14.再会(アル)
バートはそれに応えなかった。表情も変わらない。
「アルはこの後時間はあるか?」
「ああ、大丈夫だけど」
「なら、ちょっと付き合ってくれ」
答えをもらえず肩透かしを食らったが、少なくとも拒絶ではなかったことに安堵した。
バートに連れていかれたのはパン屋だった。もう店じまいでクローズの札がかかっているがバートは気にするそぶりも見せずに扉を開けた。
「こんにちは。アリスいる?」
「あら、バート。どうしたの?」
低い声で返事をしたのはピンクのワンピースにフリフリのエプロンを着ている綺麗な人だった。長い髪を編み込みにして仕事の邪魔にならないようにしている。それにしてもとにかく背が高い。185センチ以上はありそうで肩幅も腕も広い。女性らしい丸みはどこにもなかったが、その格好はまさしく女性そのものだった。
「ちょっと話し相手になって欲しい奴がいて連れてきた。アル。こいつはパン屋の店主のアイザック。本人はアリスと呼んで欲しいと言っているからそうして」
「もう。バート! アイザックの名前は封印したんだから言わないで頂戴。彼はお友達? すごく綺麗な子ね。私はアリスよ。よろしくね」
アリスはウインクすると優しく笑いかけてくれた。彼は自分と同じなのだろうか?
「あの。初めまして。アルバートと言います。私のことはアルと呼んで下さい」
「アルバート? 同じ名前なのね。もうじき明日の仕込みが終わるからその辺で座って待っていて」
バートはキッチンに入っていくと勝手にお茶の準備を始めた。3人分のカップにお茶を注ぐと盆に乗せて運んできた。目で近くの椅子に座るように合図をされる。おずおずと椅子を引き腰を下ろした。
「バート。勝手にお茶を入れていいの?」
「ああ、大丈夫。それとアリスは信頼できる人だから安心してくれ。まだ若いのに苦労して自分の店まで持ってすごいんだ。俺もいろいろ相談にのってもらっている。アルも……俺よりもアリスの方が話しやすいかと思って。確かめもしないで勝手に連れて来て悪かった。嫌だったか?」
「驚いたけど嫌とは思わないよ。このお店はとても感じがいいね。今度パンを買いに来ようかな」
「ああ、ここのパンは美味いからお薦めだ。特に総菜パンは絶品だからな。それとさっきの返事だけど、別にアルをおかしいとは思わない。なんとなく雰囲気で気付いていたから驚かないよ」
あっけらかんと天気の話でもするように普通に話すバートに気が抜けた。自分にとっては大問題だったが彼にとっては何でもないことなのだ。自意識過剰だったのかと困惑するほどバートの態度に変化はない。
「バートが私の作るパンをそんなに褒めるなんて明日は嵐かしら?」
「別に……言わないだけでいつも美味しいって思っているよ」
バートが顔を赤くしてそっぽを向いてボソボソと言うのをアリスは楽しそうに見ている。
「アル。私はこう見えても心は女性で恋愛対象も男性よ。残念ながら体だけは男なのだけどね」
その言葉を聞いた瞬間、私の瞳から涙がこぼれ落ちた。
初めて自分以外の同じ気持ちを持つ人に出会えた。一人じゃない。私だけじゃない。話では同じような人がいることは知っていた。でも実際に会うのは初めてで込み上げてくる感情のままに私は声を出して泣いてしまった。永劫に続くかと思った孤独に陽が射した瞬間だった。
バートがハンカチを差し出してくれた。我ながら子供みたいで恥ずかしかったが、バートもアリスも笑うことなく私が泣き止むのを静かに見守ってくれていた。涙が引っ込み落ち着くとバートが席を立ち冷めたお茶を交換してくれた。武骨そうに見えるのに、そのまめまめしさにほっこりした。
「アルの話を教えてくれる?」
「俺はいない方がいいか?」
「バートが嫌でなければいて欲しい」
私は二人に自分の話をした。初めて違和感を抱いた時からこの国に来るまでの事。そしてこれからどうしたいかその望みも話した。
「もっと着飾りたい。と言っても派手にしたいとかじゃなくて女性らしい服装をしたくて…」
「分かるわあ~! 最初の一歩はものすごく勇気がいるけど、いざやってしまえばこんな簡単なことだったのかって思うわよ。ふふふ。可愛い妹が出来たと思って色々教えてあげるわ」
アリスの言葉に嬉しくて心から笑うことが出来た。ずっと偽りの笑顔しか浮かべられなかった私の心が解放された。
隣でバートが優しい顔をして私を見ていた。その表情に心が温かい何かに染まっていった。
私は寮の部屋に戻ると引き出しから、マリエルからもらったカチューシャを取り出してつけた。
このカチューシャは私に勇気をくれる大切な宝物だ。鏡を見ればあの時よりもこのカチューシャが似合っている自分が笑顔でそこにいた。
この日からアリスは私の尊敬する師匠であり、優しい姉のような存在となった。
徐々に服装を女性ものに変え、化粧なども教えてもらった。髪結いはマリエルの髪で練習していたので大丈夫だった。腰に届く程髪を伸ばすのが目標だ。アリスの知識を借り艶やかになるように手入れをした。
あれほどびくびくしていたのにワンピースを着て歩いていても周りは特段気にしない。女性として普通に生活できることに驚いていたが、この国ではそれが受け入れられる。偏見や中傷が全くない訳ではないが、それは私が男性として生きていても大して変わりないだろう。それを考えれば奇跡のような生活環境だった。
仲の良い友人も出来て、バートとは親友のようになった。彼は全てを受け入れてくれる懐の大きさがある。バートは友人も多く慕われていた。ある日私が同級生に酷い侮蔑の言葉を投げられた時には、その相手の腕をひねり上げその場で謝罪させた。後日その相手は改めて謝罪にきてくれた。
「アル。悪かった。その……彼女に振られて八つ当たりをした。彼女にアルを見習ってもっと女性を褒める練習でもした方がいいって言われたことを思い出して、すまなかった」
「分かった。謝罪を受け入れるよ。わざわざありがとう」
反省している相手を拒絶したくなかったので笑って許した。すると相手は頬を染めた。なぜだろう?
「バートにすげえ怒られた。アルはいい奴だからよく見てからものを言えってな」
バートはそっと助けてくれる。言葉で慰めることも心配する言葉も直接言われたことはないが、彼の行動そのものが実直で人間味がある。彼と知り合えたことに感謝した。そしていつの間にか彼に恋していることに気付いてしまった。でもその事だけは誰にも悟られないように気を付けた。
「思い切って告白してみれば?」
アリスにだけは見抜かれてしまった。
「バートは私を友人としか思っていない。だから言えないよ」
「まあ、そうね。気まずくなりたくないのはよく分かるわ」
一ミリの可能性もない。告白することによって友人ですらいられなくなる方が辛く悲しい。それならば友として側にいたい。それだけで満足だった。
素の自分を晒すことが出来たことで勉強にも一層集中することができるようになった。かなりの好成績で大学部まで進み卒業まであと一年というところで父から帰国をするように言われた。
すでに女性として過ごしていたので、今さら男性の格好で国に戻ることは出来ない。男性としての振る舞い方など忘れてしまった。
マリエルが16歳になり社交界デビューするときに婚約の解消を手紙で申し出たが、理由が書けないこともあり納得できないと解消には至らなかった。マリエルの将来を考えるなら、全てを告げ解消するべきなのは分かっていたが、両親に打ち明けて拒まれることを想像して怖気づいた。マリエルが健気に自分を慕っていてくれたことを思い出すと彼女に嫌われたくないと思った。マリエルに恋心はなかったがそれでも大切な存在であることには変わりはない。自分の国で唯一自分の心を偽らないで過ごすことの出来る場所だった。この時私は自分の保身ばかり考えていた。
「バート。私の代わりにツェーザル王国に行って両親に元気だと、帰国は出来ないと伝えて欲しいの。先に手紙で事情を伝えておくから。どうかお願いします」
帰国の催促に私は頭を抱えた。八方塞がりになった私はバートに自分の代わりに行って来て欲しいと頼んだ。バートは困った顔をしていたが結局は引き受けてくれた。
私は早速、両親に手紙を書こうとペンを取った。現在の自分の姿を書こうとすると、手が震えて打ち明けるための言葉が一文字も書けない。何日も便箋とにらめっこをしたが結局はいつ帰国するとだけの文面で投函してしまった。
バートが代理で家を訪れることすら書けなかった。
バートに迷惑をかけると分かっていてもそのまま彼を送り出してしまった。落ち着かない気持ちでバートの帰国を待っていると短い内容の手紙が届いた。
(ご両親とマリエルを連れていく。逃げるな。お前の大切な人を信じろ)
両親とマリエルが自分に会いに来る。私はその手紙を見て青ざめた。手紙に逃げるなと書かれていなければ、今すぐにでも馬車に乗ってこの地を離れていただろう。
バートは手紙の通りに両親とマリエルを伴って帰国した。
父親の顔には深い苦悩が滲んでいた。母親の表情には悔恨が浮かんでいる。両親は私を責めず自分自身を責めていた。貴族であればアルバートの今の姿はひどい醜聞になる。今のアルバートを認め受け入れることは簡単なことではない。気の迷いだと否定することは容易い。両親は悩み戸惑いながらも今の私を受け入れてくれた。私は恵まれている。両親のもとに生まれてきたことを心から感謝した。
再会のとき私を見たマリエルは初めて会った幼い頃のようにキラキラした目で私を見た。
そしてありのままの私を受け入れてくれた。そうだ。マリエルは真っすぐな心で受け止めることができるそういう子だった。私は何を恐れていたのだろう。
私は怯えるだけで人に歩み寄ることを怠っていた。自分こそが人を拒絶していたのだ。




