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コシュマール 〜薔薇の心臓〜  作者: 路明(ロア)
Episodio otto リンゴはどうすればパイになる

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Una singola rosa. 一輪の薔薇 II

「とりあえず食べられるものをさがしてから考えましょう」

 アノニモが死体の間をスタスタと進み、厨房の奥へと向かう。

「ここで食べられるものなんて」

 ランベルトはアノニモのうしろ姿を目で追った。

 炉辺で(うず)をまいて燃える炎に照らされ、白い将校服がオレンジ色に染まる。

 しばらくながめてから、影がないのに気づいた。

 本当に霊なのだといまごろになって思う。

 不意にアノニモが立ち止まり、厨房の奥を見つめた。

「ランベルト」

 アノニモがいきおいよくふり向く。


「伏せろ!」


 え、とランベルトは固まった。

 目のまえに倒れていた中年の男性の死体が起き上がり、骨切り包丁を手に大きく振りかぶる。

「なん……?!」

 ランベルトは、とっさに身をかがませた。

 背後の壁に骨切り包丁がぶつかり、ガツ、と音を立てる。

 走りよったアノニモが、こちらに背中を向け立ちふさがった。

「ようやく武器が変わった」

 アノニモがつぶやく。

「ぜったいにどこかで話を聞いていますね、あの女」

「単にここには包丁しかないからでは」

 アノニモの背中に(かば)われながら、ランベルトはそう返した。

「ためしてみますか?」

「何を」

「悪口でも言えば、本人かあの従者がくるかもしれない」

 ふたたび振り下ろされた腕を、アノニモが受け止める。

 先ほどの女中の腕とは違い、たくましく太い腕だ。

 アノニモは、くっと小さく呻いて押しもどした。

「大丈夫か?」

「育ちがよいもので力くらべはあまり」

 アノニモが含み笑いをする。

「生前は、マスケット銃より重いものをもったことがなくて」

「……充分では」

 ランベルトは困惑してそう返した。

 のっそりとした動きで炉辺からこちらに向かう大男の悪魔を呼び止める。

「おどかす程度でいい。火を放ってくれ」

「それは、私の命令しか聞きませんよ」

 男の死体が、上体を反らせていきおいよく骨切り包丁を振り下ろす。

 アノニモが包丁を避けた。


「火を放て!」


 大男の悪魔が、両腕から螺旋(らせん)を描く炎を放ち死体を炎上させる。

 暗いオレンジ色の火柱が、天井まで上がった。

「ほかの死体も。残らずだ」

 つづけてアノニモが命じる。

「ほかのもか?」

「ほかのもです」

 アノニモが答える。

「いや……ほかのは動いていないし、よいのでは」

「まだそういうことを」

 中年男性の死体が、くすぶりボロボロとくずれ落ちる。

 焦げくさい匂いがただよい、炭になった人体の欠片(かけら)が床に散らばる。

「あの薔薇(ばら)を目のまえに置いていたんですよ? 薔薇に仕込まれた毒を吸っているはず」

「吸っていた遺体が必ずこうなるとでも……」

 ランベルトは足元を見た。

 若い女中の死体が、両脚にガッシリとしがみついている。

「うっ……」

 身体をよじらせ、ランベルトは女中の腕を外そうとした。

 強引に振りきろうと歩を進めると、女中の死体が床を引きずられついてくる。

「ちょっ、きみ!」


「それについては先ほども説明しましたよ、ランベルト。彼らはブードゥ教で仮死状態の者につかう毒を、絶妙な調合で本物の死体につかう」


 アノニモが言う。

「死体になったあとも神経や筋肉の反応で、完全に土に還るまで操り人形にされます」

「いや……まずこれを」

 ランベルトは、壁に背中をつけて脚をたがい違いに動かし、しがみつく女中の死体をふり払おうとした。

「質問のほうが気になっているのかと思いまして」

 アノニモがそう答える。

 女中の死体は、ランベルトの服につかまるようにしてゆっくりと身体を立ち上がらせた。

 立ち上がるにつれて、身体の破損した部分があらわになる。

 腹部から、だらりと何かが不自然に垂れていた。

 つい女中の腹部を凝視する。

 女中が、変色した手をランベルトの外套(がいとう)(えり)に伸ばす。

 その手が、横から手袋をつけた手につかまれた。


「厨房係ごときが当主一家の者のまえに姿を現すとは」


 アノニモが声音を落とす。

「無礼な」

「……死んでから言われても彼女も困るだろう」

 ランベルトは眉根をよせた。

 いや問題にすべきはそこではない。

 分かってはいるが、もはや頭が正常な方向に働かず麻痺(まひ)している。


「坊っちゃま」


 女中の死体が澄んだ高い声を発する。

 意外な感じに、ランベルトは目を丸くした。

「厨房に食材を運ぶ折り、坊っちゃまがお庭にいらっしゃるのを遠くからお見かけしたことがございます」

 女中の死体が、アノニモの手から逃れようと上半身をぎこちなくゆする。

「そ……そうか」

「坊っちゃまのお姿のうるわしさに目を奪われました」

 ほう、とアノニモが声を上げる。

 女中はアノニモの手をいきおいよくふり切り、ランベルトの頭を両手でつかんだ。


「そして、その日の夕食のお料理が、どれだけおいしいものになるのだろうかと想像いたしました」


 ランベルトの顔をグググッとつかみ、女中は気が触れたような早口でまくし立てた。

「坊っちゃまのお腹の臓物でつくった腸詰めは、どれだけ美味しいのかと! 坊っちゃまの御頭(おぐし)の中身を揚げたフリットやソテーは、どんなすばらしいご馳走になるのかと! オレンジとレモンをそえて(おの)で……」

 アノニモが女中の服の(えり)をグイッとつかみ、ランベルトから引き剥がした。

「悪趣味な」

 不快きわまりないというふうな口調でつぶやく。

「いや……生前の彼女の本心ではないだろう?」

「もちろん、操っている者に言わされているんです」

「では、ダニエラ殿の趣味……」

 言ってから、ランベルトは吐き気を覚えた。

 数日まえに屋敷内で会ったダニエラの身にまとった美しいドレスや品良く(しと)やかな仕草。

 目のまえの光景とあまりにそぐわず寒気が走った。





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