため息まじりに言った。
「それほどまでに、律子のことが好きなのね、圭祐さんは」
「……え? そういうことなの?」
「そうよ。好きすぎて不安になる男って、結構いるのよ。もちろん、やり方は良くないけど……でも、それだけ真剣だったのよ、律子との結婚に」
「でも――」
「律子、夫婦っていうのはね、いろんなことがあるわよ。いいことばかりじゃない。でもその都度、乗り越えていくものなの」
母の声は、やさしく、けれどどこか厳しくもあった。
それは「甘えないで、受け止めなさい」という、律子へのエールだった。
律子は静かに「……うん」とだけ答えた。