Mani che muovono il cuore. 心臓を動かす手 III
「……読んだと言っていました。生前は、お伽噺か何かだと思っていたと」
「最後まで読んだのかな」
ガエターノがつぶやく。
外套を脱ぐのかと思ったが、違うようだ。
すぐに退室するつもりなのか。
「われわれの先祖にあたるギレーヌという女性は、“悪魔” とされた種族の人だったのだが」
ガエターノがしずかな口調で語りはじめる。
「同族の心臓を破壊する能力ゆえに忌み嫌われ、けっきょく種族が移住したこちらの世界に住むことはなかった」
ガエターノが、窓の外の陰鬱な景色をながめる。
「われわれの世界に残り、コンティの先祖にあたる人物と一緒になった」
「……そこまでは兄に聞いています」
「そうか」とガエターノは返答した。
「だがギレーヌは覚書にこう書いている。“心臓を破壊するのではなく、動かす能力なのだ” と」
ランベルトは顔を上げた。
「 ”悪魔” とされた種族は、古来から心臓がとつぜん停止し若くして死にいたる者が多かったそうだ」
ガエターノがそう語る。
「ギレーヌは自身の能力について、“健康な心臓を攻撃する能力ではなく、停止した心臓に力を加えて蘇生させる能力なのだ” と主張していた」
「使い方が違うのだと……？」
ランベルトは眉をよせた。
「ギレーヌの主張によればだが」
ガエターノがゆっくりと腕を組む。
「個人的には理にかなっていると思っている。同族殺し以外に目的のなさそうな能力よりも、同族を治癒するヒーラー的な能力のほうが種族のなかに現れやすいような気がする」
ランベルトは無言で目を伏せた。
たしかに彼らにも創造主がいるとしたら、むざむざ自滅に追いこむような者を紛れこませるだろうかと思うが。
「こちらの種族は、ギレーヌのような心臓に影響する能力をもつ者をすべて迫害し追いやった」
ガエターノがそう続ける。
「心臓がとつぜん停止する病の解決法はいまもまだない。種族の数も減り、いまとなっては墓を管理するのもままならないらしい」
ガエターノは窓の外を見た。
以前この世界に来たときに、荒れ果てた墓地が広がる光景を見た気がする。
「ギレーヌが覚書に頻繁に書いていた “悪夢だ” という言葉は、同族のこういった未来を予想した言葉だよ」
ランベルトは、床に敷かれた絨毯をながめた。
こちらの世界でいう古い製法の絨毯に見える。
数百年まえまでは、この世界の住人はほんとうに同じ世界で共存していたのだと生々しく想像できる。
「……そのギレーヌの主張を信じるのであれば、彼女の子孫であるコンティの者もことごとく間違った能力の使い方をしていたことになりますが」
「そうだな」
ガエターノがそう返答する。
「彼女はそれを知っていたのですか。咎めはしなかったのですか？」
「そこまで記されてはいなかったが」
ガエターノが落ちついた口調で答える。
「いまでは、その能力をもつ者はおまえだけのようだよ、ランベルト」
ランベルトは眉をひそめた。
「どうする」
「どうするとは？」
言葉の意味に気づきつつも、ランベルトはわざとそう尋ねた。
まさかここに来て協力しろなどと言うつもりではあるまい。
「彼らは、おまえのその能力に期待してここに連れてきたのだと思う」
ガエターノは言った。
「まあ、ギレーヌの主張に懐疑的な者も多いようなので、彼らの一部の者というのが正確なところだが」
「何ですか、それは」
ランベルトは声音を落とした。
「同情して助けてやれと?! 彼らは屋敷の使用人をひどい方法で大勢死にいたらしめたのですよ?!」
怒りで目眩がしそうだ。
「兄まで……！」
そう叫んだところで、喉がつまった。
「……いまさらそんな話など知るわけがないでしょう」
ランベルトは言った。
ガエターノが、こちらをじっと見る。
自身がこの事態の引き金になったことについて、ほんとうのところはどう思っているのか。
平然としているように見えるこの叔父にも、ランベルトは怒りを感じていた。
「……彼らは私を人質にして、コンティを足がかりに元の世界にまた移り住むつもりなのだと兄は見ていましたが」
「そういうつもりの者もいる」
「……私が病の解決に協力すれば、どちらにしろそうなるのでは」
「そうだな。おそらくは」
ガエターノが答える。
何を冷静に答えているのか。ランベルトは怒りを覚えた。
血筋が近く、年齢もあまり変わらないこともあって親戚のなかでは親しくしていたつもりの叔父だったが、いつの間にこんな人間に成り下がっていたのか。
「彼らにお伝えください、叔父上。協力する気はいっさいないと」
声音を落としてランベルトは続けた。
「滅びろと」
兄パトリツィオが、ダニエラに同じセリフを言っていたのを思い出した。
霊として自分の元に現れたときには、兄はすでにこの結論を出していたのだ。
「そんな者たちに手を貸したあなたも愚かだ」
ガエターノは、しばらくこちらを見下ろしていた。
「……知っていることは伝えた」
コツコツと靴音を立てて、ドアのほうに向かう。
「おまえがコンティの次期当主として、どう結論をだそうが口だしする気はない」
「あなたに口だしする権利などない！」
ランベルトは声を荒らげた。
「私がどんな立場だろうがゆるさない！」
ガエターノがしずかにドアを開ける。
「コンティとしての結論に、私への配慮は不要だ。いないものとして考えてくれ」
