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大きすぎる鍋

作者: 冬木アルマ

 屋敷の中は薄暗く、陽の姿はわずかに映るのみ。そんな場所でずっと過ごしていると、余計な思考が次々と生み出されてしまう。やはり、動物たるもの、陽の光くらいは毎日浴びていたいものである。


「なぁ、そうは思わないか? 婿殿」


「はぁ……」


 はっきりしない返事をする婿殿に若干の苛立ちを覚えながらも、私は今日も枕の上に突っ伏していた。


神無(かんな)、そんな格好でいるとだらしない身体になりますよ?」


「ならば外に出してくれ。散歩したい」


「それはダメです。大鍋持ちの身分を自覚してください」


「むぅ。それならやはりこうしているしかないじゃないか」


「いつもの読書はどうしたんです?」


「気分じゃない。第一この村にある書物は全部読み尽くしてしまった。もう頭の中にへばりついてるよ」


 この村の主になって五年、私は軟禁状態の身になった。理由はしきたりだの私の身の安全だの村のためだの――――まあ色々ある。要は村の平和維持の人柱になったわけだ。

 村の連中の言ってることも理解できる。できるんだが……息苦しい。


「はぁ……憂鬱だぁ。こんな生活続けてたら早死するよぉ」


「致し方ありません。貴女は大鍋持ち、村の守り神なのですから」


「ただの人間だっつの私はぁ……ああ、声出すのも疲れる」


 五年もこんな生活を続けてきたのだ。以前は毎日山の中を駆け回っていたけど、今は全くできる気がしない。それどころか、走るのもキツイとさえ感じる。明らかに体力が低下してきているのだ。


「いいよね神室(かむろ)は。いろいろできて」


「なら代わりますか?」


「いいの!?」


「冗談です」


「ええ〜」


 つっまんね。冗談なのはわかってたけど、そこは本当に代わってほしかったよ。


「私も出たいなぁ、寄合(よりあい)


「楽しいものじゃないですよ。毎日罵詈雑言の嵐ですし」


「それがいいんじゃん。うちは荒くれ者ばかりなんだから、それくらい突っ張りがないと張り合いないって」


「……本当に半ば本気で代わってほしいよ、神無ちゃん」


 幸薄そうなため息を吐きながら項垂れる神室。気のせいか、年々老けが加速しているように思える。まあ、慣れないことをやってるんだから当然っちゃ当然か。


「キミはよくやっているよ、神室」


「神無ちゃん……」


「根暗で引きこもり気質なキミが、今や寄合の代表だ。実質この村を仕切ってると言ってもいい。その上で、こうして毎日私のところにも足を運んでくれる。本当に、キミはよくやっているよ」


 これくらいの言葉はかけてあげたい。私の思いも含めて、全て事実なんだから。


「ありがとう、神無ちゃん」


「どーいたしまして」


 朗らかな笑みを浮かべる神室に、わたしはちょっとドキッとした。神室は美形な優男だから、そういう柔らかい笑顔がよく似合う。そこが、すごく好ましい。


「てゆーか、昨今どうなんだい? うちの村」


 半分軟禁されている私には、神室以外に外界の情報を知る術がない。外に出ることはあるが、それで世界を把握するには回数が少なすぎる。所詮、私は村の置物なのである。


「まあ、一応平和だね。しばらく争いはない、と思う」


「濁るねえ」


「しょうがないよ。相手も同じ人間、気が変わることだってあるんだ……情勢だって」


 神室は顔を下に向け、目をスッと細める。


 物憂げな顔で沈黙する神室はとてもサマになっていて――――


 私はより、彼を気の毒に思うのだった。


 ☆☆☆


「んで、何で僕たちはここにいるんですかね?」


「んん?」


 私たちは今、村外れの小高い丘の上にいる。少しばかり気鬱そうな神室の気分転換と思い、なんやかんや言いくるめて外に出たのだが――――


「相変わらず良い景色だな」


「そうじゃなくて! 流されて外に出てきちゃいましたけども! 僕はともかく貴女はまずいでしょう!?」


「大丈夫大丈夫、今平和なんだろう?」


「とりあえず、ね!! どこで何が起こるか分からないのが世の常なのにこんな無防備な……!」


「門番の連中、物分りがよくてよかったな」


「よくねえ……!!」


 ここまで汚い言葉を口にしながら狼狽える神室は数年ぶりくらいだな。真面目くんが暴走するのはいつ見ても面白い。


「しっかし今日はのどかだなあ。おっ、ほら見ろ神室。松井の爺さんが田植えしてるぞ。あの人も元気だよなあ」


「寄合でも毎回僕に噛みついてくるくらいは元気……って違う、そうじゃなくて。話をそらさないでほしい」


「そういうつもりはなかったんだがな……今日も皆元気で良いことだ」


「そこは否定しないけど……もういいだろ、早く戻ろうよ」


「まあまあ、もう少し」


「はぁ……」


 ついに屈したのか、神室は諦めるように近くの木椅子に腰をおろした。私も、彼の隣に腰を下ろす。


 幼い時からずっと見てきたこの景色。私の世界を一望できる、とても大切な場所。四方を山に囲まれた少し閉塞的な土地だけど、私にとっては唯一無二の宝であり、命に替えても守りたい場所だ。


 だけど、私には――――


「松井の爺さん、今年でいくつになられたんだ?」


「八十九。最近腰の痛みがひどいって、この前の寄合で嘆いてた」


「そんな状態でもああして農作業してるのだからな。立派だよ」


 本心からそう思う。

 松井の爺さまは、私が生まれるずっと前からこの村を守ってきた長老の一人だ。愛想がないけど、村を想う気持ちは人一番強い。子供好きだから、私も小さい頃はよく可愛がられたし、色んなことを教わったりもした。よく神室と一緒に農作業を手伝ったりもしたな。


「婆さまは最近どうなんだ? 体調崩したとか言ってたけど、その後は?」


「……先月亡くなったよ」


 初耳だ。


「……聞いてないぞ」


「僕も知ったのはついこの前なんだ。村の皆に内緒で、こっそり葬儀してこっそり埋めたらしい」


「なんでそんなことを……」


「婆さまの遺言なんだってさ。ただ眠るだけなのに人の手は借りぬ、って」


「そうか……」


 松井の婆さまは、笑顔が素敵で背格好がコロン、とした可愛らしい人だった。

 いつもどこか遠くを見ているような、掴めない雰囲気を出している人だったが、穏和な性格で誰からも愛される人でもあった。


 彼女から直接教わったことは特にないが、私は彼女の在り方を密かに目標としていた。それほどに、私の理想的な人間像だったのだ。


 彼女がひっそり旅立っていったのにも納得できた。何となく、そうするんじゃないかと心の中で思っていたから。


「今振り返ると、美しい人だったな」


 神室も「そうだね」と、懐かしそうにしながらゆっくり頷いた。


「松井の爺さまも、いずれは死ぬのかな?」


「いずれはそうだろうね」


 縁起でもない私の質問に、神室は嫌な顔せず淡々と答える。


「周りの風景は変わらないのに、知らない世界になっていく」


「そんなものだよ、僕らの世界なんて。あそこの山々とは、生きてる時間が違うんだ」


「そうだけど。そうだけどさぁ」


 ため息をついて顔を下に向ける。


 私の知らないところで、馴染み深いものが消えていく。私の心が定まらないままに、時間は十年と簡単に過ぎていく。身体はいつの間にか大きくなり、周囲は私を勝手に祭り上げる。優しかった声音は、今やトゲのある鋭いものに変わった。泣き虫だった幼馴染は、私が戸惑っているうちに立派な大人になっていた。


 世界にただ一人、置き去りにされたような気分だ。


「神室、私達は大人なのかな?」


「へっ?」


 神室が目を丸くしてこっちを見てくる。まあ、そうなるよな。


「大人って……一応去年成人したね」


「いや、形式の問題じゃなくて心の問題。大人として生きていく上での覚悟〜、みたいな話」


「うーん……そうだなぁ」


 フワフワした私の疑問に、神室は真剣に考えてくれる。誰に対しても平等に接する彼の姿勢が、彼を代表たらしめているのだろう。


「私はね、神室。自分が大人になったとは思えないんだ」


「ほう」


「昔は可愛がってくれた皆が、今や会うたびに目も合わせてくれない。しきたりのせいなのは知ってるけど、やっぱり寂しい」


「皆の振る舞いの変化に、馴染めない?」


 見透かしたかのように言い当ててくる神室。少し穏やかな笑みを浮かべて私を見てくる時の彼は、ちょっぴり腹立たしいけど安心する。


「割り切れないから、大人じゃないのかな〜なんて思うの」


「ふ~ん……」


 爽やかな風がサァーッと吹いた。この時期の風はどこか心地よく、優れない気もいくらか回復する。神室も、気持ち良さそうに風を味わっていた。


「……松井の爺さまさ、毎回聞いてくるんだ。神無ちゃんのこと。飯ちゃんと食ってるかって」


「えっ?」


「松井の爺さまだけじゃない。栗田の兄さまも、和田のおじさまも、田中のおばさまも、皆神無ちゃんのことを気にかけてる」


「私が当主だから?」


「それもあるだろうけど、皆神無ちゃん個人のことが大好きだから気にしてくれるんだよ。何だかんだ、こうして外に出ても皆咎めないしね」


「えっ? 皆知ってるの? 私が時たま抜け出してるの」


「そりゃあね。神無ちゃん、コソコソするの苦手じゃん。バレバレ」


「うわ恥ずっ」


「ちゃんと、皆見てくれてるんだよ。僕たちのこと」


 そう言って、神室は再びはにかんだ。


「意外と、変わらないもんなんだよ」


「そういう、もんかなあ」


 そうだよ、と神室は強めに頷いた。

 それならば、そういうものかもしれない。


「それにさ、結構皆子どもっぽくない? 食べ物の好みとかで喧嘩したりするし」


「あ~まあ、確かにな。大人げないなって引いてたわ」


「でしょ?」


 ウシシシシシ、と今度はいたずらっ子のように笑う神室。昔から変わらない笑い方だ。


「なんか、ウダウダ考えてたのがバカらしくなってきた」


「それでこそ神無ちゃんだね」


「おい、私が阿呆みたいな言い方をするな」


 アハハハハ、と今度は互いに笑い合う。


 確かに、変化なんてそうそう起こるものじゃないかもしれない。


 人の世があまり変わらないように。

 眼前の山々が変わらないように。 



終わり


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