L'aquila nera scomparve nel vetro colorato. 黒い鷲はステンドグラスに消えた
バルドヴィーノは不審げに目を眇めた。
「何も話してはいないのだな。ランベルト君の目を、何から逸らせるつもりなのか」
「とくに何も」
アノニモが答える。
「先ほども言った。このランベルト坊っちゃんは、聖書を事実として育った方だ。いきなり真実を話しても呑みこめず混乱するだけだ」
アノニモが指先で仮面を直す。
「折りを見て少しずつ明かしていくつもりだったというだけだ」
「ご自身の正体もか？」
バルドヴィーノが問う。
アノニモは沈黙した。
「それは隠し通すおつもりだったか」
バルドヴィーノは踠きながらもランベルトを真っ直ぐに見た。
「ランベルト君」
バルドヴィーノが声を上げる。
「この者は、あなたの……！」
「やれ！」
アノニモは宙に向かって声を上げた。
バルドヴィーノが、声を殺して身をかがませる。
服に見えない何かが食いこみ、つよく締め上げた。
階段を大きく踏み外したが、さらにつよくしめ上げられ足元が宙に浮く。
手を伸ばして手すりをつかむが、全身をしめ上げる何かはますます身体に食いこんだ。
「くっ」
束ねた長い灰髪がみだれる。
周囲をとり囲んだ悪魔たちの姿がぐにゃりと歪み、溶けあうように一つになっては、また個別の姿になる。
あれは錯覚なのか、身体の出来がだいぶ違う部分があるのか。ランベルトは戸惑いながら見つめた。
「おしゃべりな御仁だ」
アノニモが不快そうにつぶやく。
「口をふさがれたいか」
「どうにも分からない」
えずいたように掠れた咳をしながらもバルドヴィーノは口の端を上げた。
「そこまでして隠し通さなければならないようには思えんが」
「悪魔になど分からん」
ゆるく腕を組んでアノニモが答える。
「先ほど価値観は同じだと言っていたのは、あなたでは？」
バルドヴィーノが問う。
「私があなたの立場なら、まず正体を明かす。そのほうがランベルト君も……」
「殺すな。生け捕りにしろ」
アノニモが横の空間に向けてそう命じる。
グ、とバルドヴィーノは両腕に力をこめた。見えない縄を両腕にからげるようにググッと引っぱる。
アノニモに使役される悪魔の何体かが、引きずられるようにしてその場に倒れ、ぐにゃりと姿を歪ませた。
バルドヴィーノがそちらのほうを横目で見る。
幅の広い階段とそこからつづくホールが、赤く染まりねっとりとした嵐を起こしているようにランベルトは錯覚した。
ひんやりとしているのに、気の狂うほどの熱を帯びているような奇妙な感覚。
「どうする。同族を殺して逃げられるか」
アノニモが尋ねる。
「悪魔が……」
バルドヴィーノはそう返した。
「おぞましい」
「それは先ほど伺った」
アノニモは答えた。
身体を大きく曲げ、バルドヴィーノの苦しむ顔を覗きこむ。
「私の提案を呑めば、殺されるのも同族殺しもどちらも避けられるのだが」
バルドヴィーノは仮面の顔を睨みつけた。
「いますぐその仮面を剥いで差し上げようか」
「そんな答えはけっこう」
アノニモは言った。
つぎの瞬間。
機敏な動きでアノニモは後ずさった。
両腕を顔のまえに翳して、何かを避ける。
同時にアノニモのすぐ目のまえで、大きな羽音がした。
バルドヴィーノの捕らわれていた箇所に、突風が起こる。
鋭く吹きぬけたかと思うと、一羽の黒い大きな鷲が飛びだした。
「チッ」
アノニモが手をのばし、鷲の羽根をつかもうとした。
だが力強い羽ばたきで振り切られる。
「捕まえろ！」
使役する者たちに向かってアノニモは命じた。
周囲をとり囲んだ悪魔たちが、ぐにゃりと一体化し触手のような形になって鷲を追う。
ランベルトは黒い鷲の姿を呆然と目で追った。
鷲は旋回しながら天井の吹きぬけのステンドグラスまで飛ぶと、吸いこまれるようにして消えた。
アノニモがもういちど舌打ちする。
「……何だあれは」
ランベルトは呆然と問うた。
「あれがあの従者のもうひとつの姿なんでしょう」
ステンドグラスを見上げてアノニモが答える。
「化けられるのか？」
「何というか。私たちと違って肉体の形にいくつか異体があるというか」
アノニモは言った。
「何にでも変われるというわけではないのですが、何種類かに変化できるようです」
ランベルトは、黒い鷲の消えたステンドグラスをもういちど見上げた。
