La regina è una bambola? その女王は人形か I
ダニエラは上体を大きくひねると、骨細工のような鎌を横にふった。
低い風切り音が響く。
「鎌がなぜか似合うな、女王様」
アノニモは口の端を上げた。
「悪魔などより、死神と名乗ったほうがよいのでは」
「黙りや」
ダニエラがきつく眉をよせる。
「まずは散り散りになって消え失せろ、亡霊」
長い黒髪がばさりとなびく。
「ダニエラ殿!」
ランベルトは声を上げた。
「あなた方の事情は分かった。話し合い、べつの方法を模索できないのか」
「まえに言ったことを理解していないんですか、ランベルト。獲物の鳥やウサギと話し合い譲歩する人間がいますか?」
「だが」
ランベルトは食い下がった。
「婚姻を申しこんできた相手ということで、少しでも分かり合えるような気がしているんですか?」
アノニモは革靴の音をさせてふたたびダニエラに近づいた。
「ここではっきり言ったらどうだ、女王様」
アノニモはうつくしい顔を見下ろした。
「あの従者と恋仲だと」
「え……」
ランベルトは目を見開いた。
アノニモがこちらを向いてあきれたような顔をする。
「何をショックを受けているか」
「受けていない」
ランベルトは語気を強めて答えた。
「ほんとうか、ダニエラ殿」
ランベルトはベッドの端に腰かけた。
「ならばなぜ、こちらと強引に婚姻など」
「種族全体のために、好きでもない男のところに嫁ごうと決めた心根は立派だが」
アノニモが口を挟む。
「悪あがきはやめて、いさぎよく滅びたらどうだ」
「黙れ。いずれにしろ死者であるおまえに、生者のことなど関係ない」
ダニエラが赤い目で睨みつける。
「死者であっても契約というものは存在する。こちらには契約者を守る義務があるので」
アノニモが言う。
ダニエラは甲高い声で笑った。
「それは、戯れで言っているのか」
赤い唇の端を上げる。
「おまえのいう契約など、ランベルトのそばにいる理由を作るための適当なものではないか」
ランベルトはアノニモの顔を見上げた。
ほんとうかと聞こうとする。
だが、“悪魔” が精神からぐらつかせるのに長けた種族だとアノニモが言っていたのを思い出した。
「いや……」
ランベルトは口籠った。
「少しはおりこうさんになってきたようですね、ランベルト」
アノニモがそう言う。
「私のほうを信じていれば、少なくとも悪いようにはしない」
ランベルトは自身を庇う姿を見上げた。
だから、いったい誰なのだ。
べつの世界に連れこまれた自身を手間をかけてさがし、悪魔たちから守りずっとそばにいた。
素になったときの口調と、香りに覚えがある。
自分と同じようなダークブロンドの髪と悪魔使いの能力は、コンティの血筋の者に間違いないと思うのだが。
「アノニモ」
ランベルトは呼びかけた。
「何ですか? この非常時にくだらない質問はやめてくださいね」
アノニモが応じる。
なぜこう、こちらの考えを先読みしたようなことを言うのか。
自身をよく知っている人物なのか。
「私を信じて、指示にしたがってください」
アノニモは言った。
「逃げろと指示したら、私にはいっさいかまわず逃げてください」
部屋の空気が、濃くどろりとした感じに変化した気がした。
視界が赤く染まり、部屋中がぐらりと傾いたような錯覚を覚える。
脳の奥が、軽く平衡感覚を狂わされたような状態におちいった。
室内が絵画か何かのように実感のない景色に認識される。
「アノニモ」
自分の五感に自信が持てなくなるような感覚だ。
ランベルトは不安になりついアノニモの名を呼んだ。
「ほら、立って」
腕をつかまれて、ベッドから立たされる。
うなるような風切り音がした。
白い骨をよせあつめた鎌が、空中をすべるように迫るのが目に入る。
「アノニモ!」
アノニモは、ランベルトをつき飛ばすと後ずさり鎌をよけた。
「来い!」
アノニモが空間に向かい命令する。
空間がさらにグラリとゆれた。
数人の女悪魔たちがアノニモの盾になる位置に姿を現す。
髪をきれいに結い上げ、上流階級の婦人のような品のよいドレス。
洗練されたふんいきでほほえむ様子は、宮廷内の光景を見ているようだ。
「よいな」
アノニモは女悪魔たちに向かい、声を上げた。
「おまえたちの種族がどうあれ、忠義をしめすべき主人は私だ」
女悪魔たちは無言でうなずいた。
「女王を冥界にお連れしろ!」
女悪魔たちはいっせいに顔を上げ、ダニエラに赤い目を向けた。
ダニエラが迎え撃つように骨細工の鎌をかまえる。
「コンティの悪魔使い! この真の悪魔が!」
ダニエラは声を上げた。
勢いをつけて鎌をふり下ろす。アノニモが上体を反らして避けた。
鋭い風切り音とともに、空間に切れ目が入る。うなるような音を立て、切れ目に向かって凄まじい引力の風が吹いた。
切れ目の向こうから、噛み砕くような音が聞こえる。
霊を破壊する異空間かとランベルトは直感した。
アノニモがそちらを見る。
結わえたダークブロンドの髪が、空間の切れ目に引きずられるようになびいていた。
「ダニエラ殿!」
ランベルトは声を上げた。
ダニエラは、アノニモと睨み合ったままだ。
「やめてくれ! 目的は私のはずだ!」
アノニモの使役する女悪魔たちが、みずからの主人のまえに立ちふさがる。
それぞれに防御の魔力を使おうとしているとみられる体勢を取った。
「貴様ら! こんな男にたぶらかされおって!」
ダニエラが叫ぶ。
「いい男だからな」
アノニモは口の端を上げた。
「逃げろ、ランベルト」
こちらを庇う位置でアノニモが指示する。
「いや……おまえのほうが危ないのでは」
「私がやられたら、いずれにしろおまえの身が危ない」
アノニモが答える。
「コンティを頼む」
小さな声で、そう続けたように聞こえた。
ランベルトの両脇に、従者姿の若者が現れ膝をつく。
アノニモが使役する悪魔だ。
従者姿の悪魔たちはスッと立ち上がると、ランベルトを部屋の出入口にうながした。
「命に代えてもランベルトを護れ」
向こうを向いたままアノニモが命令する。
悪魔二人が無言でうなずいた。
「アノニモ」
ランベルトは、将校服の背中に呼びかけた。
「なぜそこまでしてくれる」
アノニモは、ダニエラと睨み合っていた。
「アノニモ」
「うるさい」
アノニモがそう答える。
「ともかくおまえは生き延びろ」
ダニエラがフッと笑い、赤い唇の端を上げた。
「ランベルトまで殺すわけがなかろう。われらの大事な道具だ」
「滅亡するご予定の種族は黙っていてもらおう」
アノニモは言った。
「黙りゃ。まずその仮面から剥ぎとってやるわ!」
ダニエラが両手で持った鎌を右下から左上へと大きくふる。
アノニモの使役する女悪魔たちが、いっせいに防御した。
ドレスに衝撃波があたり、そこからゆがんだ空間が細く立ち昇り消える。
「冥界に通じる能力をもつ者たちで固めたか」
ダニエラがつぶやく。
「こざかしい!」
「どういうわけか、冥界に関する能力が強いのは女に多い。どちらの種族もそれは同じらしいですな」
アノニモは唇の端を上げた。
「彼女らなら冥界の奥へもつれて行けるので、いろいろと世話をしてもらっていますよ、女王様」
「いやらしい」
ダニエラが眉間にしわをよせる。
「わが種族の女を、愛妾かなにかのように!」
「そこまでは言っていないだろう、女王様。何を想像している」
アノニモは肩をすくめた。




