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黒伯爵と銀の髪 07


 エドワードの推察通り、それが割符だとしたら、何を意味するのか、明白だ。今捕らえられている麻薬所持で検挙された人物をもう一度調べ直して、同じようなものを持っていないか確かめるよう騎士隊に指示を出した。勿論それまでに検挙された人間の再捜査も依頼する。イライアスにも共同で捜査に当たってほしいと頼んだ。


 それにしても、何故シュバルツバルト家の紋章なのか。ジークフリードは、深く考え込んでいた。しかも本家のものだ。とにかく本家の人間であるアルにも話を聞かなくてはならない。

 

 書類の処理も進まないまま、どうも考えが纏まらず、このままではどうしようもないと自分でも分かったので、ついと立ち上がった。隣にいたケアリーに、ちょっと出てくるとだけ言いおいて宰相室を後にした。

 

 向かうのはヴィクトリアのいる修復室だ。心のざわつきが止まらない。平素と違って動揺している自分を叱咤激励してもらいたい。そう思いつつ扉を開けた。

 

 「や、ジーク、お邪魔してるよ」

 

 声を上げたのは、普段ここに居るはずのないアルだった。対してヴィクトリアは見当たらない。セシルがジークフリードに説明する。


 「お邪魔ってお邪魔なのはアルだよ? 本来ここに居ていい人間じゃないんだからー」

 「お前に会いに来てやったのに、固いこと言うなよな」 

 「アル、詰まらない冗談言わないの。――アンは今、地下ですよ。今日こそ仕上げたいって言ってましたから」

 

 そうか、と言ってジークフリードはソファに腰掛けた。いくら会いたくても彼女の仕事の邪魔は出来ない。それは婚約時の約束だから。

 

 「セシル、他の技官はどうした? いないのか?」

 「室長はまだ出張中で、ダンテ技官もコーエン技官も今日は工房にお籠り中です。まだまだここへは戻ってきませんよ」

 「そうか。……なら丁度いい。お茶を淹れてくれないか。アル、いやアルブレヒト、話がある」

 「改まって何だよ、そんな怖い顔してさ……その呼び名はとりあえず止めてくれないかな」

 「今からおかしなことを聞く。……本家で麻薬を見たことがあるか?」

 「――っ、はっ?」

 

 いったい何を言い出すのかとアルは訝し気な顔をした。

 

 「いや、まさか。……そりゃ長いこと帰ってないから確実なことを言えないけど、そういう家じゃないことはお前だって良く分かっているだろう?」

 

 ふうと息を吐いて、そうだよな、とジークフリードは零した。伊達に騎士を代々排出する家ではない。正義感だけはある筈だ。

 

 「では、これに見覚えは?」

 

 宰相から借りてきた証拠物件をアルの目の前に差し出した。先ほど女官服のボタンから出てきた一枚の紙切れだ。

 

 「……何だ? これは、うちの紋章じゃないか?」

 「そうだ。これは、麻薬中毒の患者が持っていたものだ。……何だと思う?」

 「何だと思う? ってこっちが聞きたいな」

 

 いらついた声を上げてアルは主人である筈のジークフリードに対して殺気を放った。カップを載せたトレイを持っていたセシルにもそれが伝わり、腕が震えてカチャカチャと音が鳴った。

 

 「……っ! ア、アル、ちょっと止めてね、ここで暴れるのは勘弁して?」

 「悪い、セシル、……だがな、ジーク、お前、何が言いたい? うちが麻薬の取引に関わっているとでも? そんな訳ないだろう? その紋章が何に使われているのかは分からないが、断じて関係ないと言い切ってやるぞ」

 

 いつも飄々としているアルが本気で怒っている。

 それには訳があった。彼の母親はどこからか手に入れたトラオムという薬のせいで、中毒死した。繊細な母は、格式ばかり高くて因習にまみれた家に嫁いできて心が持たなかったのだ。母をサポート出来ず死なせてしまったと父をも恨んでもいる。そういう事情もあっての出奔だった。

 

 「落ち着いて? アル、ほらお茶飲んで。殺気は仕舞って頂戴……お願いだから」

 

 じっと主人を睨み付けていたアルに、セシルが寄り添い肩をさする。彼女の言葉に従い視線を落としてカップを取り上げた。ジークフリードもアルの剣幕に気まずげになり、悪かった、と囁いた。膠着したように時間が凍り付いた。暫く各自のお茶の啜る音だけが聞こえる。

 

 「ジークフリード様、その紙、私にも見せてくださいませんか」

 

 時間を置いて、セシルが口火を切り、紙を受け取った。触ったり光にかざしたりしてじっくりと眺めている。

 

 「なんだか変わった触り心地ですね」

 「ああ、あまりそこらで見かける紙じゃない。それに小さく折り畳んでも破れにくいようだし、なかなか丈夫だ。この紙も何処で手に入るのか、検討がつかないんだ」

 

 ふうん、と言いつつセシルはふと、ついこの間のアンの嬉しそうな顔を思い出していた。

 

 「――先日ですけどね、アンが今度買い付ける予定の東方の紙の見本を見せてくれたんですよね……なんだか手触りがこの紙に似ている気がします」

 「東方の? そう言えば予算委員会で目録をいい紙で作りたいからと申請していたな」

 「予算が下りたってホントに嬉しそうでした。それで、……何処から取寄せるって言ってたか、な? アンに聞くのが手っ取り早いんですけど……」

 「今はいい。俺が後で聞いてみるよ。ありがとう、セシル」

 

 部屋の空気が緩んだところで、唐突にばたんと扉が開かれた。何処となく薄汚れたローブを羽織った中年の男が入ってきた。にこにこ笑って手を上げている。

 

 「たっだいまー! 帰ったよー!」

 

 それは出張から帰ってきたホーレス・フローデン室長だった。

 

 「あれ、珍しい顔触れだね。セシル君ただいまー、他のメンバーはどうしたの?」

 「みんな、作業中でそれぞれ工房に入ってますよ。おかえりなさいませ、室長。お茶淹れますね」

 「ああ、別に構わないよ、この荷物置きに来ただけだから。……ところで何だい? それ」

 

 フローデンはセシルの手にあった紋章の押された紙を見ている。

 

 「最近見たような気がするよ、その紙、その紋章……色が違ってたかな? 何処だったっけ?」

 「本当ですか? 何処ですか? 思い出してください」

 

 ジークフリードが立ち上がり、フローデンに迫った。あまりの勢いにおろおろしている。見かねたセシルが取りなした。

 

 「室長、落ち着いてください、ジークフリード様も。今じゃなくても構いませんよね? そのうち思い出しますよ」

 「うーん、、、」

 

 突っ立ったまま唸っているフローデンをどうしたものか。セシルはやはりお茶を淹れようと飲み干したカップをトレイに載せた。ついでだ、工房のみんなにも声を掛けて、室長が帰ってきたことを伝えよう。

 

 「ちょっと地下へ行ってみんなに声掛けてきます」

 「俺が行ってくるよ。お前はお茶を淹れとけ」

 

 セシルが動く前に黙りこくっていたアルがさっさと出て行ってしまった。ジークフリードはまたソファに座り込んだ。考え始めると動かなくなる習性のあるフローデンは、アルが戻ってくるまでそのまま突っ立っていた。

 

 お茶を淹れ直して買い置きの焼き菓子も出してきた。アルはダンテとコーエンの二人を伴って戻ってきた。フローデンとおかえり、ただいまと言い合った後、それぞれの近況報告が始まる。もう外は暗くなってきている。終業時間は過ぎたなとセシルは時計を見上げた。いつものことだが。

 

 「アル、アンはどうしたの?」

 「ああ、トレイシー嬢はどうしても今日中に仕上げたいからって作業し続けてたぜ。こちらを見ようともしないんだ。あの集中力は凄いな」

 

 「そうだ! それだ」急にフローデンが叫んだ。何事かとみんなが彼に注目する。「トレイシー君で思い出したよ! 彼女が今修復している筈の絵を、見たんだよ、西方辺境伯領で!」

 

 「見たって、修復中なら絵は今地下にあるんですよね?」

 「そうだよ、だから不思議でさ、何処から手に入れたのかって案内の騎士に聞いてみたら何年か前からここに飾ってあるとか何とか言うんだよ」

 「……それって、偽物ってことですか?」

 

 「うーん、僕はトレイシー君みたいな目利きじゃないから何とも言えないんだけど、本物に見えたんだよね。あれが偽物だとしたらよほど腕の立つ人物が描いたってことになるかな」

 「……贋作、か」

 

 ジークフリードがぽつりと呟いた。眉間の皺が寄る。解決すべき問題が増えてしまった。ヴィクトリアが聞いたらどう言うだろう? 昔のことを思い出させてしまうのが心配だが秘密には出来ない。彼女の仕事に関わる一件となるだろうから。

 

 「それでね、良く見せてくれって奥方にお願いして手に取らせてもらったんだよ。裏に何か印がないかと思ってね」

 

 絵画には由来や作者の情報が裏面に貼り付けてある場合がある。その時案内を請うたサリーフィールド辺境伯夫人が見せてくれたらしい。それほど古いものではないが、人気のある著名な画家のもので、結婚のお祝いに父から戴いたのだと自慢げに語ってくれたそうだ。

 

 「父、ってもしかして?」その話に反応したのはアルが一番早かった。「サリーフィールド辺境伯に嫁いだのは、メイヤー伯爵の娘だな?」

 「そうね……それで、これは偽物だって言っちゃったんですか?」

 「まさか! そんなこと言わないよ。ややこしくなるだけだからね。いい絵ですね、って褒め称えといたよ。実際僕には見分けがつかないんだから」

 

 これはどういう意味だとそれぞれが考え込んだ。ここでもメイヤー伯爵の名前が出てくるとは。

 

 「そうそう、それでね、壁に掛かっているその絵を外した時にさ、落ちてきたんだよ」

 「何が? ですか」

 「そこの紙だよ、折り畳んだ奴が。紙は白じゃなくて薄っすら黄色だったよ、紋章の色は青かったかな。でも同じように完全な円形じゃなくて、端が欠けてたよ」

 「!!!」

 「夫人はさらっと拾い上げてたな。開いて見ていたけれど別に拘りもないようで、そのまま手に持ってたよ。ついでに絵画を調べたいから王都に持って帰っていいか聞いてみたんだけれど、流石に駄目だった。断られたよ。すごい剣幕だったな。別に偽物だなんて一言も言わなかったんだけどなー」

 

 はははとフローデンは笑い飛ばした。そりゃあ調べたいだなんて疑ってますよと言ってるようなものだ、気分のいいものではないだろう。

 

 「他にも良さげな絵や彫刻がたくさんあってね、ゆっくり見たかったんだけれど、怒らせちゃったから諦めて帰って来たんだ。遺跡のフィールドワークは大方終わっていたからね。トレイシー君に見てもらいたかったな」

 

 紙の在りかを思い出したことで気分が楽になったらしいフローデンは、ご機嫌で二人の技官と話が盛り上がっていた。反対に、ジークフリードとアルの二人は黙ったままいっそう考えに沈み込んだ。セシルは帰っていいものかどうか、悩んだ挙句アンの机の上の書類を整理し始めたのだった。



◇修復室にいつも人がいないのは、それぞれの専門の工房に籠っていたりするからです。

◇東方の紙というのは勿論、和紙を念頭に置いています。実際和紙は修復作業には欠かせないもので、絵画や書籍、仏像などにも使われ、日本のみならず海外でも使用されています。

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