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コシュマール 〜薔薇の心臓〜  作者: 路明(ロア)
Episodio dieci あなたの香りがする

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Camera con guerriero. 戦士のいる部屋 II

 パトリツィオはベッドに向かった。

 天蓋(てんがい)から垂れた布を雑にまくり、大の字になって寝る父の姿を見下ろす。

 酒の匂いをさせて、いびきを立てている。

 こんな生活を続けているのは、一ヵ月ほどだったか。

 生前見ていたときよりとうぜん老けていたが、腹が出てきているのはこの生活の影響もあるのだろう。

「この人は、相変わらずこうか」

「相変わらずでございます」

 執事が答える。

「これを盾にして、おまえも逃げて良かったぞ」

「ご冗談を」

 執事が笑う。

「本気で言っている」

 パトリツィオはそう返した。

「両親そろって跡継ぎ息子も守れんとは」

 いびきが大きくなった。

 女の名前らしき寝言を言いはじめたのを見て、パトリツィオは小さく舌打ちした。


「ランベルトの婚姻の話は、もちろん無効だろうな」


 パトリツィオは、執事のほうに向き直った。

「贈りものの礼を伝えるためにバルロッティ家に送っていた者が、屋敷がどこにあったか急に分からなくなったといって帰ってまいりまして」

 執事は答えた。ため息を吐く。

「お屋敷があったはずの場所が、大きな沼地になっていたとか。そもそもその場所だったかも記憶が曖昧(あいまい)になったのだと」

「撤収したのかな」

 パトリツィオは肩をゆらしてククッと笑った。

「まあいい。何なら私が当主の名代として婚姻の正式な断りを入れてもいい」

「あなたがですか」

 執事は眉をひそめた。

「相手のダニエラ嬢とは、先ほど懇意になったばかりだ」

「ほう?」

 執事はパトリツィオの顔を見上げた。 

「つけている香りはクラシック・ローズ、下着は絹、首のつけ根に小さな(ほくろ)がある」

 執事は無言でパトリツィオを見つめた。

 困惑した表情だ。

「いったいご令嬢に何を……」

「母はどうしている」

 執事の言葉をさえぎってパトリツィオは尋ねた。

「ランベルト様から、お聞きになってはおりませんか」

「気が触れて田舎で療養中とだけ」

「そのままでございます」

 執事は言った。

「そのままか」

 パトリツィオはベッドから離れた。

 窓ぎわに行き、閉めっぱなしのカーテンを少しだけ開ける。

「街は相変わらずだな」

 そう執事に語りかけた。

「十五年くらいならさほど変わりはしないでしょう」

「書斎の本は、ほんの少し変わっていた」

「そうでしたか」

 執事が答える。記憶をさぐるように目線を動かした。

「いつだったか、ポンタッシェーヴェのガエターノ様が何冊か借りたいとおっしゃって持ち帰られましたが」

「ほう」

 パトリツィオは口の端を上げた。

「あれは、たしか娘がいたな」

「クラリーチェ様ですね。お会いしたことは」

「生まれたのは、私が死ぬ一年ほどまえだったか。直接会ったことはない」

「そうでしたか」

 執事が返す。

「どんな娘だ」

「明るくて可愛らしい方ですが、ガエターノ様が輿入れの話をいっさいしたがらないのが少々親戚内で問題といえば問題に」

 パトリツィオは、無言で窓の外を見ていた。

「ガエターノの奥方は」

「だいぶ以前に亡くなられております」

 パトリツィオは、カーテンを閉めた。

 隙間から射しこんでいた昼間の陽光が、ふたたび遮られて部屋がうす暗くなる。

「カーテンを閉めていたのは、父の居場所を知られるのを警戒してか?」

「ええ。まあ、さほど意味はなかったかもしれませんが」

「警戒を解いてよいか判断がまだつかんのだが、とりあえず食事してやすめ」

 パトリツィオはそう告げた。

「ええ……」

 執事が厨房の方向を見やり苦笑する。

「ずっとここにこもっておりましたからな。旦那さまが持ちこませていたワインと果物を食事代わりに拝借して」

「厨房はあの薔薇があった。しばらく行かないほうがいい」

「どういうわけで」

「一輪だけくすねて厨房係のだれかに贈った者がいたのだろうと。推測だが」

 執事はうつむいて手を組んだ。

「まあ……気持ちは分かりますが。けしからんですが」

 ため息をつく。

「今回犠牲になった者のなかには、そんな者もいたんでしょうなあ」

「ランベルトと同じことを言うな」

 パトリツィオはそう返した。

「それで、ランベルト様はいまどちらに」

「フランチェスカのところだ」

 執事は顔を上げる。

「何というか……よく行かれましたな」

「成り行きだ」

 コツコツと靴音をさせ、パトリツィオはドアのほうに向かった。

「ランベルトに言っておけ。人の元許嫁(いいなずけ)を頼りにするくらいなら、逢いびきの相手くらい作っておけと」

「それをお伝えしたら、あなたの素性がランベルト様にバレますが」

 パトリツィオはチッと舌打ちした。

「ランベルト様は、このあとは」

「ポンタッシェーヴェに行くことになるのかな。いまのところは、あれが能力を持っているという見立てが正しいのを祈るしかない」

 パトリツィオは言った。

「しかし相変わらず押しの弱いやつだ。子供のころのあのまま育てたのか」

「あなた様にくらべたら、たいていの人間が押しが弱いことになるのでは」

 執事が言う。

 パトリツィオはわずかに眉をよせた。

「ああ、それで」

 パトリツィオは手袋を直しながら言う。

「ポンタッシェーヴェのガエターノだが」

 執事は、パトリツィオの顔をじっと見た。

 生まれたときからパトリツィオを見てきたこの執事は、わずかな口調の変化の意味を読みとったようだった。


「それは、どちらのお方で」 

「そう。あれのことは、(こと)が解決するまで忘れたほうがいい」





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