Il profumo delle rose e la fanciulla cadavere. 薔薇の香りと死体の女中 IV
「押しのけてみたらどうです」
アノニモが提案する。
ランベルトは女中の肩をつかんだ手を少しずつずらし、起き上がった。
「大丈夫か、きみ……」
女中が首を真横にガクンとかたむける。
舌をだらりと垂らした。
完全に身体の機能を失った者の様子だと直感する。
「きみ!」
ランベルトは女中の身体をゆすった。
女中の身体が、ゆすられるままに上下する。
簡素に結っていた髪がほつれて顔にかかっている。手もダラリと下げたままだ。
「ランベルト」
アノニモが近づいた。
手にロウソクをもち、女中の顔を照らす。
「目を」
アノニモがそう告げる。女中の目にロウソクを近づけた。
「瞳孔が開いたままでしょう?」
アノニモがロウソクを近づけたり離したりする。
女中の瞳孔は何の変化もなかった。
「死んでいるんです」
「ではなぜ動いていた」
「ブードゥー教の動く死者の話を知りませんか?」
「異教の話など知らん」
ランベルトはそう答えた。
「もう少し見聞を広めましょうよ」
「うるさい」
アノニモはベッドから離れると、手にしていたロウソクを燭台に立てた。
「やつらは、人間の死体をもてあそぶのはけっこう平気ですから」
「やつらとは」
「そこにいる者の同族です」
アノニモは、そばにひかえた厳つい男を指さした。
「その何とかいう異教は、悪魔と関係する宗教なのか?」
「もともとは関係ありません。やつらがこの宗教の秘術をまねたようなことをするので誤解を受けてしまった部分が」
「秘術?」
ランベルトは、背を向けたアノニモに尋ねた。
白い将校服がロウソクの火でオレンジ色に染まる。
本当に幽霊なのかと思いたくなるくらいはっきりとした姿だが、これ以前に幽霊を見たことがないので何とも言えない。
「ブードゥー教の動く死者というのは、じっさいには死んでいません。とある毒物で仮死状態にしているだけです」
アノニモが、革靴の音をさせてベッドに近づく。
「だがやつらは本当の死体にする。似たような成分の毒物を使い、絶妙なさじ加減で死んだあとも筋肉や骨や声帯が機能するように」
「なぜそんな」
ランベルトは問うた。
「人間が憎たらしいのでしょうね。過去に人間に追いやられているので、機会さえあれば痛い目に会わせてやろうということでは」
「追いやられて……?」
ランベルトは眉をよせた。
「やつらは、先住民なんだそうです」
アノニモは言った。
「この世界に先に住んでいたのに、人間に追われたと」
「天界から神に追われたのではないのか?」
ランベルトは目を丸くした。
「それは宗教を広めるさいに、体よく悪役にされたというだけですね」
ランベルトは困惑した。自身が教育された宗教とは、ずいぶん違う。
「その話だと彼らにも同情の余地はあるではないか?」
ランベルトは眉をひそめた。
アノニモが呆れたように声のトーンを落とす。
「ここはいまは、人間の住んでいる世界ですよ?」
「そうだが」
「それにやつらはコンティ家の者を非常に忌み嫌っている。仮にあなたが歩みよったとしても、あなたの命を狙いますよ」
アノニモが、身をかがめて顔を近づける。
「ランベルト」
ランベルトは顔を上げた。
「眠りが長いくらいですんでよかったですね」
アノニモが口角を上げて微笑する。
「毒を吸いださせたかいがあった」
「え」
ランベルトはアノニモの仮面の顔を見上げた。
「吸いださせた……?」
「使役する者に」
口から直接吸いださせたということか。
アノニモの背後にひかえる厳つい大男に視線をうつして、ランベルトは言葉をつまらせた。
思わず口を手でふさぐ。
「あれじゃない。ちゃんと美女の者を選びましたよ」
アノニモが言う。
「いや……そういうことでは」
ランベルトはベッドに手をついた。
「毒を吸いださせたとは」
「あの女中と同じ毒を、あなたも吸いました」
ランベルトは目を見開いた。
「どこで」
アノニモが手をのばし、窓ぎわを指さす。
ダニエラが送りつけてきた大量の黄色い薔薇が、こんもりと花瓶をおおっている。
「いい匂いがしたでしょう」
ランベルトは口をふさいだまま眉をよせた。
「そろそろ気づいたかと思っていました」
アノニモが唇のはしを上げる。
「……あれを贈ってきたのはダニエラだ。どこかで毒物をしこんだ花とすり替えられでもしたのか?」
「いいえ。毒をしこんだ薔薇を贈ったのは、間違いなくダニエラ嬢です」
ランベルトは無言でアノニモの顔を見上げた。




