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コシュマール 〜薔薇の心臓〜  作者: 路明(ロア)
Episodio otto リンゴはどうすればパイになる

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Casa della signora. 貴婦人の家

 城壁の門番に少々の心づけを手渡し、門を開けさせる。

 ランベルトは城門からのびた細い道を進んだ。

 松明(たいまつ)をもった悪魔は、門番とのやり取りのあいだは姿を消していたが門をぬけるとふたたび道の先に姿を現した。

「城壁の外の方だったんですか」

 アノニモが問う。

「だから迷っていたんだ」

「心づけを渡せば通れることも知らないなんて」

 うしろでアノニモがクスクスと笑う。

「あんな不正ははじめてだ」

「あれくらいで不正とは」

 踏み固められた土を(ひづめ)がたたく。

 月明かりで照らされた道の先に、なだらかに連なる丘のシルエットが広がっていた。

「すぐ近くですか?」

「バーニョ・ア・リポリだ」

 ああ、とアノニモが背後で返す。

 城壁をぬけてすぐ目のまえの村だ。

 この村から城壁内に農作物を売りにくる者は多くいる。

 村の入口を通り、オリーブ畑のなかにできた小道をしばらく進んだ。

 点在する村の家を横目に見ながら、やや高台になっている場所に建つこぢんまりとした屋敷にたどりつく。

 正門のまえでランベルトは馬を止めた。

「だれかいるか!」

 なかに向かい、声を上げる。

 しばらくして門番らしき男が駆けつけた。

「夜分にすまない。ランベルト・コンティがきたと主人(あるじ)に伝えてくれ」

 不審げに見上げていた門番が、「はっ」と背筋を伸ばして奥のほうへと走っていく。

 ランベルトは、アノニモのほうをふり向いた。 

「おまえは、他人に見えているものとしてあつかっていいのか?」

「そういうことでどうぞ。屋敷の主人には、従者とでも説明してくだされば」

 アノニモが馬から降りる。

「そうか」

 ランベルトはそう返した。

 だいぶ待たされる。

 伝わっていないのだろうかと不安になり、ランベルトは屋敷のほうをながめた。

 やがて、小さな灯りがこちらに向かってくるのが見える。

 女中のもつ手燭(てしょく)の灯りだと気づいた。


「ランベルト」


 肩にショールをかけた三十歳すぎの女性が、女中をともない品良くこちらに歩みよる。

 明るい栗色の髪を結い上げた、優しげな顔。

 こちらを心配するように、戸惑った表情を浮かべていた。

 門が開けられる。

「フランチェスカ、夜おそくに申し訳ない」

 ランベルトは馬から降り、そう告げた。

 アノニモのほうをふり向く。


「フランチェスカ・カレリ殿だ。私の亡くなった兄の許嫁(いいなずけ)だった」


 アノニモは、なぜか呆然とした様子でフランチェスカを見ていた。

「どうした?」

 声をかけると、われに返ったようにこちらを見る。

「いえ……」

「わざわざ出むかえなくても。使用人をよこしてくれればよかったのに」

 ランベルトは馬を引きながら苦笑いした。

「どうしたの? お屋敷でなにか」

「いや……ちょっと」

 ランベルトは眉をよせた。

「すまんが何も聞かず、朝まで休ませてほしい」

「お屋敷の方は知って……」

 フランチェスカはアノニモのほうを見た。

 ショールを片手で押さえて、当惑したような顔をする。

「こちらは……」

「ああ、従者で」

 フランチェスカは、アノニモをじっと見つめた。

「申し訳ありませんが」

 アノニモがうつむいて仮面をおさえる。

「主人は非常につかれておりまして」

 フランチェスカは戸惑った表情でもういちどランベルトを見ると、ショールを両手で直した。

「お部屋を用意させるわ」

 そう言い、女中のほうをふり向いた。

「食堂広間にお通しして」

 こちらへ、と女中が手で促した。




 まえを歩く女中の手燭(てしょく)の灯りに導かれ、絨毯(じゅうたん)の敷かれた廊下を歩く。

 コンティの屋敷にくらべれば、非常にこぢんまりとした屋敷だ。

 廊下に差しかかると、すぐ先のほうに食堂広間の灯りが漏れていた。

 急いで準備させてしまったのかと思うと、やはり申し訳ない。

 アノニモの使役する厳つい(なり)の悪魔は、いつの間にか姿を消していた。


「フランチェスカ殿は、私の兄パトリツィオの許嫁(いいなずけ)だったのだが」


 声音をおさえ、ランベルトはそう説明した。

「婚姻まえに兄が亡くなったので、べつの家に嫁がれた」

 アノニモは、返事もなくうしろをついてきていた。

「許嫁とはいえ兄とは幼少のころから仲がよかったので、私も本当の弟のように良くしてもらった」

 廊下の一角にある窓から、ランベルトは月明かりに照らされた外の様子を見た。

 オリーブ畑の茂った葉が、シルエットになって丘陵地をおおっている。

「二年まえに未亡人になられて、いまはここにおひとりで住まわれている」

「……ご迷惑では」

 アノニモがぽそりと言う。

「甘えさせてもらおうと言ったのは、おまえだろう?」

 ランベルトは眉をひそめた。

「こちらへ」

 手燭を持った女中が、食堂広間のなかへと案内する。

 あまり広くはない室内。

 灯されたロウソクは長テーブルの周辺しか照らしていなかったが、女性好みのやわらかい色彩の内装であろうことは見当がつく。

 フランチェスカが手ずから紅茶の用意をしていた。

 流線形の優美なデザインのカップだ。

「客室の用意をしているあいだ、よかったら」

 フランチェスカが、ゆっくりとアノニモのほうに顔を向ける。

「従者の方も」

 アノニモは黙っていた。

 フランチェスカは気にした様子もなく、優雅な手つきで紅茶を淹れ改めて席をすすめる。

 ランベルトは、席に着こうとアノニモに目で告げた。

「従者の方、お名前を聞いてよろしい?」

 フランチェスカが言う。

「名は……」

 ランベルトはそう言いかけて、背後のアノニモを見た。

 名は無し(アノニモ)などと紹介してよいのだろうか。

「このさいだ、名を」

 ランベルトは小声でアノニモに告げた。

 アノニモがうつむいて仮面をおさえる。


「名前で呼ばなくてけっこう。「従者」と呼んでくだされば用は足りるでしょう」


「では従者どのでよろしい?」

 フランチェスカが微笑する。

 アノニモは答えず、そわそわと腕を組んだ。

 あまりにそっけないアノニモの態度に、ランベルトは困惑した。

 女性にはもっと愛想がよいのかと思っていた。


「フランチェスカ殿」


 アノニモがあさってのほうを見ながら言う。

「主人にリゾットのようなものを用意してやってくれませんか」

「リゾット……でいいの? ランベルト」

 フランチェスカが問う。

「もう少し食べごたえのあるものを用意するわよ。骨付き焼肉(ビステッカ)とか」

 うっと小さくうめいて、ランベルトは指先で口をおさえた。

 その反応にフランチェスカが戸惑う。

骨付き焼肉(ビステッカ)、好きだったのではなかった?」 

 おろおろとショールを直す。

 何だろう。

 これと同じやり取りを、ついさっきしたなとランベルトは思った。

「いや……一眠りさせてもらえるだけで」

 ランベルトは軽く手をふった。

「主人は、三日も食べていないので」

「三日?!」

 フランチェスカが、アノニモの顔を見て声を上げる。

「いや……先ほどリンゴを食べた。大丈夫」

「とうぶんここでお世話になっていてください、ランベルト様」

 アノニモが言う。

「フランチェスカ殿、滞在にかかる費用はコンティ家に請求してくださってけっこうですので」

「いえ……そんなことは」

 フランチェスカが答える。

「あの……ほんとうにお屋敷でなにか」

「いや、何でもないんだ」

 ランベルトはそう答えて、アノニモを横目で見た。

「勝手に決めるな」

「ご自分がお世話になった分の費用も支払えないんですか?」

 アノニモがいつもの調子で返答する。

「そこではない。迷惑だと言ったり滞在しろと言ったり、何なんだ」

「冷静に考えたら、当面はいちばん安全な場所かと思いまして」

 先ほどまでは冷静ではなかったのかとランベルトは頭のなかで突っこんだ。

「ランベルト」

 フランチェスカが軽く耳打ちするような仕草をする。

「パトリツィオによく似ていらっしゃるのね、従者の方。仕草とか話し方とか」

「え……」

「そこが気に入って召し抱えたのかと思ったわ」

「いや……」

 ランベルトは困惑した。

「兄の仕草なんて、あまり覚えていないな。接していることも少なかったし」

 似ているのか。へえ、とランベルトは思った。

 紅茶の香りがただよう。

「冷めないうちに」

 フランチェスカが紅茶のカップを手で指し示した。





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