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黒伯爵と銀の髪 19


 時は少し遡る。

 

 『踊る仔馬』にてセシルを席に残して小用に立ち、化粧室から出てくると一人の男がアルに近づいてきた。

 

 「ご来店ありがとうございます。今日はどちらからお見えですか?」

 「ああ、王都だよ」

 「やはりそうでしたか。お連れ様はとても垢抜けてらっしゃるのでそう思っておりました」

 

 妙に愛想のいい笑顔がアルには嘘くさく見え、ちょっと身構えた。

 

 「いや、お連れ様を見かけた覚えがありましてね、考えていたんですが、……王宮のパーティーじゃなかったかと思うのですよ」

 「王宮? お前は貴族なのか?」

 「そう、でしたね。今は除籍されてしまいましたが。今は只の平民ですよ、貴族の主人のお付きで参加しました」

 

 そうして、にたり、と禍々しい笑顔になった。

 

 「アンタ、誰だよ?」

 「この店を任されております。ユベール・モラン。宜しくお願いします」

 

 全く宜しくするつもりのないアルは、適当にあしらってセシルの元へと戻ろうとした。それを阻むが如く、相手は狭い廊下の中央に立ちはだかった。

 

 「ちょっとこちらへ来て頂きたいのですがね、見て貰いたいものがありまして」

 

 とても良い笑顔だが目が笑っていない。腕に覚えのあるアルは、相手の出方を図りつつ、少し乗ってやるかとわざとついていくことにした。奥の小さな部屋へ通されると相手は、上着のポケットから一枚の紙を取り出した。それは何時ぞやにジークフリードが持っていたものとほぼ同じ、自分の家の紋章の付いた紙だった。

 

 「……それは、何だ? どういうつもりだ?」

 「おや、ご存じなかった? これ目当てじゃなかったのか」

 

 思い違いだったかなと呟いて、考えあぐねている様に顎に手をやった。

 

 「あのお嬢さんは貴族令嬢の筈だ。なのに二人して商人のように変装して振舞っている。何が目的なのか、聞かせて欲しいですね」

 「別に何も言うことはない。単なるお嬢さんのお忍びだよ。俺は護衛だ。……もう連れのところに戻りたいんだがな」

 

 モランはパチンと唐突に指を鳴らした。と同時にアルよりもはるかにガタイのいい男が三人入ってくる。主のところへ連れて行くから頼むよ、とまた怪しげなにたりとした笑みを浮かべた。紋章入りの紙について知りたかったアルは、敢えて抵抗せず、すんなりと捕まってみせた。

 

 ◆

 

 「で、此処へ連れてきたのか」

 

 潜入したかったメイヤー伯爵の邸宅内に都合良く連れて来られたアルは、憮然とした黒伯爵と向かい合っていた。まさかここで出会うとは、とはきっと互いに思い合っている筈だ。商人の成りをした貴族令嬢と一緒に居た目付きの怪しい男がいるから連れてきたと報告したモランは、一枚の紙を差し出した。それはアルの身体を調べた時に出てきたもので、ジークフリードから渡されていた複製品の紙だった。主人の顔が不機嫌に歪んでいることを見て取って、モランは肩をすくめてすぐに店に戻ろうとした。

 

 「ユベール・モラン、そこで待て」

 

 怯えた様子を見せているモランを引き留め、黒伯爵は探るようにアルの目を真っ直ぐに睨んだ。

 

 「王都でお会いしましたね、まさに私の店『最後の憩』で」

 「……ああ、そうだな」

 「貴方と一緒に連れ立ってきたのはどなたですか? まさか公爵令嬢じゃないですよね? セシル嬢ですか?」

 「……アイツはもう王都へ発っている筈だ」

 「貴方が持っていたというこの紙は、どこで手に入れたのでしょう? 是非、教えて貰いたいものだ」

 「……」

 「これは、偽物です、我々の使っているものではない。しかしこの紙は我がブラック商会にて扱っているものです。限られたところにしか卸していないから、調べればすぐに分かります。なかなかの出来だ、感心しましたよ。うちの工房に欲しいくらいに。しかし残念だ、手触りが違うし、ここの透かしも入っていない」

 「そんなことを言うってことは、お前が麻薬を流していたのか……?」

 

 予想されたことだが、それには答えず含み笑いをしたのみだった。

 ティールームで拘束された後、アルはセシルに手紙を書かされた。心配するなと含ませたが、もう王都に戻っただろうか。どのみちここへ潜入しようとしていたから一石二鳥ではある。とはいえ、黒伯爵と出会うとは思っていなかった。やはり以前見かけた銀の髪は、この御仁らしい、と思った。しかもコイツが麻薬を?

 

 「どうして、お前がここに居る? ここはフォレスト伯領じゃない」

 「質問しているのは私なんですがね。それに私はこれでも伯爵位を戴く貴族です。出来れば相応の礼儀を見せて頂きたく思いますよ」

 「いきなり拘束しておいて礼儀も何もないだろう? それでメイヤー伯爵とどんな関係があるのか教えろ」

 「なかなか図太い御仁だ。私の父がメイヤー伯爵とは古馴染みでしてね、その縁ですよ」

 「前フォレスト伯爵とか?」

 「……ああ、そうか。それもその通りではあるんですが、父と言うのは実の父親のことです。画商をやっていた平民ですけどね」

 「平民、……」

 

 唐突にもたらされた情報を噛みしめた。やはり、正に自分の探していた人物ではないか。

 

 「もう一つ、教えてほしいことがある。お前のその髪、本当は銀色だろう?」

 「……」

 

 今度は黒伯爵が言葉に詰まったように答えない。

 

 「王都の店で会った時、俺とセシルに向かってハットを取って慇懃に礼をしただろう? あの時、銀に輝く根元が見えたんだ」

 「はっ、それは、それは。良く見ていたもんだな。いっそ感心するよ」

 

 がらりと変わってぞんざいな口のきき方をした黒伯爵は不敵な笑いを浮かべた。

 

 「前にここで見たんだ、遠目ではあったが、銀髪の人間がいるのを。ちょうど、あの絵のような」

 

 そう言ってアルは、壁にある大きな絵画の方向を見遣った。それはエドワードが国王に見せたビラの絵と同じものだった。廃墟の中、銀髪の男が女神に向かって剣を捧げ持っているものだ。

 

 「あの絵ね……、あの絵にダドリー・メイヤー殿は惚れ込んでらっしゃる。彼にとってはこの髪は神聖なるものだそうだ。私にはくだらないことだがね。……まあ、そうだと認めよう、確かに私は銀髪だ。……だったら何だ? それが君に何か関係があるとでも?」

 「俺は、お前くらいの歳の銀髪の男を探していたんだ。皇国のシュバルツバルト公爵家に迎え入れようとしていた。――血筋がどんどん先細ってしまって、人数が減っているからな。血統確かな人間なら一族に加えてもいいと思っていた。今までは」

 

 アルは鋭い眼つきをフォレスト伯爵に向けた。

 

 「だが、その紋章の意味を知った上で麻薬の取引に使っているとしたら、俺はお前を許さない」

 「ほう? 只のネズミじゃないな。この紋章が分かるということは、きちんとした貴族教育を受けている証拠だ。しかもこれは王国内のものではないからな」

 「そうだ、これは、――皇国シュバルツバルト公爵家の紋章だ。……俺はその一員として、お前を許すわけにはいかない」

 

 アルは黒伯爵を見据えて言い放った。

 

 「……っ、はっ! これは愉快だ」

 

 フォレスト伯爵は目を片手で覆い、天を仰いで笑ってみせた。一転、昏い闇を思わせる瞳でアルを見た。

 

 「……馬鹿々々しい、誰が、シュバルツバルト公爵家なんかに、加わるものか。あの家の人間は、私の祖母を、母をどう扱ったか知っているのか? 全ての貴族の規範となるべき公爵家の人間のすることとは思えんような扱いをしたんだ。こちらこそが、お前たちを許しはしない」

 

 そうして怯んだアルの視線を絡め取って、側で怯えたように畏まっていたモランと騎士に命じて、アルを拘束し閉じ込めるように命じた。

 

 「過去からの亡霊が追いかけてきたのかもしれないな、それとも祖母の呪いか」

 

 独りになると黒伯爵は、誰にも聞かせられない呟きを落とした。


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