È ora di mangiare. お食事の時間です II
月明かりで照らされた廊下。
奥から現れたのは、長身の女中だった。
服にべったりと黒いものがつき、汚れている。
襟ぐりがずれてだらしない着方になっているが、まったく気にしていないらしい。
何かを手に持っているが、やはり斧だろうか。金属を引きずる音をさせながら、こちらへと近づく。
女中は無言で手をふり上げると、こちらに向かって突進した。
後ずさり壁に背中をつけたランベルトを、アノニモが背に庇う。
「やれ！」
使役する大男の悪魔に命じる。
悪魔が、両腕から火焔の渦を発生させた。
獣のような咆哮を上げながら、はげしい火焔で女中を反対側の壁に押し飛ばす。
女中の身体が、壁に激突して燃え上がった。
柄の一部と刃だけになった斧が、カランと床に落ちる。
「やはり斧」
アノニモが苦悩するように額に手をあてる。
「悩むことか？」
ランベルトは眉をよせた。
それよりも気になることがある。
「なぜ女中ばかりなのだ」
「みなであの薔薇をキャッキャ言いながら活けていましたから」
アノニモが答える。
「……見ていたのか？」
「はい」
ランベルトは顔を強ばらせた。
アノニモが、女中の焦げ跡に近づく。
「可愛らしいですね」
「なぜ止めてやらなかった」
「申し訳ないが、彼女たちは契約相手ではありません」
アノニモがそう答える。
「それでも見ていて、こうなることが分かっているなら」
「こうなることは分かりませんでしたよ」
アノニモが肩をすくめる。身をかがめて、壁の焦げた跡を見た。
「三日まえに言ったのをお忘れですか？ 何が起こるか分かっていれば苦労はしませんと」
アノニモが言う。
「だがおまえは、何かが起こることは予測していた」
「私のことを何だと思っているのです」
アノニモが背中を向けて返す。
「神ではないんですよ。ただの人間の霊ですよ」
アノニモは使役する悪魔のほうを向くと、まったくべつの方向に顎をしゃくる。
焼け残っていたほかの女中の遺体が燃え上がる。
「坊っちゃまに、ひとつだけ教えてあげましょう」
アノニモは指先で仮面を押さえた。
「あちらもこちらも守ろうと考えるのは立派だが、何者にも限界はある」
使役する悪魔が廊下のすみで片膝をつき、命令を待つ体勢になる。
「どれもこれも守ろうと思えば、どれも守れなくなるものです」
アノニモが続ける。
「本気で何かを守ろうと思ったら、それ以外のものを徹底して見捨てる覚悟をまずすべきなんです」
アノニモはふたたびランベルトのほうに近づいた。
「それで心が痛むというなら、覚悟が足りない」
壁に背をあずけて中腰で立つランベルトを、アノニモは見下ろした。
「分かりましたか、坊っちゃま」
ランベルトと間近で目を合わせる。
いまは暗い廊下なので分かりづらいが、昼間見たときアノニモの瞳は明るい瑠璃色だった。
子供のころ、あんなふうに目を合わせて話しをされたことがなかったか。
「跡継ぎとしても大事なことですよ。覚えておくように」
アノニモは少しだけ声のトーンをやわらげた。
