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コシュマール 〜薔薇の心臓〜  作者: 路明(ロア)
Episodio dieci あなたの香りがする

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Profumo di te. あなたの香りがする II

「ポンタッシェーヴェのガエターノ殿ですが」

 アノニモが切りだす。

「叔父上がどうかしたか」

 ランベルトは答えた。

 アノニモがじっとこちらを見ている。言葉を選んでいるように見えた。


「令嬢がお一人いるとか」

「クラリーチェか?」


「お会いしたことは」

 アノニモが問う。

「幼少のころはなんども。さいきんは会っていない」

 ランベルトはふたたび天井を見上げた。

「ポンタッシェーヴェの屋敷をたずねてもガエターノ叔父上しかお会いできないというか」

「無理に会いたいと言っても?」

 アノニモが問う。

「いや……」

 ランベルトは軽く眉をよせた。

「そういうことではなく、たまたま毎回カゼぎみなのだとか、どこかへ出かけているのだとか」

「ほう……」

 アノニモが窓の外を見る。

「ガエターノ叔父上が何か?」

「わりと早い時期に奥方をもらったはずですが」

「ああ……」

 ランベルトは天井の模様をながめつつ記憶をさぐった。

「十五のころだ。歳の近い方がロドリーニ家にいらしたので」

 アノニモは黙って外を見ていた。

「いまにして思えば、兄が亡くなったあとはガエターノ叔父上が跡継ぎになるのが正当だったのだろうと思うが」

「ガエターノ殿は固辞(こじ)したんですよ」

 アノニモが答える。

「跡を継ぐ気はないと親族のまえで(かたく)なに言ったんです」

「そんなことが」

「あなたはまだ大人といえる年齢ではなかったので、話にすら混ぜてもらえなかったのでしょうが」

「そんな話し合いがあったことすら知らなかったな……」

 ランベルトはつぶやいた。

「そうですか」

 アノニモが指先で仮面をおさえる。


「そしてのちにガエターノ殿は、一人娘とポンタッシェーヴェの屋敷に(こも)ってしまったというわけですか」


「というか、そんなことまで調べたのか」

「大事な契約者に関する情報ですから」

 アノニモが言う。

 ランベルトはため息をついた。

「まあそうだな。ここ数年は籠ってしまったという言葉が適切だ。親戚を避けているというか」

「屋敷の書斎にあった本を、まえに何冊か持ち帰っているようですが」

「ああ」

 ランベルトは天井を見つめた。

「借りていくと言っていた。もともと父とは話しにくいようで、私と執事に断っていったが」

「何の本かは」

「よく見なかったな。古い装丁(そうてい)だったようだが」

「そうですか」

 アノニモはゆるく腕を組んだ。

 遠くのほうを眺めているようだ。

 何を見ているのかとランベルトは思った。生前に見慣れていた景色でも見えるのか。

「本が何か」

 ランベルトは尋ねた。


「たぶん冒頭に “C'est un(セ タン ) cauchemarコシュマール” と走り書きされたものを持っていったのではないかと」


「外国語か?」

「フランス語です」

 アノニモが答える。

「本というより、覚書(おぼえがき)の写しですね」

「覚書」

 ランベルトは、ふたたび天井をながめた。

「中身もフランス語か?」

「おもに古フランス語ですね。初期のいくらかのページはガリア語ですが」

「フランス語は苦手だ。書いてあっても発音しない子音があるとか、意味が分からない」

 ランベルトは顔をしかめた。

「発音する分には面倒かもしれませんが、読む分にはまあ家庭教師に教わってはいるでしょう?」

 アノニモが肩をゆらして笑う。

「何ヵ所かラテン語で書かれている補足があるのですが、後世のコンティ家の人間が書き加えたものかと」

「記したのはだれだ」


「ガリア語の部分を書いたのは、先祖のギレーヌとその夫。古フランス語の部分は、その後の悪魔祓いをしていた時代のコンティの人間です」


 アノニモが説明する。

「冒頭の走り書きは、ギレーヌが頻繁(ひんぱん)に書いていた言葉をのちの時代に訳したものかと。“悪夢だ” という意味ですが」

「内容は? おまえは読んだのか?」

「ええ」

 おだやかな口調でアノニモが答える。

「死んで間もないころに」

 ランベルトは無言でアノニモの姿を見つめた。

 死を体験している人間なのだという事実を突きつけられるたび、どう対応していいのか分からなくなる。

「やはりおまえは、生前コンティと関係していた者なのか?」

「何回聞いているんです」

 アノニモが肩をすくめる。

「いや、そもそもそれが解決していない」

「兄上様を嫌っていたりするから解決しないんです」

「何の関係が」

 ランベルトは眉をよせた。

「どうにもおまえは、私が兄を嫌っていたことにしたいらしいな。兄にも怨みか何かあるのか?」

 ランベルトは語気を強めた。

 アノニモが顔をそらすように窓の外を見る。


「というか、兄を生前知っていたのか……?」


 アノニモが黙ってこちらを向く。

 しばらくすると、おかしそうに吹きだした。そのまま肩をゆらして笑う。

「なっ、何だ」

「いえ……」

 そう言い笑いつづける。

「何なんだ、おまえは」

 よく分からんやつだとながめているうち、ランベルトは軽く目眩(めまい)を覚えた。

 様子の変化に気づいたのか、アノニモが笑うのをやめる。

 美女の悪魔のほうを見て(あご)をしゃくった。

「いや……いい」

 ベッドに近づいた美女に、ランベルトはそう告げた。

「いいではないです」

 アノニモがベッドに歩みよる。

「彼女にも好き嫌いというものがあるだろう」

「ただの治療行為です。何を考えているんです」

 アノニモがもういちど美女に指示する。

 美女がうなずき、ランベルトの頬に手をあてた。

「いや」

 ランベルトは軽く顔をふり、美女の手を避けようとした。

 アノニモがベッドに身を乗りだし、両腕でランベルトの首と頭とをガッチリと固定する。

「やれ」

 そう美女に命じる。

「おいっ!」

 ゆっくりと唇が押しあてられた。 

 (にが)い気のようなものが、体内から美女の唇のほうに移動する。

 たしかに甘い接吻というのとは違うが、薄目を開けるときれいでやわらかな頬が間近にあるのだ。

 やはり照れる。


「ランベルト」


 ドアをノックする音がした。

 フランチェスカの声だ。

 口づけされながら、ランベルトは目を見開いた。

「ランベルト、着替えを持ってきたのだけれど」

「どうぞ」

 アノニモが応える。

 ランベルトは唇をとらえられたまま、首を横にふった。

 アノニモにヘッドロックをかけられたままなので、その首すらあまり動かない。

「べつにいいではありませんか。恋人が会いにきたとでもいえば」

 ランベルトは(うめ)いて首をふった。

 夜おそくに駆けこんで泊めてもらった家にさっそく恋人を呼びつけるなど、婦人が見たら眉をひそめるではないか。

「べつに恋人がいると思われてもいいでしょう」

 アノニモが言う。


「それとも何ですか? フランチェスカ殿にそう思われては、嫌な理由でも?」


 なぜそこで怖い声色になるのだ。

 ランベルトは困惑した。





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