OPイベント
西暦2130年。
SFやフィクションの世界の中だけだったVR(仮想現実)への、フルダイブ技術が現実のものとなって半世紀。当初は、軍事関連のシュミレーションシステムとして、映画マトリックスの世界観さながらに脊椎に専用コネクタとなる機械化手術を施した上で、仰々しいハードを用いねば仮想世界にフルダイブできなかったらしい。
しかし、フルダイブ技術が世に公開されると民間への技術移転が進み、一般へと普及していくのに伴って技術革新も進み。
現代では、首に専用のチョーカーを付けて、ヘッドセットを被るだけで、ネットワークを介してVR世界にフルダイブできるのだから技術革新、さまさまだ。
そんなVRゲームの新作「ドラゴンクロニクル」のパーソナルデータ登録とダウンロードも済ます、と。
後はのんびりとゲーム公開直前のOPイベントでも見ながら、ドラクロのシステムサーバーが解放される21時を待つだけという段になったのだが…。
<ゲーム内では、『零世界』というプレイヤーだけが持つ世界があります。ここは一種の安全地帯であり、昔のゲームでいうポーズ画面兼セーブ画面のようなもので、ゲーム内における一般プレイヤーのストレス軽減のための措置となっています。
例えば夜の間、夜襲を警戒しながら野営をするといったシチュエーションが必ず出てきます。その際、夜営を行えばサバイバルスキルが手に入り、警戒・探知系スキルの習熟度も加算されますが、何日も何日も野営を行うのは心身に疲労が溜まります。
そうした時、『零世界』の中に入れば安全に夜を過ごして休息を取ることができ、さらには時間スキップ機能もあるので、手間な夜営の時間を飛ばすことも――>
「へぇー、まぁー、そうだよね、サバイバルが主眼のゲームじゃないんだし、プレイヤーの遊び方に合わせて、ストレスフリーにできる所はしていかないとね」
当たり前のように自分のベッドを占領しつつ、ドラクロのOPイベントを一つの電子ディスプレイを共有して見ていた藍は――少しだけ茶色っぽく染めたダークブラウンのショートカットが良く似合う、何処か透明感のある明るい顔立ちを象徴するクリっとした瞳を輝かせながら――訳知り顔で頷いた。
「でも、やるんだろ、夜営?」
「あったりまえでしょ、そりゃ便利機能はありがたく使わせてもらうけど、新しい場所に行ったら少なくとも一回はやらないとね」
ベッドの淵を背凭れにした元が、苦笑交じりに尋ねると藍は、当然とばかりに頷く。
[だよなー、流石、アオは分かってるな。やっぱりファンタジーものは夜のキャンプも楽しまないとだよな]
それに通話を繋げながら一緒にOPイベントを見ていたシャロが、相変わらず男性にしては声が高く、女性にしてはハスキーな性別不詳の声で会話に入ってくる。サバイバルゲーム好きで、リアルでもキャンプなどのアウトドアを楽しむシャロらしい意見だった。
「よね、夜にどんなイベントが隠されているか分からないし、世界を楽しむなら多少の不自由も楽しまないとね。――夜営を飛ばすのは、本当に作業みたいに慣れ切っちゃってからでもいいでしょう」
それに、藍がゲーム世界を最大限に堪能しようというゲーマー的な視点から同意する。
アウトドア派とインドア派で、視点は違えど一つの世界観を一緒に楽しめていることに不思議な奇妙さを感じるが、それがVRゲームの魅力なのかもしれない。
そんな所感を抱きながら意識を改めて、電子ディスプレイで流しているドラクロのOPイベントに視線を戻す。
<また、ある段階までストーリーを進めると『零世界』から、『共通世界』に繋がることが可能になります。『共通世界』は言わばプレイヤーたちの交流地点です。
そこでは、プレイ中に手に入れた装備やアイテム類の売買や交換、自身の『零世界内』に建造したホームを『共通世界』に公開することができるほか、集会所では違う時間軸を過ごした他プレイヤーと一緒に共通クエストを受注し、協力プレイをすることが可能になります。
そして一度、共通クエストを受注して、それぞれのワールドを同期させた場合、それぞれのワールドで導き出した最善の結果を共有することが可能となり、他ワールドのプレイヤーが発生させたユニーククエストを追体験的に受注することが可能になります。
――ただ時間軸を共有するためには、ある一定の条件が必要になるのですが、その条件は、ここでは秘密にさせてもらいます。条件が何なのか、皆さんで探してみてください>
「へぇー、また随分と意味深に匂わせてくるな」
今まで秘されていたゲームシステムの根幹について説明しながら、まだ部分的に秘密にしてくるとは、今回はやけに事前に公開されている情報が少ないような気がする。
「……多分、単純にゲーム内の違う分岐を選んだか、どうか、とかじゃないんだろうね」
[だな、多分、ストーリーに何か関わってくるんだろうけど、現時点じゃ何とも言えないな]
ゲーム内の世界観を考察することが好きな、考察厨的な一面を強く持っている、藍とシャロはさっそくそんな事にまで考察を入り混じらせている。
「まっ、やってみるまでは分かんないよな……でも、ゲームシステム的には誰か他プレイヤーと『ワールドの同期』ってやつをやった方が効率よく、ゲームが進められるみたいだけど……誰か宛はあるか?」
「んー、私は微妙かなー、クラスの友達はあんま興味ないみたいなこと言ってたし……でも、同期できる相手に何か条件があるなら、野良の人でも同期してくれるんじゃない?」
[あー、私は何人か心当たりはあるなー……一緒にやらないかって誘われたし、古馴染と一緒にやる約束しているからって断ったけど、条件とやらの問題さえなければ同期してくれるんじゃないか?]
元の質問に藍とシャロからは、そんな返事が返ってきた。
[モトの方は、どうなんだ?]
「俺は妹くらいかな? って言っても暫くは年齢制限でプレイできないんだけどな」
「……ああ、そっか、栞ちゃん、まだ14歳だっけ」
「ああ、随分と羨ましがられたよ、後たった4カ月だろうっていったら、後たった4カ月だから逆に待ち遠しいんだって怒られた」
拗ねたように唇を尖らせていた妹の顔を思い出しながら、そう答える。
「あはははは、そりゃそうだ。あー、でも残念だなぁー、どうせなら栞ちゃんとも一緒にプレイしたかったなー……栞ちゃん、可愛いんだよねー、何か本当に妹って感じで」
「分かってるじゃないか、あの少しませた、小生意気さが、また可愛いんだ」
[あはははは、相変わらず溺愛してんなー、お兄ちゃん? 私も久しぶりに一緒にプレイしたかったけど、流石にR指定ばっかりはなぁー]
シャロが残念そうに言う通り、ドラクロに限らずVRフルダイブゲームには、厳格な年齢制限がある。
もともとVRのフルダイブシステムは、軍事技術が発端であることからも分かるように、仮想世界での体験は、現実世界への心身に大きな影響を与えうるものだからだ。
特に敵を殺すような表現があるVRゲームは、子供の健全な成長の悪影響を懸念するという名目で厳格な年齢制限が存在する。
何せ、実際に自分の手で敵を殺し、殺されるような体験をするのだ。
ゲーム画面越しにモンスターを戦闘するのとは、比べものにならないという倫理側の判断も頷ける話だろう。
ドラゴンクロニクルは、全世界に向けた国民(世界)的大作としてR18に引っ掛からないマイルドな表現方法を採用しており、戦闘以外にも楽しみ方が幾つもある間口の広いタイトルだという触れ込みだが、やはりメインはモンスターを倒しながら世界を冒険する物語であるためにR15指定となっている。
そして、もっと言えばVRシステムのR18以上には、直接的なムフフなことをするコンテンツ等が存在することもあり、国や教育委員会側も年齢規制の順守に心血を注いでおり、フルダイブする際に年齢を絶対に誤魔化せないようにされているのだ。
自分は交友関係が狭いこともあり、実際に試したという同級生の話を聞いたことはないが、ネットでは胡散臭い方法で年齢制限を誤魔化す方法が存在するという与太話が幾つも存在する。
そうした怪しげな手法で、年齢制限の壁を破ろうとしてフルダイブ機器を破壊してしまった同年代の話が、よくあるネタとして出回るくらいには分厚い壁であるようだ。
「まっ、栞の方は、いつも連るんでいる友達と一緒にプレイするって言ってたけど、もしかしたら途中で合流してくるかもしれないから――その時はよろしくしてやってくれ」
「もちろん」
[ああ、了解]
気の良い二人は、二つ返事で了承してくれた。
そんなこんなで、ほとんど碌に見ていなかったドラクロの公式ページでのOPイベントも佳境に近づき、ドラクロの世界が解禁されるまで後5分というカウントダウンが大きく表示される。
そしてOPイベントでは、最後にドラクロの総監督を務めた本郷氏のインタビューを収録映像が流された。
「ドラクロは、家族や友達と一緒に、より良い世界を目指して、冒険していく中で、絆を深めていけるようにデザインしたゲームです。
ドラクロの世界は一見、安定しているように見えますが、ストーリーを進めれば、進めるほど悲しく、理不尽な世界観に直面していきます。
けれど、だからこそプレイヤーには、そうした状況を諦めなければ必ず、ひっくり返せる可能性を与えました。
……呪われた世界の中でも誰かの為に、世界の為に戦い続けるドラクロの世界の人たちと一緒になって、世界を救うための戦いを、燃える心を持って、楽しんで貰えればと思います。
このゲームを遊んでくれる時間が、プレイヤーの皆様にとって輝かしい思い出となってくれますように……」
幾つもの名作ゲームを生み出してきた、クリエイターとして尊敬している監督の熱の籠った言葉に触れて――ゲームへの期待が否応なしに燃え上がっていくのを感じる。
「いいじゃない、楽しくなってきた」
藍は、ベッドから立ち上がると、本当に楽しそうな笑みを浮かべる。どうやら、この胸の中の高鳴りにも似た熱を感じているのは自分だけではないようだ。
[あぁぁぁー、ワクワクするー]
「よね、よね、こうしちゃいられないわ。モト、私、帰るから、向こうで会おうね」
藍も、シャロの悶えるような声に、居ても立ってもいられなくなったらしい。笑顔で拳を突き出してくるのに応えて、拳を突き合わせると満足気に笑い。ドタドタと足音を立てながら、歩いて数分も掛からない家へ帰るため部屋を飛び出していった。
シャロとの通話は、藍の端末で行っていたので、合わせてシャロの声もなくなってしまい。部屋の中は、ドラクロのOPイベントの出演者たちが、ドラクロへの期待を順番に語っていく声だけになる。
急に静かになった部屋に物寂しさを覚えたが、これから始まるドラクロへの期待の前では、そんな物寂しさも直ぐに消えてしまう。
元は、部屋を少しだけ片付けてドラクロの世界へとダイブするための準備を進めていると、コンコンというノックの音が響き、何か答える前にドアがカチャリと開く音がした。
「……藍ちゃんは、本当に楽しそうにゲームやるよね」
本当に自分の妹なのか疑わしいほど、垢抜けた印象をしている栞が、どうやらドタドタと騒がしく家を出ていった藍を見送って――これからドラクロの世界に飛び込む、自分の様子を見に来てくれたらしい、
「だなぁ、でも、まぁ、だから未だに一緒にゲームやってるんだろうな」
「うん、分かる」
自分がハニカミ混じりの苦笑を浮かべて答えると、栞も共感するように笑ってくれた。
「それじゃあ私も部屋に戻るけど、どんな感じだったか明日、教えてね」
「ああ」
「ん、それじゃ、お休みー」
「ああ、お休み」
自分が気兼ねなくゲームを始められるように気を使ってくれたのだろう、お休みの挨拶として何時ものようにハイタッチを交わすと部屋を出ていく栞を見送る。
ドラクロの世界にフルダイウするために、首に専用のチョーカーとヘッドセットを被って、ベッドに寝転がる。
その時、腕時計型のデバイスが震えて、シャロからのメッセージが届いた旨が表示されていた。
メッセージを開くと〈準備はいいか、行こうぜ〉との文面。
モト<応、行こうぜ>
アオ<ええ、行きましょう、新しい冒険に>
そう返すとシャロからスタンプでOKの文字が返ってくる。
新しいVRゲームを始める時に、こんなにワクワク感を覚えるのは、本当に久しぶりの感覚だった。
アオとシャロとパーティーを組み終えて、どうか、この期待が裏切られませんようにと願い。
「……スタート」
元は、こうしてドラクロの世界へと旅立つのだった。