Grim reaper di rose. 薔薇の死神 I
静かになった室内。
アノニモが、おもむろに背中から離れる。
ランベルトはうしろを向きかけたが、顔を見てもよいものか迷った。
かたくなに素性をかくすのは、何か理由があるのだろうと思うようになっていた。
ここまで助けてくれたことを考えれば、自分とコンティに悪意を持っている者ではないだろう。
それでいいかと思う。
「フランチェスカは……大丈夫だろうか」
ランベルトはつぶやいた。
「いまのところは、この部屋の外では何が起こっているかすら分からないと思います」
アノニモが答える。
アノニモが離れるまぎわ、ハーブと焼き菓子のような香りがした。
この香りにほんとうに覚えがあるのだが。
だれの香りだったか。
カシャン、と軽い破裂音がした。
侍女たちの顔や身体につぎつぎとヒビが入り、弾けるように粉々になる。
「こちらのほうがフランチェスカに言いわけしづらいではないか」
アノニモが、床に散らばった陶器の破片をざっと足ではらう。
「フランチェスカ……」
ランベルトはつぶやいた。呼び方に何か引っかかる。
「フランチェスカ "殿" だ」
アノニモが敬称を強調する。
侍女たちが代わる代わる手にしていた白骨の鎌は、ベッドの上に放置されていた。
「あの薔薇が分身とは、どういうことだ」
「たぶん女王様の異体のひとつは黄色い薔薇だ」
アノニモが答える。
「まえに従者が鷲に姿を変えていただろう」
ああ……とランベルトはつぶやいた。
「べつの姿をいくつか持つのだったか」
ランベルトを守っていた二人の悪魔が、剣のかまえを解いた。
「われわれとはずいぶん違うように感じるが、ほんとうに共存していた時代があったのか?」
「異界で代を重ねるうちに、どんどん特性が離れていったのだろうな」
アノニモが言う。
「おまえはそういったことをどこで知った。先祖のギレーヌはすでに転生して会っていないと言っていたが」
「まえに少し話した、ギレーヌと夫が書いた覚書だ」
アノニモが答える。
ああ、とランベルトは応じた。
「ガエターノ叔父上がもっていったものか」
「あれを生前にも少し読んだことが。お伽噺ではなく、現実を書いたものだと知ったのは死後だが」
「何が書いてある」
ランベルトは問うた。
「すべてだな。“悪魔” とされる者たちがべつの種の人類であること、ギレーヌの時代から少しずつべつの世界へと移住して行ったこと、コンティの悪魔祓いの能力は、彼らと同じ血を引いているがゆえのものであること」
アノニモが腕を組む。
「彼らが移住した異界のこと、彼らの王族、貴族について」
アノニモは淡々と挙げた。
「 “悪魔” がいなくなれば、時流からいってもコンティは悪魔祓いをやめていくであろうが、コンティに遺恨をもつ彼らが、いつか何かを仕掛けてくる可能性もあると思ったのだろう」
ランベルトを守る悪魔のうちの一人が、ふとこちらを見た。
他意はないように見えたが、何気なくランベルトは目を合わせる。
「ガエターノ叔父上がその覚書をもって行ったのは? 偶然か?」
アノニモは無言だった。
これも答えたくないのだろうか。
ベッドのほうに行ったアノニモを、ランベルトは目で追った。
「なぜやつらが、七百年も経ってからちょっかいを出してこられたと思う」
アノニモが切り出す。
「もともと住んでいた世界とはいえ、七百年も経っていたら、やつらも何代も代替わりを経ている。こちらの勝手などほとんど分からん。こちらの世界にかつて居たということすら、じっさいはどのくらい伝え聞いていたのか」
女悪魔たちがアノニモに頭を垂れる。
三人ほどの女悪魔が立ち上がると、アノニモの仮面をつけていたあたりを気づかうように手をそえた。
どういう理由なのかは知らないが、仮面はまだ外れたままのようだ。
「コンティ側で、やつらを手引きした者がいる」
アノニモがこちらに背中を向けて告げる。
ランベルトは眉をよせた。
親戚の者の顔を思い出せるかぎり思い浮かべたが、これだと思える者はいない。
「だれだ」
アノニモが、向こうを向いたまま無言で腕を組む。
「……叔父上?」
ランベルトはそう口にしてみた。
いまのところ、この件にはっきりと関わっているのは叔父のガエターノくらいか。
試しに尋ねてみたが、まさかそんなわけはと思っていた。
アノニモが否定してくれるのを期待する。
「正解。ガエターノだ」
アノニモが答える。
屋敷での凄惨なさわぎが起こる少しまえ。訪ねてきていた叔父の様子を思い浮かべる。
とくに悪意を向けられているようには感じなかったが。
夕食を勧めたが、たしか一人娘のクラリーチェが待っていると言って帰って行った。




