Questo mondo è una sfera o una ciambella? この世界は球体かドーナツ型か
「やはり、あのレベルになると簡単にはいかないですねえ」
吹き抜けのステンドグラスを見上げて、アノニモが前髪をかき上げる。
「まあ、あの従者ならいくらでも機会はあるでしょう」
アノニモがスッと片手を上げた。
階段とホールにひしめいていた悪魔たちの姿がかき消える。
赤いどろりとした嵐も、雲が晴れるように四散した。
「さて、お食事」
アノニモは埃を払うように手をパンパンとたたくと、つかつかと階段を降りた。
「お腹すいたでしょう」
ランベルトの横を通り、そう声をかける。
「いや……さすがにこう死体だらけでは」
ランベルトはげっそりとしながら周囲を見回した。
私室からついてきた厳つい形の悪魔がまた姿を現し、手のひらに作った松明であたりを照らす。
ホール一面に、人の大きさのものがゴロゴロと点在している。
ランベルトは吐き気を覚えて口をおさえた。
「べつにあなたが殺したわけではないでしょうに」
アノニモが言う。
「そうだが……」
空腹は感じていなかった。むしろ先ほどから腹部が軽い痛みを訴えている。
「せめて埋葬してから……」
「先にお食事になさい」
アノニモが子供を躾けるような口調で言う。
「すべて埋葬していたら、何日かかるか」
「そんなにいるのか……」
ランベルトはつぶやいた。
階段の手すりをつかんで座りこむ。
「すまん。少しめまいが」
「ようやくお腹が減ってきたんじゃないですか?」
アノニモが身体を大きく曲げて、ランベルトの顔を覗きこむ。
「こんな悲惨な光景を見て、腹など空くものなのか……」
「人が死んでも関係なく腹は減りますよ」
アノニモが口角を上げて微笑する。
「死んだ側の者が言うのも何ですが」
そうとつづけて肩をゆらして笑う。
ランベルトは目を伏せた。
兄が死んだときは、どうだっただろうか。
記憶をさぐるが、棺のなかの兄の姿しか覚えていない。
歳が十五も離れていたので、あまり接する機会はなかった。生活のサイクルがまるで違っていたのだ。
たまに会っても、上から睨みつけられているような気がしていた。
いまにして思うと、身長差がかなりあったせいなのかもしれないが。
「立てますか?」
アノニモがこちらに手を差しだす。
「……いい。立てる」
ランベルトはそう返した。
顔を上げて、仮面の顔を見つめる。
「先ほどバルドヴィーノは、おまえの素性を何だと言おうとしたのだ」
「さあ」
アノニモは肩をすくめた。
「他人が言いかけた推測の話など、分かるわけもないでしょう」
「素性を明かしてはまずいのか」
「まずくはありません」
アノニモが答える。
「ただ、知らないほうが良いだろうと判断しました」
「なぜ」
「知ったら分かります」
ランベルトは眉をよせた。
「それは、どこかの時点で明かしてくれるつもりはあるという意味か?」
「ありません」
落ち着いた口調でアノニモが返す。
「なら知らないほうが良いのかどうかは、分からないではないか」
「私とパラドックスの議論でもしたいですか? ランベルト」
「いやべつに」
「同じ数学なら、トポロジーにしましょう」
「は?」
どんな話の展開だとランベルトは困惑した。
「コーヒーカップのように穴の開いたものをドーナツ型、穴のないものを球型として世界のすべてのものを二つに分けた場合、この世の形はドーナツ型か球型か」
「は?」
指先で円や曲線を描くアノニモの白い手袋を凝視して、ランベルトはポカンと口を半開きにした。
「ドーナツ型と球型の分類ができたところで、この世の果てにそってロープをぐるりと回す」
アノニモが手をスッと半円形に動かす。
「ロープを引っぱって回収するときに、すんなりと回収できればこの世は球型、どこかに引っかかって回収できなければドーナツ型」
「あ?」
「ところがこれ、どうしてもロープがからまって回収ができなくなるという計算になるそうです」
アノニモは、こめかみを手でおさえた。
「さて、この世はドーナツ型か球型か」
「……なぞなぞか?」
「いいえ。れっきとした数学の問題です」
もはや、もともとが何の話か分からなくなってきた。
「……その数学がどうかしたか?」
「単にコーヒーとかドーナツとか聞けば、食欲が湧くかと思っただけです」
分からん……。
ランベルトは眉をよせて、将校服の姿を見た。
生前からこうだったのだろうか。
コンティと何らか関係があったのなら、つかみどころのない変わった人物としてどこかで評判を聞いていそうだが。
いったい死んだのはいつごろのことなのか。
「さて、厨房に行きますか」
アノニモはそう言い階段を降りて行った。




