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コシュマール 〜薔薇の心臓〜  作者: 路明(ロア)
Episodio dieci あなたの香りがする

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Profumo di te. あなたの香りがする I

 唇にやわらかな感触を覚えて、ランベルトは目を覚ました。

 顔の上に(かぶ)さった何かがおもむろに離れる。

 清楚な感じの美女だ。

 まなじりのきつめな赤黒い瞳。長い金髪が、パフスリーブにからむように波打っている。

「きみは……?」

 少々とまどいながらランベルトは尋ねた。

 ゆうべは、フランチェスカの屋敷に泊まったはず。

 ベッドは寝るまえに見た客間のものに間違いない。


「こら」


 聞き覚えのある声がした。

 美女がゆっくりとベッドから離れる。

 窓ぎわに白い将校服の男性が立っていた。

 逆光で顔がよく見えず、ランベルトは目を細めた。この陽光の明るさだと、夜が明けてだいぶ経っていそうだ。

 男性はこちらに近づくと、身体をかがませた。


「接吻の最中に目を開けるとは、行儀の悪い」


 目の部分だけを隠したマスカレードマスクのような仮面、うしろで結わえたダークブロンドの髪。

 アノニモだった。

「一晩中いたのか」

 ランベルトは身体を起こした。

「いえ。仕事をいくつかこなすためにしばらく離れましたが」

「仕事」

「とりあえず、ダニエラ女王さまとの婚姻は解消という流れになると思います」

 アノニモがそう告げる。

「話をつけに行ったのか?」

「まあ」

「おまえが?」

「仲よく密着して耳元でささやいたら、撤退してくださいました」

 アノニモがそう言い、かがめていた身体を起こす。

「……ダニエラ殿に何を」

 ついいかがわしい想像をしてしまう。

「体調が回復したら、ポンタッシェーヴェに行きますよ」

 アノニモがふたたび窓ぎわに立つ。

「体調は大丈夫だ。ゆうべ食事もしたし、一眠りしたし」

 ランベルトは起き上がろうとした。

 とたんにくらりと目眩(めまい)がして掛布に手をつく。

「……え」

 強烈な眠気のようなものが、一定の間隔で押しよせた。

「まだ毒が吸いだしきれていないんです」

「毒……」

 ランベルトは(ひたい)に手を当てた。

「屋敷を抜けだすまでの間にも私室と厨房の薔薇(ばら)に接触していますから」

 アノニモが言う。

 先ほどの美女と目が合う。

 まえにも使役している者に毒を吸いださせたと言っていた。あの者だろうか。

 ランベルトは思わず唇に指先をあてた。

「べつの者がよかったですか?」

「え、いや」

「何なら一晩お貸しいたしますが」

 ランベルトは困惑してアノニモの顔を見た。

「看護にですよ?」

 アノニモが唇の端を上げる。

「私が使役している者なんですから、おかしなところは触らないように」

 そう言うとアノニモは、自身の手袋を直した。


「少し話をしても大丈夫ですか? 寝ながらでけっこうですので」


 アノニモがそう切りだした。

 先ほどの美女に向けて(あご)をしゃくる。

 美女は品のある仕草でランベルトに近づくと、両肩をそっと押して寝かせ、肩まで毛布をかけた。

「まずは、すぐに済みそうな知らせから」

 アノニモが言う。

「コンティ家の執事は無事です」

「え……」

 ランベルトは起き上がろうとした。

 ふたたびクラリと目眩がする。

 美女の悪魔が両肩を押し、もと通り寝かせられた。

「寝ていろ。バカ者が」

 アノニモが強い口調で言う。

 話し方の急な変わりように、ランベルトは目を丸くした。

 ついじっとアノニモを見る。

「……いえ」

 アノニモが指先で仮面をおさえる。

「寝ていてください」

「ああ……」

 不可解さを覚えながらも、ランベルトはそう返事をした。

「いまの口調、死んだ兄に似ていた」

「ほう」

 アノニモが横を向く。

「大嫌いな兄上さまに」

「だから嫌ってなどいない」

 ランベルトは眉をよせた。

「まえにもそう言っていたな。そこだけはどう調べたのか疑問だ」

 アノニモは、顔を逸らすようにして窓の外を見た。

「べつに嫌ってはいない。歳が離れていた上に完璧な人だったので、近よりがたい感はあったが」

 アノニモは黙っていた。

 じっと窓の外を見ている。


「兄は、いっしょにいるときは食事をすすめるか「寝ていろ」と言うか、だいたいどちらかだったんだ。だから先ほどは似ていた気がした」


 ランベルトは天井を見上げた。

「よく分からんが、小さい子供の健康管理といえば、食べさせるか寝かせるかしか思いつかん人だったのだろう。跡継ぎとして必要なこと以外は、あんがい(うと)い人だったのかもしれん」

 アノニモは、相変わらず顔を逸らすようにして外を見ている。

 兄の話を振るわりに、興味はないのだろうかとランベルトは思った。


「私は、兄といるときは寝たふりをしていることも多かった」


 アノニモが、不意に(のど)をつまらせるように咳払いする。

「子供なりに兄を立ててやりたかった」

 ランベルトは言った。

「それで……」

 天井に視線をもどして、ランベルトは眉をよせた。

「……そういえば何の話だったかな」

「執事どのの話にもどしてよろしいですか」

 アノニモが言う。

「ああ、そうだった」

「お父上の部屋に立て(こも)っていらしたので、少々つかれているご様子でしたが、無事です」

「そうか」

 ランベルトはホッと息をついた。

「あの歳では、逃げるのはムリかと思っていた」

「言ったではないですか。あの人は若いころ(やり)の名手だったと」

 アノニモはこちらを向き、窓の縦枠に背をあずけた。

「ああ、自慢話をしていたと……」

 そう言いかけて、ランベルトは眉をよせた。

 だれから聞いた話だったか。

「おまえが言ったのだったか。執事が槍の腕の自慢をしていたと」

 ランベルトは枕の上で頭を動かし、アノニモのほうを見た。

「うちの執事と話したことが?」

「つぎの知らせです」

 アノニモは言った。

 またはぐらかしたのかとランベルトは眉をひそめた。

「非常に残念なお知らせです」

 アノニモがもういちど窓の外を見る。

 ランベルトは頬を緊張させた。

「お父上もご無事です」

 アノニモはそう言うと、イヤそうにため息をついた。

「なぜそれが残念なんだ。ケガでも?」

「いえ。無傷でやすらかに爆睡していらっしゃいました」

「おまえは、うちの父に何か怨みでもあるのか」

「あそこまで無能だと、怨みたくもなりますねえ」

 アノニモが吐き捨てる。

「他人に、親の有能無能をとやかくいわれる筋合いはない」

「つぎの話です」

 何事もなかったかのようにアノニモは続けた。





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