ペニンシュラの夜、独りの部屋で
ドアを閉めた瞬間、律子は背中から力が抜け、壁にもたれかかった。
ペニンシュラのスイートルームは豪華な絨毯と調度品に囲まれ、窓の向こうにはビクトリア・ハーバーの夜景が宝石のようにきらめいている。
だけど――そんな煌びやかさが、今はかえって虚しい。
律子はハイヒールを脱ぎ捨て、ソファに深く腰を下ろす。
視界がぼやける。あぁ、泣いているのだと、ようやく気づく。
「なんで、あんなことができるの…?」
ぽつりと、声が漏れた。
裏切られた、とは少し違う。信じていた「関係性」が、自分の知らぬところで別の形をしていた――そんな喪失感だった。
(私はあの時、笑って式を挙げた。でも、あの瞬間にもう、この人との間に“何か”が壊れてたんだ)
誰にも相談できなかった。誰にも言えなかった。
結婚式直前に見つけた盗聴器。
それでも「きっと、誤解だ」と思いたかった。
でも、今日の彼の態度は――誤解ですらなかった。
彼は疑いを、確信に変えるために動いていた。
それを恥じるどころか、「仕方なかった」と笑って済ませた。
「……私、何のためにここに来たんだろう」
香港が大好きだった。
この街を、愛していた。
でも、この旅はもう、記憶に刻まれた“愛しいもの”にはならない。
豪華なホテルも、煌びやかな夜景も、香港スイーツも、ぜんぶ空回りしている。
律子はベッドに入り、電気を消した。
圭祐が戻ってくる音を聞きたくなくて、眠ったふりをする。
本当は眠れないのに――ただ、暗闇の中で目を閉じた。