2.私の初恋の天使様
私はベルツ伯爵家の一人娘マリエル。ベルツ伯爵領で生まれのびのびと育てられた。そのせいか貴族令嬢として感情が顔に出過ぎると18歳になった今でも注意を受ける。それはさておき、あまりにも自由な私を心配した両親は、私が6歳になると王都で過ごすことで貴族としてのマナーを身につけさせようと、タウンハウスに家族で移動して来た。
6歳のお転婆な娘が住む場所を変えたくらいでそう簡単に大人しくなるはずがない。そこで両親は懇意にしているクーニッツ伯爵家の次男アルバートを引き合わせた。
彼はマリエルより5歳年上でしっかりとした男の子だった。
マリエルはアルバートを見て雷に打たれたような衝撃を受けた。口を開けてポカーンと彼を見つめる。だってとても美しい顔で、とっても美しくて、とにかく美しいとしか言えない。サラサラな明るい金髪に透き通ったようなエメラルドグリーンの瞳、薄桃色の唇が愛らしい。大聖堂の宗教画から抜け出し現われた天使様としか思えなかった。息を呑んで胸を押さえた。胸を打ち抜かれたのだ。マリエルの初恋が舞い降りた瞬間だった。実はマリエルは大聖堂の天使様の絵が大好きで行くたびにうっとりと見惚れていた。その天使様にそっくりなアルバートに感動したのだ。
「初めまして。マリエル。僕はアルバート、アルと呼んでほしい」
アルバートは優しく微笑んだ。その微笑みは大聖堂の天使の絵よりも麗しい。更に目の前の天使は声も可愛らしい。まだ声変わり前なのだろう。あらかじめ少年と聞いていなければ少女だと信じた。はっきり言ってその辺の美少女より美しかった。
「は、はじめましテ、マリエルでス……」
あまりの綺羅綺羅しさに動揺し過ぎて言葉がおかしくなってしまった……。
マリエルはアルバートをじっと瞬きもせずに見つめた。あまりにも見過ぎて目が乾き涙が出た。
それ以降、お互いのタウンハウスが近いこともありマリエルは大好きなアルバートにちょくちょく会いに行った。
アルバートは優しかった。そしてマリエルを可愛がってくれる。
「マリエルの髪はふわふわで可愛いね」
私の髪はくせ毛で広がる。コンプレックスである。アルバートのようなサラサラの髪がうらやましい。まとめるのが大変で大嫌いだったが、アルバートにそう言われると可愛いかもと思えた。そして彼は自らブラシでマリエルの髪を梳いて髪を結ってくれた。リボンも付けてくれる。彼は手先がとても器用だった。
手入れを怠っていた髪がアルバートに会うと可愛らしくなる。両親は喜んだ。
ある日、私が男の子のようなシャツとズボン姿で庭を豪快に走っていると、彼がドレスのカタログを持って会いに来た。両親がもっとお淑やかになれる可愛いドレスを着なさいと言っていたが、私はあまりひらひらしたものが好きじゃなかったので聞き流していた。業を煮やしてアルバートに頼んだようだ。アルバートが大好きな私は大人しく彼の隣でカタログを眺める
「マリエルはどんなのが好き?」
「フリルいっぱいは好きじゃないの」
「そうなんだね。じゃあ、これなんかはどうだい。レースの量は少な目で、でも可愛い刺繍があって素敵だよね」
「うん。可愛い!!」
アルバートが私のために選んだドレスが欲しいと両親に強請れば、泣いて喜ばれた……。彼は男勝りの振る舞いをする幼い私の相手を嫌がることなくしてくれた。私は増々アルバートが大好きになった。
だが、ある日突然別れがやってきた。アルバートが13歳、私が8歳の時に海を越えた国に彼の留学が決まった。アルバート自身の希望だった。
「アル様。行かないで。寂しいよ……」
瞳に涙をためて訴える。心の中では号泣していたが、実際に号泣すると不細工になるので堪えた。
「マリエル、ごめんね。どうしても学びたいことがあるんだ。勉強が終わったらきっと帰ってくるから」
初めて会った時から変わらない、なんなら更に磨かれ#神懸__かみが__#かっている美しい天使の顔が、私の「行かないで」の言葉に翳るのを見ると、たちまち罪悪感が湧く。神に背いた悪魔のような気分である。私は唇を噛んで再び涙を堪えた。天使様を悲しませてはいけない。
「じゃ、じゃあ、帰ってきたらマリエルと結婚して! そうしたら我慢するわ」
今考えればなんと図々しいプロポーズをしたのか。だが、私は本気だった。
天使様もといアルバートは目を丸くするとクスリと笑った。うっ! 目が潰れそうなほど尊かった。
「そうだね。僕が帰ってきた時もマリエルがそう思ってくれていたら、ね?」
なんとなく求婚の返事を上手くはぐらかされた感はあるが、私の中では約束をしたことになっている。特に記憶を改ざんした覚えはないが、明確な返事をもらえていないことは理解しているので一応控えめに婚約者(仮)としている。もちろんアルバートの家族もその名乗りを認めてくれている。天使様の家族に認知され、マリエルは幸せだった。
そんな風に私は涙ながらにアルバートを見送った。
留学中は定期的に手紙のやり取りをした。アルバートはその国のファッションや女性の好みそうな流行の話を教えてくれた。てっきり二~三年で留学を終えて帰ってくると思っていたが、アルバートはもっと学びたいと留学期間は延期されていった。そしていつの間にか十年が経ち、まだ帰国するつもりはないとの手紙に、クーニッツ伯爵様が延期は認めるから一度帰って来いと連絡されたのだ。実はアルバートは十年間、一度も帰国していなかったのである。このままでは私が行き遅れになると案じてくれていたのだろう。
そして、帰国の段取りが整い待ちに待った日が訪れた。ようやくアルバートがクーニッツ伯爵邸に帰還したのだが、馬車から降りた男性の姿には天使様の面影が一ミリもなかった。
大きなゴリラのような体……もとい鍛え抜かれた戦士のような逞しい体に、整っているが威圧感満載の顔……。コレハ、ダレ???
戸惑いと沈黙が訪れる。
「えっ? 本当にアル様……アルバート様ですか?」
誰も言葉を発さないのでとりあえず婚約者(仮)の私が問いかけた。
「はい。アルバートです」
私の耳には天使様の清らかな声ではなく、ものすごーい低い男性の声が聞こえてきた。
ここまでくると、私の中の天使様に繋がるところが一つもない。いや、一つだけ、美しいエメラルドグリーンの瞳の色は同じだった。
全員が固まり困惑が続く中、さすがご当主クーニッツ伯爵様が我に返り引き攣る笑顔を浮かべて言った。
「とにかく屋敷に入ろう。アルバートも長旅で疲れているだろう?」
ぎこちなさを残しつつ、ぞろぞろと屋敷に入っていった。
私は心の中で叫んだ。「私の天使様は、どこへいってしまったのーーーー!!」と。
そのあと、『お帰り! アルバート』の垂れ幕をバックにして、予想外の静かな晩餐を迎える。カトラリーの音が響き、咀嚼音を気にしながらの緊張を強いられる時間となった。
よく小説では冴えない男の子が十年ぶりに再会したらすごく格好良くなっているという話があるが、これはどちらかと言えば逆のような気がする。美しかった天使様がごっつい別人になりました(悲)
決して今のアルバートが不細工なわけではない。いや、むしろ野性味溢れてカッコイイとも思う。でも、美しく愛らしい天使様はどこにもいなかった。
マリエルはその日、アルバートと話すことが叶わず後ろ髪を引かれながら帰宅することになった。心の中にはなんともいえない喪失感が残った。