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黒伯爵と銀の髪 22

◇黒伯爵が思いの丈を語ります。長いです。


 明るい広間の中央にあるテーブルにお茶の用意をメイドにさせ、フォレスト伯爵はその場にいる面々に着席するように言った。

 

 「お茶なら先ほどの庭園で戴きたいのですけれど」

 

 アンは細やかな抵抗を試みる。一方セシルは部屋の隅々まで目を光らせて、不審なものはないか、観察していた。フォレスト伯爵とサリーフィールド西方辺境伯、扉には部屋付きの侍従が侍り、そして護衛と思われる男性が三人、扉の外にも何人かいる気配がする。それにしても澄まして立つ護衛は王国の人間ではない雰囲気を纏っているように思えた。これはいよいよ主に叱責される状況かも知れないとセシルは恐れた。

 

 「こちらの方がゆっくり話が出来ますからね」

 

 黒伯爵はにべもない。サリーフィールド辺境伯は渋面を隠さなかった。

 

 「しかし、彼女がウィンチェスター公爵令嬢だとすると、ことを荒立てる訳にはいかん。こちらの立場が疑われることになる」

 「別に彼女に危害を加えるつもりはさらさらありませんよ。辺境の地ではどうか分かりませんが、ここは王都です。手荒な真似はしません。ただ話をしたいだけですから」

 

 商人としての愛想の良さを最大限に発揮しながら、慣れた手つきで黒伯爵は紅茶を振る舞った。恐る恐るセシルがカップを持ち上げ、香りを確かめる。

 

 「とてもいい香り。“あの”特別ブレンドとは違う香り。――それで、貴方は麻薬の売買に加担しているのですか」

 「先走りしないで下さいね、セシル嬢」

 

 口元は弧を描き、にこりと笑っているようだったが、目は闇を感じる深さだった。このブレンドには薬は混ぜてませんよ、と静かに言った。そして、扉の側の侍従を呼んで耳元に何やら囁いた。

 

 「まず、言い訳をさせて下さいね。私は麻薬の売買には反対だった」

 「だったら何故、あのパーティーで特別扱いの限定カードなんか下さったのですか?!」

 

 ふっと目元を緩めてセシルを見る眼は、やはりとても優しいもので、だから余計にイライラさせられた。

 

 「その話をするために、ひとまず十年前の贋作茶会について話をしましょうか。私は父の代わりに顔を出しに行ったのです。そこでウィンチェスター公爵令嬢、貴女は一枚の絵を見て贋作だと見破った」

 「そうだった。あれはシュバルツバルト侯爵家の離れだった。マルティン子爵の購入した絵を見て、これは偽物だと言い切っていたな」

 「……いきなり指摘するのは、対応としては拙かったですね。子どもだったのでそういう忖度が出来ませんでした」

 「素直でけっこうだ。確かにあの絵はモランの描いた偽物だったから、図らずも貴女の能力を周りに知らしめる結果となった」

 「あれは誰がお売りになったのですか。貴方ですか」

 「私を何歳だと思っているんだ? さすがに私ではなく父だよ。デュムラー画廊の裏の扱いとして売ったものだ。それまでは王国では売買はしていなかったが、マルティン子爵がどうしても手に入れたいと言い張ってね。あまりにしつこく迫ってくるもので、父が煩がってモランが描いた模写を本物だと言って売ってやったんだ」

 

 遠い目をしたフォレスト伯爵は何かを回想しているようだった。

 

 「君の伯父さんであるウォルフォード公爵は、私の父がモランが描いた模写を売買しているのを知らなかった筈だ。なのに贋作売買の疑いが掛かってアトリエを潰された。どうしてだろうね?」

 

 王家の意向だなどと言えるわけもなく、何も答えられずにアンは唇を噛んだ。

 

 「まあ、熱心に贋作を売ろうとしていたのは、父よりも当時番頭だったフォルカーだが」

 「そのフォルカーですが、貴方はご存じですか? 先日遺体で発見されたそうですよ」

 「……らしいな」

 

 

 ここで侍従が扉を開いて一人の男を招き入れた。

 

 「来たか。……お嬢様、懐かしいだろう?」

 

 アンは目を見開いた。目の前に居たのは、昔と変わらないバーントシェンナの髪を持つユベール・モランだった。

 

 「ヴィクトリア、久しぶりだね。先日の王宮でのパーティーで見かけて驚いたよ、すっかり大人の女性になって」

 「……! ユベール兄さま? ……っ、もしや、あのパーティーでフォレスト伯爵と一緒にいらした従者として?」

 「そうだ、良く分かったね。流石だよ、ヴィクトリア。君は相変わらず目がいいね」

 「あのお茶会の後、アトリエが解体されて、すぐに居なくなりましたね? 今はどうしてらっしゃるの?」

 「いったん実家に戻されたんだが、既に廃嫡されていてね。どうやら君の伯父上の若いツバメをしていたのがバレたらしくて」

 

 アンは驚愕した。そうだ、彼は伯父と関係があったのだ。兄との話で頭では理解はしていたが、本人から聞くと生々しいことこの上ない。そんな彼女の様子を見たモランは乾いた笑いを洩らす。

 

 「へへえ、そんなに驚くことかい? 純粋培養のお嬢様はこれだから。ついでに言うと、僕はフォルカーとも繋がってたよ。ま、あのアトリエにはその手の趣味の人間が集まってきていたけれどね」

 「おい、我が邸でそのような下品なことを言うな」

 

 辺境伯が少々引き攣った顔をして非難する。しかしモランはお構いなく、アンタの親父殿も男の愛人がいたんだよ、と続け、辺境伯の顔が歪むのを楽しんでいた。

 

 「何が悪いんだい? 男女の駆け引きなんかは王宮でも何処でもやっているだろう? それが同性ってだけでどうしてこんなに嫌われるんだ?」

 

 貴族社会ってのは本当に下らない、見栄ばかり張り合っていてどうしようもないな、と声を震わせた。

 

 「今こんなことを言っても仕方がない。大方それが理由でアトリエが潰されたんだろうなと予想は出来たからな。……その後のことだ、フォルカーは僕に黙って行方を晦ましたんだ。悔しかったね、一緒に行こうと思っていたのに」

 

 実家には頼れず、フォルカーとも別れ、途方に暮れていた。その日暮らしのような仕事をして食い繋ぎ、ある時フォレスト伯爵と再会したのだと言った。それを受けて、フォレスト伯爵が回想し始めた。

 

 「事件が明るみになって父を失った私は、皇国の母の元へと戻った。母の状態も悪くなって、これからどうしようかと思案に暮れていた。そんなときに先代が望んでくださったので、母と共にこちらへ渡ってきたと言う訳だ。その縁はメイヤー伯爵が取り持ってくれた。彼には別の思惑があったわけだが」

 「貴方は皇国の出身なのですね」

 「ああそうだ、生まれは彼方だ。だが、王国の血も引いているんだよ。祖母がこちらの王女様でね」

 

 これにはアンもセシルも、辺境伯さえも驚いた顔をした。王国の血、とは文字通りの王家の血だったのか。

 

 

 そんな爆弾発言を聞いたところで、侍従がまたもや人を招き入れる。

 

 さて今度は君の出番だ、と次に入室してきたのは暫く行方が分からなくなっていたアルだった。セシルは思わず立ち上がって彼の元へと走る。後ろ手に拘束されていたものの、顔色は悪くなく体調は良さそうだ。あまりに心配し過ぎて言葉が出ないまま、アルの服を握りしめて頭を彼の胸に寄せた。

 

 「……や、セシル。お前ちゃんと王都に帰ってたんだな」

 「っ! アルっ! ……心配したっ……!」

 「ごめん、自分をちょっと過信してた」

 

 いつもなら見せないような優しい視線をセシルに向けていた。二重の意味でアンも安心した。無事であったこともだが、この場に素手でも強いアルが居てくれるのは非常に心強いことだったからだ。

 

 「感動の再会ですか、セシル嬢。私としては、この男を貴女に会わせたくなかった」

 「この男は誰なんだ? というより、――フォレスト伯爵、君はいったい何がしたいのだ?」

 

 この奇妙なお茶会はどこへ向かうのか、辺境伯もだんだん落ち着かなくなってきたらしい。モランもテーブルに付かせられ、アルも拘束を解いて同じく席に座るように促された。フォレスト伯爵は改めて全員分のお茶を淹れなおしている。

 

 「アル・ブレンナー、彼はシュバルツバルト侯爵家の騎士団の一員です。しかし皇国のシュバルツバルト公爵家の人間だそうですよ」

 「……この場で止めてくれ。今は関係ない」

 「そんなことないでしょう、私には大いに関係ある。王女様だった私の祖母は、皇国のシュバルツバルト公爵家に降嫁されたんですから」

 

 何故だろう、ここに来てから立て続けに明かされる事実に驚くばかりだ。サリーフィールドは辺境伯という立場上、様々な裏事情にも通じているが、初めて聞く話だった。ただの茶番では無さそうだと座り直した。

 

 「なので彼とは遠い親戚ですよ。それから貴女の婚約者であるジークフリード殿とも。そうですね、貴女とも血の繋がりが無きにしも非ずですかね」

 

 公爵家の一員であるアンは、勿論王家とも繋がりが深い。呆然と黒伯爵を見つめたアンは、道理で立ち姿がジークフリードと良く似ている訳だと納得した。そうしてハットを取った彼の髪の根元が銀に輝くのを認めた。

 

 「ではその髪は、もしや、……?」

 「ええ、そうです、王国王家特有の銀髪ですよ。普段は染めていますが、メイヤー殿に請われた時だけは銀色に戻しています。……、どいつもこいつも私の髪色がお気に入りなようでね、見た目だけだ」

 

 顔を顰めて心底嫌そうに吐き捨てた。祖母も母も父も、それからメイヤー伯爵もフォレスト伯爵も、とぶつぶつと口の中で呟いている。

 

 「そろそろ耐えられなくなってきましたのでね、終わりにしたいんです」

 

 どんよりとした仄暗い瞳でテーブルの面々に視線を向けた。

 

 「せっかく普通に事業が上手くいっているのに、下らない危険な麻薬売買などの片棒を担がされてうんざりでしたんだよ」

 

 前フォレスト伯爵が亡くなり、伯爵位を継いで暫く、ある日突然フォルカーが彼の目の前に現れたのだ、と彼は言った。そうして儲け話がある、ひとつ乗らないかと誘われた。誘いというと聞こえはいいが、半分脅しのようなものだったという。元々フォルカーに商売のイロハを仕込まれたのだ。デュムラーとの関係をバラされたくなければ協力しろということだったらしい。そうしてメイヤー伯爵の意向もあり、容姿を現王家への反逆の旗印に利用され、軌道に乗っていた紅茶の売買に麻薬を噛ませるという運びとなってしまった。

 

 「君の持っていたあの紋章入りの紙切れは、そうです、麻薬売買の印です。あれを持った人間同志で取引をしていました。元締めは勿論フォルカーが、メイヤー伯爵次男のルパート、三男のルーファス、そして私が卸売をしていたのです」

 

 でも、と続けた。もう終わりです、と。

 

 「どうやら、私の父は東方の国で行方が分からなくなったらしい。麻薬の元となる薬草は東方でしか取れないものです、入って来ないことには商売は出来ない。父が外交官のメイヤー伯爵の協力を得て、王国へと運び込んでいたのですが、連絡が取れなくなりましてね」

 「ちょっと待て。メイヤー伯爵の手引きだと言うのか?」

 「そうですよ。彼の外交特権を利用して、荷物の中に忍ばせて密輸していたんです」

 

 ですが、先日から画商の父ともメイヤー伯爵とも連絡が取れなくなっていたと黒伯爵はさほど残念がる様子もなく、さらりと事実として淡々と告げた。

 

 「ですから、もう終わりだと言ったんです。今手元にあるもので終わりです。もう麻薬は入って来ないのだから」

 

 すっきりしたと笑って彼は自分で淹れたお茶を楽しんでいる。

 

 「メイヤーは優秀な外交官だ、そんな危ない橋を渡るような真似をするとは思えん」

 「思えなくとも事実を述べたまでです。優秀さを隠れ蓑にしていたんじゃないですか。疑われることなく密輸していたのですから。

 それは貴方も同じですね、サリーフィールド西方辺境伯殿」

 「……何のことだ?」

 「ですから、西方の国と宜しくやっているではありませんか。ルーファス殿に伺いましたよ」

 

 あいつめ、とぎらりと研ぎ澄ました視線をここにはいないルーファスを睨んでいるかのようだった。

 

 「メイヤー殿は、今の国王と王太子を排してどうやら私を王座に付けたかったようですが、まあ荒唐無稽な考えでしたね。でも彼の領地の邸宅には、あの絵が飾ってあって、時折集会めいたものを開いてましたよ。この銀の髪が必要らしい。だったら貴女の婚約者でもいいですよね?」

 「冗談仰らないで下さいませ。国王陛下も王太子殿下もその地位に相応しい素晴らしい方です。ジークフリード様が取って代わることなど有り得ません」

 「あはは、そう、下らない主張です。……しかし、本気でそう考えている人間も居るんですよ、メイヤー殿を筆頭にね」

 

 含み笑いをしたまま次は、と言わんばかりに辺境伯の方を向いた。

 

 「さて、貴方も加担していましたね? この絵が証拠です。というより、昔々の栄光を取り戻したかったのかな。貴方のご先祖は、西方の国も含めた領地を持った領主だったそうですね」

 「……何のことだ、私は知らん、何も知らん」

 「ここに居る護衛の方々は、王国の人間じゃない人も交じってますよね。メイヤー殿のように王家の交代を願っていたのではなく、その動きに便乗して貴方は独立したかったのですかね? ちょっと今の時代、もう無理がありますよ」

 

 辺境伯を慰めるような口調で言った。

 

 「その資金作りに贋作ですか。大方、モランの持っていた模写を隠していたのかな?」

 「……アトリエを追い出された時、持っていた模写を全てフォルカーに渡したが、それを託されたらしい」

 

 黙って聞いていたモランが口を開いた。

 

 「フォルカーにはもっと描けと言われていた。でも生きていくのに必死だった時に才能らしきものはすり減らしてしまったよ、今はもう、昔のようには描けない」

 「ユベール兄さまほどの才能をお持ちであれば、オリジナルで勝負出来たでしょうに」

 

 そんなことを言い出すアンをモランは眩し気に見遣った。

 

 「君なら分かるだろう? 駄目なんだ、何を描いても誰かのタッチを真似しているようにしか思えないんだ。いくら描いてもその思いは消えてくれなかったし、荒んだ生活は芸術なんて食べられないものに気を配ってる暇はないからな」

 

 アンは息を呑んだ。それは彼女もいつも感じていることだったからだ。だから自分は修復士になる道を選んだ。それにモランの言う通りだ。彼女の大事に思う芸術文化なんて、所詮は国が豊かでないと広がらないのだ。

 

 「さて、そろそろ次の人物に登場願おう」


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